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2026年5月 8日 (金)

「ハムネット」

Hamnet 2025年・イギリス   126分
製作:フォーカス・フィーチャーズ=アンブリン・エンタティンメント
配給:パルコ=ユニヴァーサル・ピクチャーズ
原題:Hamnet
監督:クロエ・ジャオ
原作:マギー・オファーレル
脚本:クロエ・ジャオ、マギー・オファーレル
撮影:ウカシュ・ジャル
音楽:マックス・リヒター
製作:リザ・マーシャル、ピッパ・ハリス、ニコラス・ゴンダ、スティーヴン・スピルバーグ、サム・メンデス

シェイクスピアの名作戯曲「ハムレット」の誕生の裏に秘められた悲劇と愛の物語を描いたヒューマンドラマ。監督は「ノマドランド」のクロエ・ジャオ。主演は「ウーマン・トーキング 私たちの選択」のジェシー・バックリー。共演は「aftersun アフターサン」のポール・メスカル、「ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出」のエミリー・ワトソンなど。第98回アカデミー賞では作品賞ほか計8部門にノミネートされ、ジェシー・バックリーが主演女優賞を受賞した。

(物語)16世紀イングランドの小さな村。皮手袋屋の息子として生まれ、普段は子どもたちに語学を教えているウィリアム・シェイクスピア(ポール・メスカル)はある日森の中で、鷹を操る女性アグネス(ジェシー・バックリー)に心惹かれる。やがて2人は恋に落ち、両家の反対を押し切って結婚する。やがて長女スザンナ(ボーディ・レイ・ブレスナック)が誕生するが、ウィリアムは作家として成功を掴むため、単身ロンドンへ出稼ぎに行く。その後、双子の長男ハムネット(ジャコビ・ジュプ)と次女ジュディス(オリヴィア・ラインズ)が誕生すると、アグネスは夫不在のまま、3人の子育てや家事に奮闘する。ところがある時、村に腺ペストが流行し、一家は大きな不幸に見舞われる…。

「ノマドランド」という素晴らしい傑作を発表し、これでアカデミー作品賞、監督賞を獲ったクロエ・ジャオ監督。その次の監督作はなんとアメコミ映画「エターナルズ」。こういう社会派のアカデミー賞作品から痛快娯楽アクションまで、何でも撮ってしまう監督はスティーヴン・スピルバーグという先例がいたな、と思ったら、本作のプロデューサーがそのスピルバーグだった。そしてまたまたアカデミー賞で作品賞、監督賞や8部門ノミネート、ジェシー・バックリーが主演女優賞を受賞した。これは観る前から期待したくなる。

(以下ネタバレあり)

冒頭の、うっそうと繁る森の風景が素晴らしい。そして主人公アグネス(注1)は、森を散策し、鷹を呼び寄せ自分の手に止らせたり、森の自然と溶け合って生きているようにさえ見える。“森の魔女の娘”とも噂されているようだ。
そう言えば「ノマドランド」も自然描写が素敵だったし、主人公ファーン(フランシス・マクドーマンド)が森の中の池で水浴びをするシーンもあったと思い出す。

また彼女が訪れる森には古い大木があり、その根元には大きな穴が開いていて、その向こうは真っ暗である。何とも神秘的だ。

そんな森で彼女は、文筆家志望のウィリアムという男と出会い、やがて二人は恋に落ちる。このウィリアムが後の文豪、ウィリアム・シェイクスピアである。

やがてアグネスは妊娠するが、その第一子スザンナ(ボーディ・レイ・ブレスナック)を出産するのも深い森の中である。
妊娠した事で継母の家から追い出された事もあるが、人と一緒にいるより、神秘的な自然の中で暮らす事を内心望んでいるのかも知れない。ここは重要だ。

スザンナを産んだアグネスは、ウィリアムの家で暮らす事になる。数年後には双子のハムネット(ジャコビ・ジュプ)とジュディス(オリヴィア・ラインズ)が生まれる。

そうするうち、劇作家を目指すウィリアムは、アグネスの奨めもあり、単身ロンドンに行き、執筆に専念しようとする。ロンドンは大都会、文化の都でもある。ライバルの劇作家も多いだろう。そうした刺激を受けたせいか、やがてウィリアムは新進の劇作家として頭角を現し、彼が書いた芝居はロンドンで上演され、人気を得て行く。

だが、時たまストラドフォードの田舎に住むアグネスたちの元に帰り、息子たちとも触れ合ったりはするものの、執筆、上演活動で忙しいウィリアムはロンドンで暮らす時間が多くなって行く。
ある時、村で腺ペストが流行し、ハムネットは苦悶の中で死んで行くが、多忙なウィリアムはその死に間に合わない。ここから夫婦の間に亀裂が入り、大きな溝が出来てしまう。

夫は、本当に家族の事を考えてくれているのだろうか、長い都会生活で、妻や子供たちを想う気持ちが薄れているのではないか…アグネスの不信感は広がって行く。


アグネスを演じたジェシー・バックリーが素晴らしい。子供たちを愛する気持ち、ペストに罹ったジュディスやハムネットを必死で看病する様子、夫ウィリアムに対する感情の変化を、ごく自然な演技で巧みに表現している。

そして終盤、ウィリアムの新作「ハムレットの悲劇」がロンドンで上演されるとの情報がアグネスの耳に届く。
息子とほぼ同じ名前の人物を主人公
にした芝居を上演するなんて。夫の真意はどこにあるのか、それを確かめようとアグネスは、初めてロンドンを訪れ、彼の芝居を観るのである。
(なお映画の冒頭で「この時代ハムレットとハムネットは同じ名前だった」という字幕が出ていた事からも、この芝居はウィリアムが息子を悼む為に作った作品である事が明白)。

この舞台上演シーンが圧巻、思わず引き込まれてしまう。

舞台は質素な板張り。その背後には、森の絵が描かれ、中央には黒い穴がポッカリと空いている。まるでアグネスが好む、森の大木に空いた暗い穴を思わせる。

その黒い穴から現れた、王子ハムレットの父(父の名もハムレット王である)の亡霊を演じているのはウィリアム自身である。
そして父から、自分を殺したのはクローディアス王だと知らされたハムレットは、父の復讐を誓う。

ハムレットを演じているのは、ハムネット役を演じたジャコビ・ジュプの兄、ノア・ジュプである。このキャスティングが素晴らしい。ノアは堂々たる演技でハムレット役を熱演しているが、そう言われればどことなく弟ジャコビと似ている。アグネスもまた、彼に息子の面影を見たのに違いない。

やがて彼女は観客の間を縫って最前列まで進み、舞台の上に手を乗せたままハムレットの演技を食い入るように見つめる。手が届く高さの舞台設計が効果的だ。
そうして舞台のドラマが進むに連れアグネスは、夫は息子の事を忘れてはいなかった、この芝居は愛する息子ヘの贖罪と鎮魂の為に作ったのだと思い知らされ、いつしか夫へのわだかまりも徐々に解消されて行くように見える。

この心境の変化を無言で表現するバックリーの演技はまさに神がかり的だ。圧倒される。周囲の観客たちも、彼女につられるように舞台の上に手を差し伸べて行く。

Hamnet3

最後、アグネスは舞台の上に、亡き息子ハムネットの姿を幻視する。微笑みを浮かべ黒い森の穴の奥に消えて行く息子を凝視し続ける母アグネスの姿に、思わず涙が出そうになった。


いやーやられた。感動した。凄い物を見た。何度も書いたが、ジェシー・バックリーのアグネスが憑依したかのような熱演ぶりには唸った。アカデミー主演女優賞受賞も当然だ。

ウィリアム・シェークスピアがストラトフォードで年上の女性と結婚し(注2)、スザンナ、ハムネット、ジュディスの3人の子供がいた事、ハムネットが11歳で亡くなった事などは史実らしいが、それ以外の生活ぶりについてはほどんど記録がないようだ。原作者マギー・オファーレルはその点を利用し、史実に記録されている部分はそのまま生かして、後は自由に物語を組み立てている。それが見事に成功し、深い感動を呼ぶ物語となっている。

これは、大切な人を亡くした者の悲しみ、喪失感からやがて立ち直り、夫婦の絆を取り戻して行く、家族愛と再生の物語である。

そうした物語はこれまでも作られているが、そこに自然の雄大さ、そこで力強く生きる女性の姿、物語創作に打ち込む作家の苦悩を巧みにより合わせ、一級の作品に仕上げたクロエ・ジャオ監督の、堂々たる風格を持った演出もお見事。

「ハムレット」の物語を知らなくても問題ないが、知っていればなお楽しめる。私は昔、ローレンス・オリヴィエ監督・主演の映画「ハムレット」を観ているのでより感動した。今の所、私の本年度ベストワンである。   (採点=★★★★★

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(注1)
字幕では「アグネス」となっているが、よく聴いていると「アニエス」と聴こえる。スペルはAgnesで、「ジャック・ドゥミの少年期」(1991)などで知られるフランスの女性映画監督、アニエス・ヴァルダと同じスペルである。

(注2)
ちなみに史実では、ウィリアムが結婚した女性の名前はアン・ハサウェイだそうだ。どっかで聞いた名前だね(笑)。

 

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コメント

 ジェシー・バックリーにやられましたね。まさにアグネスそのまま魔女のよう。劇中で「母も祖母も森の中から出てきた」のようなセリフをアグネスがいうので、少数民族のような存在でしょうか。そんなアグネスが息子の名をタイトルに使った劇に激怒し、ロンドンに行ってからがクライマックスですね。ハムレットと息子が実の兄弟が演じているキャスティングも効いてます。管理人さんの推薦が無ければ見なかったと思います。ありがとうございます。

投稿: 自称歴史家 | 2026年5月10日 (日) 19:13

◆自称歴史家さん
ジェシー・バックリー素晴らしいですね。実はアレックス・ガーランド監督の「MEN 同じ顔の男たち」(2022)で主演しているのですが、ガーランド監督の強烈かつ摩訶不思議な演出にあっけに取られて、バックリーの演技にまで気持ちが至りませんでした。機会があればもう一度見直して、今度は彼女の演技をじっくり観たいですね。

投稿: Kei(管理人 ) | 2026年5月18日 (月) 23:21

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