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2026年4月15日 (水)

「映画 えんとつ町のプペル 約束の時計台」

Yakusokuno-tokeidai 2026年・日本   98分
アニメーション制作:STUDIO4℃
配給:東宝、CHIMNEY TOWN
監督:廣田裕介
原作:西野亮廣
原案:にしのあきひろ
脚本:西野亮廣
音楽:富貴晴美
製作総指揮:西野亮廣
プロデューサー:田中栄子、福山亮一、森コウ

西野亮廣による同名絵本を原作とする2020年製作のアニメ「映画 えんとつ町のプペル」の続編。監督は前作と同じ廣田裕介。声の出演はテレビドラマの出演も多い子役の永瀬ゆずな、前作に引き続きプペルの声を演じた窪田正孝、「港のひかり」のMEGUMI、その他小芝風花、土屋アンナ、山寺宏一など芸達者陣が顔を揃える。

(物語)
えんとつ町が星空に包まれた奇跡の夜から1年後。大切な親友プペル(声:窪田正孝)を失った少年・ルビッチ(永瀬ゆずな)は再会を信じ続けていたが、前に進む為に忘れようとしていた。そんなある日ルビッチは、父の形見のブレスレットを盗んで逃げたネズミを追いかけて噴水に落ち、時を支配する異世界“千年砦”に迷い込んでしまう。この世界では時を刻まなくなった時計は処分されるが、壊れていないのに11時59分で止まっている不思議な時計台があった。ルビッチが元の世界に戻る為に課せられた使命は、この時計台を動かす事だった。相棒のネコ・モフ(MEGUMI)とともに時計台の謎を追ったルビッチは、100年間約束を待ち続ける男・ガス(吉原光夫)と出会い、もう一度“信じる勇気”を取り戻して行く…。

前作「映画 えんとつ町のプペル」(2020)は、予想外に面白い作品だった。お笑い芸人だという西野亮廣が原作を書いているのだが、単なる子供向け絵本に留まらず、町を統治する支配者が、人民に希望や夢を持たせない為にえんとつから出る煙で町の空を覆い、街中には住民を監視する“異端審問官”が目を光らせているという、何やら全体主義国家を思わせる政治状況を痛烈に批判した異色作だった。
まだロシアによるウクライナ侵攻や、イスラエルのガザ侵攻も、トランプ大統領による強圧的軍事行動も起きていない時に登場したこの作品は、まるでその後のこれら大国の独裁的横暴、人民抑圧状況を予見したかのようで、今観るとその先見性に驚かされる。西野亮廣氏、大したものだと思った。

そんなわけで、続編を謳う本作も大いに期待したのだが…。


うーん、前作とは、かなり作品のタッチが違っている。ルビッチやプペルの活躍で、青空や夜空の星が見えるようになった奇跡の日から1年後という設定だが、独裁的権力者も、住民を監視する異端審問官も居なくなったようで、町には青い空の下、自由と平和が訪れているようだ。それは結構な事だが、たかが空の煙をふっ飛ばしただけで、権力者があっさりと退陣して平和的国家に生まれ変わったとは到底思えない。続編を作るなら、ルビッチがリーダーとなって反権力民衆行動を組織して、権力者を打倒する所まで描くべきだと思うのだが。もっともそれでは子供たちから敬遠されて興行的には大赤字になってしまうだろうが(笑)。

(以下ネタバレあり)

で、本作の大まかなストーリーは、父の形見のブレスレットを盗んで逃げたネズミを追いかけたルビッチが、奇妙な異世界“千年砦”に迷いこんでしまい、そこで不思議な冒険を繰り広げる、というもの。まるでルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」、あるいは宮﨑駿の「千と千尋の神隠し」を思わせる物語になっている。

これはちょっとおかしいのではないか。前作とは作品のタイプ、世界観がガラリ変わってしまっている。解り易く言うなら、「天空の城ラピュタ」のパズーとシータが、続編では「千と千尋の神隠し」の主人公となったようなものである。思えば前作には「天空の城ラピュタ」オマージュがあったし、本作にも「千と千尋-」のワンシーンを思わせる映像があった(下)。

Yakusokuno-tokeidai2

そもそも、「えんとつ町のプペル-」というタイトルなのに、町のどこにもえんとつはないし、プペルは最後の一瞬しか登場しない。

物語も、千年砦で出会った言葉を喋る猫・モフを相棒に、ルビッチがなんとか元の世界に戻ろうと奮闘する話と、時計職人ガスと、美しい歌声の歌手ナギとの恋物語が並行して描かれる構成で、この二人の恋模様がかなり時間をかけて描かれる。それもなんと100年にもわたる時間が経過している。その間ルビッチの話は置いてけぼり。いったいどっちが主人公なのか訳が判らなくなる。

ガスのキャラクターが、どっちかと言うとチャらい感じで、バーで酔っぱらってナギにからんだり、そのガスをナギがぶっ飛ばしたり。コメディかと思ったよ。

やがて親密になった二人は、「次の満月の夜12時に会おう」と約束する。しかし満月の日の直前、ナギの家が火事になり、家は焼け落ちてナギも消えてしまう。絶望したガスの心を象徴するように、ガスが管理する時計台は満月の11:59分に止まってしまう。…それから100年の時が過ぎ、ガスは白髪になるがまだ生きていて、ナギと再会する日を待ち続けている。

いいお話で、この二人の恋はどうなるのか、100年間止まった時計をどうやって動かすか、という物語だけでも充分に1本の映画になると思うのだが、そこにルビッチの物語を組み込んだ為に、却ってどっちつかずの中途半端な作品になっている。

いったいどうしてこんな中途半端なものになってしまったのか。後で調べてみたら、実は原作は「チックタック 約束の時計台」という題名で、ルビッチもプペルも登場しない、チックタックという名の若者とニーナという少女が主人公の、独立した別の作品だった。

だったらこの原作をそのまま映画化した方が良かったと思うのだが、どうやら前作が興行的に大ヒットしたので、前作の知名度を生かして「チックタック 約束の時計台」の物語に、無理やり「えんとつ町のプペル」をドッキングさせたようだ。両方の話が噛み合っていないのはその為だろう。

せっかくのいいお話だった「チックタック 約束の時計台」の世界を、2匹目のドジョウを狙ったせいで却ってぶち壊している。困った事だ。

その他にも辻褄の合わない所やツッ込みどころが満載である。
・ナギが電動キックボードに乗ってるのだけれど、この世界では100年前にそんな便利な乗り物があったのか。そもそも異世界なのに、なんで現代現実世界の乗り物があるのか。
・そう言えばナギが「366日」という、現実世界(それも日本)でヒットした歌を歌ってるのもヘンだ。“千年砦”という異世界の設定基準がいいかげん。
・ナギ、植物の姿を見られたくないという事でガスの前から姿を消したはずなのに、ルビッチが迎えに来たら簡単に会う気になるのもなんだかなあ。そもそも植物という設定がよく分からない。花の命は短いはずなのだが。
・ネズミに盗まれた父の形見のブレスレット、途中からどうでも良くなってる。取り戻せたんかいな?
・最後に、あの巨大時計の名前が「プペル」って聞かされたのには仰天した。「プペル」ってルビッチが思い付きで付けた名前じゃなかったっけ?100年前からその名前だったの?
・さらに、巨大時計が動き出したら、プペルが戻って来るって?なんでそうなるのか全然説明がない。で、実際ルビッチが現実世界に戻って来たら、プペルも戻って来てルビッチと再会している。
一見感動的な再会だけど、前作のプペルの正体を知っていれば、これはあり得ない。というのは、前作をじっくり観ていれば分かるが、プペルはルビッチの亡くなった父、ブルーノの形見のブレスレットが脳となって、それにゴミが寄せ集められて誕生したものだからである。

息子ルビッチが、父の念願だった、星が見える空を取り戻した事で、ルビッチに「頑張ったなチビ」と声をかけたプペルは、もう思い残すことはないとばかりに崩れ、消えていった。一種の“成仏”である。
だから前作はあれで完結しており、プペルが戻って来る事はあり得ないのである。

自分でそんな物語を作っておきながら、忘れたかのようにプペルを生き返らせた西野亮廣は、金儲けに目が眩んだのだろうか、前作の感動を見事にぶち壊してくれた。ガッカリである。

まあ前作を観ていない方なら、感動するかも知れない。またSTUDIO4℃による映像は前作同様とても美しいので、そこは見どころと言える。採点は、あくまで個人的見解という事で。    (採点=★★☆

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