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2026年7月30日 (木)

世界名作映画 第141位 「猿の惑星」

Planetoftheape 1968年・アメリカ   112分
製作:アプジャック・プロダクション
配給:20世紀フォックス
監督:フランクリン・J・シャフナー
原作:ピエール・ブール
脚色:ロッド・サーリング、マイケル・ウィルソン
撮影:レオン・シャムロイ
音楽:ジェリー・ゴールドスミス
製作:アーサー・P・ジェイコブス

ここでSF映画の登場です。今まで取り上げて来た「世界名作映画」の中ではちょっと毛色の違った作品ですが、最初にこの映画を観た時の衝撃、インパクトが強烈だったので、今も強く心に残っている作品であり、私にとっては生涯忘れられぬ名作なのです。


最初に観たのは、1968年の初公開時。ロードショー館の封切で観ました。

当時はネットもないし、映画情報を仕入れるのはごくわずかに限られていました。なのでどんな映画か分らず、ヒットしているSF映画という事だけで観に行きました。

それで正解でした。この作品は、何の情報もなく、白紙の状態で観た方が楽しめます。既に結末が広く知れ渡っている現在では、この映画を本当に楽しめないのが残念です。

(以下ネタバレあり)

冒頭、主人公の宇宙船の船長、テイラー(チャールトン・ヘストン)のモノローグで、この宇宙船の旅の概要が語られます。「出発して6ヵ月だが、光速移動している為、地球では700年が経過している。我々の知人はとっくに死んでいる」。何の目的で、どこへ向かっているのかは語られませんが、物語上必要ないという事でしょう。

ちなみに電光表示されている現在時間は1972年。映画が製作された1968年の4年後ですが、そんな時代に光速で飛ぶ宇宙船、開発されているのか疑問ですが、まあいいでしょう。

その後、テイラーはこう語ります。「偉大な生物である人類は、相変わらず互いに戦い、子供を飢えさせているか?」。

1960年代と言えば米ソの冷戦時代。1962年にはキューバ危機もありました。核戦争の恐怖を描くSF映画が何本も作られていた時代です。よって、このセリフは重要です。ラストの重要な伏線にもなっているからです。

メインタイトル後、宇宙船はどこかの星の湖に不時着します。表示されている宇宙時間は3978年、出発してから地球では2,000年が経過している勘定です。

1人の女性クルーは冬眠装置にヒビが入っていた為死んでいて、残ったのはテイラーとドッジ、ランドンの3人です。

宇宙船が沈み出し、外の大気を測定すると地球と変わらないようなので、3人はゴムボートに乗り移ります。その後宇宙船は湖底に沈んでしまいます。

ここはどこだと聞かれて、テイラーは「地球から320光年、オリオン座の恒星を回る、名もない惑星さ」と答えます。観客もその言葉を信じて、そんな遠い星に辿り着いたのだと思い込みます。これがくせ者なわけですが(笑)。

岩だらけの景観が続き、ようやく森林地帯に着いた3人は、滝が流れる池を見て、みんな宇宙服を脱いで素っ裸で池で泳ぎ始めます。ところが何者かに服を奪われ、見つけた時はビリビリに破られていたので、仕方なく3人はボロボロの服の切れ端を身に纏います。そして、言葉も喋れず、未開の原始人のような人間たちと出会います。服を盗んだのも彼ら人間でした。1人が言います。「あれがこの星の住人なら、俺たちが支配できるぞ」。全く、人間て傲慢ですね。痛烈な皮肉です。

そこに突然、なんと服を着た猿軍団が現れ、まるで動物狩りをするように人間を銃で撃ち、網で捕獲します。しかも猿たちは英語を喋ります。ドッジは殺され、テイラーたちも捕まりますがテイラーは喉を撃たれた為に、以後しばらくは言葉を喋れない状態が続く事となります。人間が大根のように逆さに吊り下げられているシーンが不気味です。

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この星では、人間と猿の置かれている立場が地球と全く逆転しているのです。猿が高い文化を誇る高等動物で、人間は口もきけない下等動物というわけです。寓話と言うか皮肉めいたこの設定は秀逸ですね。

脚本が良く出来ているのは、テイラーは服がボロボロな上に喋れないので、捕まった後は他の未開人間たちと同じような酷い仕打ちを受け続けるという状況がしばらく続く点です。
よってテイラーが如何にしてこの猿たちに、遠い地球からやって来た知性ある人間だという真実を伝える事が出来るかというサスペンスが生まれる事とななります。

Planetoftheape2やがてチンパンジーの科学者、ジーラ博士(キム・ハンター)が、テイラーの知能が非常に高い事を知り、テイラーはメモに文章を書いて、地球という他の惑星から来た人間である事を伝えますが、なかなか信じてもらえません。やがてテイラーの喉の傷が回復し喋れるようになりますが、ジーラたちと会話を交わすうちに、ジーラとその婚約者で考古学者、コーネリアス博士(ロディ・マクドウォール)はテイラーの味方になって行きます。

ところがそこに登場したこの惑星の最高頭脳であり、信仰の擁護者であるザイアス博士(モーリス・エバンス)は、なぜかテイラーを敵視し、脳葉切除と去勢手術を命じます。
ザイアス博士がなぜテイラーという人間の存在を消そうとするのか(その前に、テイラーが地面に書いた文字をザイアスがすぐに消すシーンもあり)、その答が終盤に明かされます。これがなかなか秀逸です。

Planetoftheape3ジーラとコーネリアスはテイラーを逃そうとし、テイラーと彼を慕う人間の女・ノヴァ(リンダ・ハリソン)と一緒に海岸地帯にある、コーネリアス博士が密かに発掘した過去の遺跡がある洞窟にやって来ますが、そこにザイアス博士と猿軍団が追ってきます。
テイラーはザイアス博士を捕まえ、コーネリアス博士は遺跡の物件から、数千年前には猿よりも人間の方が知性があった証拠をザイアス博士に見せます。ザイアス博士はその事実を知っていましたが、博士はあえてその事実を隠し続けて来たのです。

ここでザイアス博士は、自分の持っている「猿の教典」のある章をを読み上げよとコーネリアスたちに告げます。
そこには「人間は悪魔の手先、心を許すな。霊長類でありながら、人間は気晴らしや欲望の為に殺す。彼らは死の使いである」と書かれていたのです。ザイアス博士はさらに「人間の知恵は愚かさと同居している。感情が理性を支配し、戦いを好む動物だ」とも言います。これは冒頭のテイラーの独白とも共通します。

映画はこうして、この星の人間たちは高度の文明を持ちながら、エゴイスティックで傲慢で、戦い(つまり戦争)を好み殺し合う。それが原因で滅びてしまったのだ、と訴えかけます。地球人のテイラーにとっても耳の痛い話です。

そしてテイラーはジーラたちと別れ、ノヴァと一緒に馬に乗って海岸線を進んで行きます。ジーラはザイアス博士に「彼は何を見つけるのでしょう?」と問うとザイアスは「自分の運命だ」と答えます。この言葉も意味深ですね。

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そしてテイラーは遂にあれを見つけてしまう、驚愕のラストシーンとなります。
テイラーはうちのめされます。「なんてことだ。ここは地球だったんだ。故郷だったんだ」「本当にやってしまった。バカども!このザマはなんだ!人間のバカ野郎!」

何を見つけたかはご存じでしょうが、私が最初に観た時は、あっと声を上げそうになりました。ショックでした。強烈なシーンでした。

当時はまだ長いエンドロールはなく、キャストの紹介テロップを数秒流しただけで終わり、場内は明るくなります。しばらくは呆然として席を立てませんでした。


後で考えたら、地球から320光年も離れた惑星でありながら、酸素はあるし、何より猿が英語を喋っているのはおかしいです。

でも当時までは、SF映画と言えば低予算B級映画ばかりで、それらの作品では、B級娯楽映画ベストで紹介した「宇宙水爆戦」がいい例ですが、遠い星の異星人も平然と英語を喋っていたりするのが当たり前でした。もし異星人が語る、何語ともつかない言語を一から作るとしても大変だし、字幕もつけなければなりません。低予算B級映画では、そんなものに予算をかける余裕も時間もないからでしょう(本作は当時としては珍しい、予算をかけた大作ですが)。
そんなわけで、観客もこの惑星で英語を喋る猿が出て来ても、すんなり受け入れたわけです。最後の方になって、もしかしたら…と感づいた観客もいたかも知れませんが。

それにしても、この作品が突きつけたテーマはとても奥深いものがあります。
地球の人間が、異なる国家、人種間でいがみ合い、争いを続けていたら、あるいは核戦争が起きてしまったら、人類は滅びてしまい、別の生き物が地球を支配するかも知れない
。そうならないように、人間はもっと理性を働かせ、争いがない、戦争がない、子供たちが飢えない世界を築いて行くべきではないか。そう強く、訴えかけられている気がしました。

この映画が作られて58年、半世紀以上も経ったわけですが、世界では今も戦争が次々と起こり、ガザ地区では子供たちが戦火に怯え、飢餓に苦しんでいます。状況は1968年よりもっと酷い事になっていると言えます。この映画を作った国がアメリカというのも実に皮肉です。トランプ大統領に自国が作ったこの映画を観て欲しいですね(笑)。

その後本作はシリーズ化されたり、リメイクやリブート作が何作も作られていますが、どれも只の娯楽映画に成り下がっています。この1作目だけが孤高の存在として屹立しています。

個人的には本作は、SF映画というジャンルを超越した、人類への警鐘、反戦、反核テーマを強く訴えかける不朽の名作である、と断言します。それくらい、私に深い感銘を与えてくれた作品なのです。
(キネマ旬報1968年度ベストテン15位)

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コメント

ブログでも書いた事が在るのですが、自分の中では断トツで1位のSF映画が「猿の惑星」です。初めて見たのは幼少期、其れもTV放送によってだったと記憶しておりますが、「猿が人間を支配する世界」という設定も然る事乍ら、矢張り”最後のシーン”は衝撃的でしたね。

以降、人間の愚かしさを感じさせられる度に、此の「猿の惑星」を思い出します。先日、AIを開発している某企業が、「厳重に管理していた(「閉じ込めていた」という表現もされていましたけれど。)高度なAIが、自己判断によって”脱走”し、外部に”攻撃”していた事が確認された。」みたいなニュースが報じられていましたけれど、「猿の惑星」ならぬ「AIの惑星」という時代が来るのでしょうか(苦笑)。

「猿の惑星」は名作でしたが、以降の続編が正に”蛇足”という感じでしたね。

投稿: GIANTS55 | 2026年8月14日 (金) 02:04

◆GIANTS55さん
TV放送で観ても衝撃を受けたのなら、リアルタイムで劇場で観ていたらもっと衝撃的だったでしょうね(笑)。
高度なAIが人類に反逆を企てる、という映画は半世紀以上も前から作られていました(「地球爆破作戦」など)が、当時は「現実にはそんな事は起きないだろう」と言われていました。今やそれが実際に起きても不思議ではない所まで来てしまいました。どこかで歯止めをかけないと、本当に「AIの惑星」になってしまうかも。怖いですね。

投稿: Kei(管理人 ) | 2026年8月16日 (日) 16:48

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