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2026年9月12日 (土)

「私はあなたを知らない、」

Watashihaanatawosiranai 2026年・日本=フランス合作   126分
製作:Pyramide Productions=パイプライン
配給:クロックワークス
監督:中野量太
原案:中野量太
脚本:中野量太
撮影:岩永洋
音楽:世武裕子
製作総指揮:藤本款
プロデューサー:深瀬和美、若林雄介

天涯孤独の青年の“家族”という幸せの形を追い求める姿を描く、日仏共同製作によるヒューマンサスペンス。監督は「兄を持ち運べるサイズに」の中野量太。中野監督としては「湯を沸かすほどの熱い愛」以来10年ぶりとなる完全オリジナル脚本である。主演は「盤上の向日葵」の坂口健太郎。共演は「違国日記」の早瀬憩、「バカ塗りの娘」の堀田真由、「木挽町のあだ討ち」の滝藤賢一、「百花」の原田美枝子など。

(物語)天涯孤独の身である28歳の西山夕平(坂口健太郎)は、自分の中で決められたルーティンを黙々とこなすだけの生活を、寂しいとも感じずに生きて来た。そんな時、職場にやってきた新しいパート職員・東浜紗月(堀田真由)と出会い、生きる喜びを得た夕平の毎日は輝いて行く。ある日夕平は紗月から、彼女の5歳の娘・朝子(倉田瑛茉)を紹介される。紗月はシングルマザーだった。やがて紗月と朝子との生活によって、夕平はこれまで知らなかった“家族”という幸せの形を知り、その心を開放して行く。だがその生活は、二人のふとした心のすれ違いから脆くも崩れて行く…。

「湯を沸かすほどの熱い愛」(2016)以後も、「長いお別れ」(2019)、「浅田家!」(2020)、「兄を持ち運べるサイズに」(2025)とコンスタントに監督作を発表している中野量太監督の新作である。実質的デビュー作「チチを撮りに」(2012)以後、どれもちょっと変わった家族の物語ばかり(そしてどれも秀作)を作って来た中野監督だが、本作はなんと“殺人事件”が絡むミステリー・タッチの作品である。それでもしっかりと、“家族”に関するドラマになっていた。

(以下ネタバレあり)

映画は、寝床で眼を見開いている28歳の夕平の顔のアップから始まる。目覚まし時計は朝6時59分。7時のアラームが鳴るやすぐに起き、朝の食事をして勤務先のゴム手袋製造工場で働き、夕食はカップ麺という平凡なルーティンライフが繰り返される。例外はたまに高級食パンを買うくらい。

両親は夕平の小さい頃に蒸発し、天涯孤独の身。口数も少なく、親しい友人もいないようだ。でもそんな環境を、寂しいとも思っていないように感じられる。

そんな時、夕平は新しく採用されたパート職員・東浜紗月の指導を頼まれる。大人しい夕平と違って明るい性格の紗月は、すぐに夕平と親しくなる。
夕平のアパートに自然に上がり込み、夕平が高級食パンを普通の包丁で不器用に切っているのを見ると、紗月は自宅からパン切り包丁を持って来る。綺麗にパンが切れるこの包丁を気に入った夕平が代金を払おうとすると、お金はいらない、貸してあげると言う。この包丁が小道具としてうまく利用されている。

やがて二人は付き合うようになるが、紗月に誘われて彼女の家に行くと、そこには5歳の子供・朝子(倉田瑛茉)がいた。紗月はシングルマザーだったのである。

不幸な生い立ちで、家族の暮らしを知らない夕平は、紗月と朝子との共同生活で、“家族”というものの温かみを初めて知る事となる。朝子も夕平に父親のように懐いてくれ、夕平は幸せな気持ちを噛み締める。紗月に、大切に育てれば綺麗な花が咲くというサボテンをプレゼントする。

そのうち紗月は夕平の会社を辞め、少し大きな会社に、正社員として働く事にする。朝子との将来を考えたら、収入の多い会社に勤め、将来の生活を安定させる事が大事だと紗月は考えている。当然帰りも遅くなるが、朝子の幼稚園への送り迎えは夕平に任せるつもりでいる。
夕平はそんな事より、今の朝子との生活を大事にすべきという考えだ。当然両者の考えはすれ違い、二人の仲は微妙なものになって行く。朝子を大切にする、という点では両者は同じ考えのはずなのに。

それでも夕平は、父親として朝子を大切に育てようと頑張る。幼稚園の運動会で一等賞を取らせようと、毎日朝子と一緒に公園で練習を重ねる。
だが本番の運動会で、朝子の靴が脱げた為、ビリになってしまう。どうしても練習の成果を見せたい夕平は競争のやり直しを求め、幼稚園側とトラブルになってしまう。

この事で夕平と紗月との間の溝は決定的なものとなる。夕平は純粋過ぎる故世間の感覚とずれ、今回のようなトラブルを招いてしまう人間である事が判ってしまったのだ。紗月は夕平に別れを切り出す。朝子にも会うなと言う。

それでも夕平は、クレヨンセットを買ってあげるという朝子との約束を守ろうとするのだが、紗月はそれをストーカーだと警察に訴える。

難しい問題だ。せっかく手に入れた家族の幸せを手放したくない為に、周りを見ず暴走してしまう夕平。そんな男はもはや家族ではないと突き放す紗月。我々観客はどちらに味方していいか悩む事となる。

そして遂に不幸な事件が起きてしまう。アパートの2階の階段上で二人が口論し合ううち、紗月が階段から転落死してしまうのだ。
裁判では、夕平が包丁で切りつけたとして殺意があったと見做し、懲役15年の刑が言い渡される。夕平は何も抗弁しなかったようだ


映画はそれから13年後の2021年、高校を卒業したばかりの朝子(早瀬憩)の暮らしぶりを、冒頭から2008年の夕平の生活ぶりと並行して描いている。日付のテロップがないので時々混乱してしまうが、そこは東京スカイツリーの存在の有無でうまく表現している。

現在の朝子は、5歳の時の記憶がほとんどないのだが、ある日入院中の祖母・道代(原田美枝子)から12通の手紙を渡される。夕平が刑務所から送った物である。
道代が亡くなった後、朝子はこの手紙の送り主で、母・紗月を殺したとされる夕平に会ってみようと考える。

ここから、朝子が探偵役となって、裁判を担当した町村弁護士(滝藤賢一)にも会ったり、何度も夕平との面会を重ねたりしながら、事件は何故起きたのか、夕平に殺意はあったのか、等の謎を解き明かして行く、探偵ミステリー的展開となる。中野監督作としては珍しい構成だが、全体としてはやはり“家族の物語”となっている。

朝子が最初に面会した時、夕平は「私はあなたを知らない」と言う。知っているはずなのにあえてそう言ったのは、幼かった朝子への想いと記憶を封印したかったからだろう。思い出せば、余計切ない。

ミステリーとしてよく出来ているのは、紗月が転落死するシーンは、カメラは対峙する夕平の背後のずっと後方から撮っている為、夕平がどんな行動をしたのかはっきりと判らない点。

朝子が調べて行く過程で、凶器とされたのはパン切り包丁だった事が判る。おそらく夕平は紗月から借りていたパン切り包丁を返す為に持って来たのだろう。だがそれに驚いた紗月は自分を殺しに来たと勘違いし、後ずさりして自分で転落してしまったのかも知れない。それを再現シーンとして映像で見せているシーンが登場するが、あくまでそれは朝子の想像である。夕平に殺意があったのかどうかは最後まで分からない。解釈は観客に委ねられる。

朝子は、もう夕平を恨む気は失せている。だが母を死なせた事実は消えない。うまく行けば夕平は自分の大切な義父として、家族3人で暮らして行けたかも知れないのに、母と夕平の気持ちのすれ違いが、大切な家族二人を奪ってしまったのだ。つくづく、家族のありようは難しい。それも本作のテーマなのだろう。

仮出所した夕平に、朝子は町村弁護士を通して手紙を託す。そこには、切々とした自分の思いを語った末に、「私はあなたを知らない、」と書かれていた。これは最初に面会した時の夕平の言葉。そこに朝子の切ない思いが込められている。しかも最後は「。」ではなく「、」だ。完全に終わったわけではない、という気持ちも込められている。これがタイトルになっている。

それから5年後のエピローグもいい。夕平はタクシー運転手をやっている。前科者ではあるが、仕事に就けて見知らぬ人とのコミュニケーションも出来てるようでホッとさせてくれる。乗って来た赤ん坊を抱いた(眼鏡の)女性もニヤリとさせてくれる。また誰かとの出会いも予感させる、心温まるエンディングだ。


さすが中野監督、きめ細かく作り上げられた見事な脚本と腰の据わった丁寧な演出には、いつもながら感動させられる。クレヨンやサボテンなど、いろんな小道具の使い方もうまい。

出演者では、難しい役どころを演じた坂口健太郎が主演賞ものの巧演。18歳の朝子を演じた早瀬憩もいいし、5歳の朝子を演じた倉田瑛茉も可愛い。役者がみんな好演。

ミステリー・タッチという新ジャンルへの挑戦も見事にこなしたが、次はどんな作品を作るのか、中野監督の今後が楽しみだ。期待したい。  (採点=★★★★☆)

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