2009年9月30日 (水)

映画の脚本について考える

はや9月も終わりである。

今月は、仕事が立て込んで忙しかったのと、これと言った作品がなかった事もあって記事のアップが減ってしまい、熱心な訪問者の方には申し訳なかったと思う。

本音を言うと、政権交代に関するニュースが面白くて目が離せなかった事もある(笑)。実際、ヘタなドラマよりもよっぽど劇的でワクワクさせてもらった。落選したり、追い上げられて慌てふためく自民党の長老たちの顔が、時代劇の悪代官に見えて仕方なかった(笑)。鳩山首相と、両脇に従う菅、岡田の3人は、さしずめ水戸黄門と助さん、格さんですな(笑)。

 
閑話休題、本論に入る。

Tajomaru2_2 前回、「TAJOMARU」の、特に脚本について酷評させてもらったら、お二人の方からコメントで、あの脚本は市川森一氏の書いた第1稿が、製作費がかかる割に芸術的過ぎる…と製作委員会(特にフジテレビ)からクレームがつき、プロデューサーの山本又一朗氏がほとんど書き直したものだと教えていただいた。

出来が悪い脚本を修正して良くする、のであれば問題はないのだが、“素晴らしい出来”(山本P談)だった第1稿の脚本が、書き直してこんな酷い出来になったのなら、本末転倒である。

同じような事が「アマルフィ 女神の報酬」でも起きている。真保裕一氏の書いた第1稿には、イスラム系のテログループが登場するのだが、クレームが出るのを怖がったのか、これらのエピソードをカットして脚本が大幅に書き直され、真保氏が降りた為にクレジットから脚本家名が消えるという前代未聞の椿事を巻き起こしている(ちなみに、これにもフジテレビが噛んでいる)。

こちらのケースも、元の脚本はそれほど悪くはなかったのだろうが、書き直された為に突っ込みどころだらけの支離滅裂なシロモノになっている。

昔はこんな事はなかった。…と言うより、シナリオライターの書いた脚本はもっと尊重され、ほとんど書き直される事はなかった(稀に、部分的に良い方向に修正される事はあったが)。

そもそも、脚本は映画の基本設計図である。プロのシナリオライターが時間をかけて綿密に作り上げたものである。ヘタに触れるものではない。建築設計図を無視して素人があちこち手を加えたら、地震が来たら倒壊してしまうような家が出来上がってしまいかねない。

 
これらの他にも、今年の作品だけを見ても、「感染列島」「真夏のオリオン」「MW-ムウ」、それに「カムイ外伝」―と、脚本の不出来な作品が目立つ。脚本家の質が落ちて来ているのかも知れない。

 
かつて、黒澤明監督は、「いい脚本があれば、誰が監督しても立派な映画が出来るが、出来の悪い脚本はどんな素晴らしい監督が撮っても凡作にしかならない」と言っていた。黒澤作品の傑作の多くは、黒澤を含めた超一流の名脚本家が4人も5人も集まって、何ヶ月もかけて徹底討論して完成され、黒澤監督は演出の際には、基本的にはほとんど脚本を直さずに撮ったという。

映画の父と呼ばれた牧野省三は、「スジ(脚本)、二ヌケ(映像)、三ドウサ(演技)」と言って、脚本が一番大事、と強調していた。

ヒッチコックは、脚本と、それに基づく絵コンテが出来上がれば、もうそれで「私の映画は撮る前にすでに完成しているのだ」と言ったそうだ。後は絵コンテの通り、粛々と撮ればいいのだから、という事のようである。

 
これらの先人の言葉を聞いても、脚本がいかに大切かがよく分かる。

まず、時間をかけて、じっくり脚本を練り、しっかりしたものを作るべきである。それでも不満足であれば、さらにプロの脚本家に手直しさせて、より完璧な脚本を完成させる。こうすれば誰が演出しても、見応えのある力作が出来るだろう。…少なくとも、ワーストに挙がるような酷い映画はまず出来っこないだろう。

製作会社やプロデューサーは、この原点に帰って、いい脚本家を育て、いい脚本が出来るよう配慮すべきである。出来の悪い脚本を使ったなら、そこそこヒットはしても、良い観客を失い、将来的にはマイナスになると思う。

 
…と考えているところに、現在発売中の雑誌「ドラマ」10月号に、市川森一氏のロングインタビューが掲載されていた。

Itikawa この中で市川氏は、「映画の脚本は、誰かが書いたものを、分業で複数の人間が携わって、より完璧な脚本作りを目指す、いわゆるハリウッド方式の、システマティックなやり方でいい」、「自分の脚本も、よりよい物になるのであれば、手を加えて直されても構わない」、「そうして出来あがった脚本は、現場では変えるべきではない」という意味の事を言っている。今回、山本Pに、直して構わないと言ったのは、そういうポリシーを貫いたからなのだろう。

さすがは大人である。よい脚本を作る為にはどうしたらいいかがよく分かっている。

そして、「アマルフィ」の、クレジットに脚本家の名前を掲載しなかった問題を、脚本の重要性を軽視しているという観点から厳しく責め立てている。

ほとんど私と同意見であり、感銘を受けた。「TAJOMARU」評で市川さんを責めたのは、大変申し訳なかった。お詫びしたい。

それにしても、シナリオ界の重鎮と言っていい市川さんの、良い脚本作りの為の、こうした提言が日本映画界では生かされていないのが残念である。プロデューサーの方々(特に駄作の多いフジテレビ!)は、肝に銘じていただきたい。

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2009年8月 8日 (土)

追悼 大原麗子さん

Ohharareiko 女優の大原麗子さんが亡くなられました。享年62歳。

私は、あんまり熱烈なファンではありませんでしたが、私の好きな2本の作品で印象的な好演をしておられましたので、追悼記事を書かせていただきます。

その2本とは、降旗康男監督「居酒屋兆治」と、山田洋次監督「男はつらいよ・寅次郎真実一路」
寅さんシリーズには、他に「噂の寅次郎」にも出ていますが、「真実一路」の方が出来はいいですね。

で、共通するのは、“儚げでどこか不幸を背負った、清楚な人妻”というイメージです。

 
Torashinjitsuichiro2_2  「寅次郎真実一路」
では、夫に蒸発され、どうしていいか途方に暮れる人妻を演じています。
夫を探して、旅館に二人で泊まった時、泣き崩れる人妻に、寅さんは危うく手を出しそうになり、悶々とします。普通なら不倫のケースです(笑)。

大原さんは、この難しい役柄にピッタリでした。

Izakayachouji「居酒屋兆治」では、兆治(高倉健)の初恋の相手で、結婚しても兆治の事が忘れられず、嫁ぎ先の農場が火事になって情緒不安定になり、ストーカーのように兆治に恨み言をぶつけます。「栄治さん(兆治の本名)、あなたが悪いのよ」というセリフはCMでもよく流れました。

こちらも難しい役柄です。間違えればすごくイヤな女になってしまう所ですが、儚げで不幸を背負っている大原さんのイメージの御蔭で、彼女の悲しみがこちらにも伝わって来ました。

映画ではこれら以外には、市川崑監督の「獄門島」を除いては、あまり印象に残った作品はありません。テレビには多く出ているようですが、私はあまりテレビドラマを見ないのでほとんど分かりません。

 
しかし、テレビで言えば、やはりサントリー・レッドのCM、これが鮮明に記憶に残っています。
これを演出したのが、故・市川崑監督でした。

古い日本家屋をうまく使った、崑さん独特のスタイリッシュな演出で強い印象を残しました。

昨年、市川崑監督が亡くなられた時も、このCMの映像が何度か流れましたが、今回もまたよく流れています。

まさか2年連続して追悼記事で使われるとは、思いもよりませんでしたね。

(参考で、大原麗子サントリーCM集を ↓)
  http://www.youtube.com/watch?v=f2MsT_KHJ0M&feature=related

赤いたすきが黒いバックにシュッと飛ぶシーンは、まさに崑タッチですね。

 
年をとって、円熟味を増しかけた頃に、ギラン・バレー症候群という難病で、1992年以降は一線を退いてしまい、そして誰にも看取られない孤独な死…。

まさに、儚げで、不幸な運命に弄ばれる…という彼女のスクリーン・イメージそのままの悲しい最期でした。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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2009年6月29日 (月)

追悼その1 マイケル・ジャクソン

マイケル・ジャクソン マイケル・ジャクソンが亡くなった。

彼の全盛期だった'80年代には、私も彼の音楽を聴き、ビデオ・クリップをビデオに収録したり、結構ハマッていたのは事実。

だが、訃報を聞いて、びっくりはしたが、特にショックというほどのものはなかった。

と言うのは、'87年の「バッド」以降は、発表する曲にさほど魅力も感じず、そのうち次第に興味を失い、最近ではCDを聴く事もなく、私にとってはもう過去の人…になっていたからである。

しかし、間違いなく一時代を築いた、プレスリー、ビートルズと並ぶ20世紀最大のスーパースターであった事は疑いがない。

 
彼の素晴らしかった事は、曲の良さもさることながら、歌いながら踊る、華麗なダンス・パフォーマンスのスタイルを確立し、多くの歌手に影響を与えた事だろう。ムーンウォークはマイケルの独壇場だった。

そしてやはり、ビデオ・クリップのレベルを飛躍的に高めた事でもその功績は大である。

単に、歌手が歌ってる所をベタに撮る程度だったそれまでのビデオ・クリップに、ストーリー性を導入し、斬新なモンタージュ、特殊効果(SFX)の採用…など、その革新性はプロモーション・ビデオの歴史を変えたと言っていいかも知れない。

特筆すべきは、ハリウッドの映画監督を大胆に起用した点で、「スリラー」では、ジョン・ランディス、「バッド」ではなんとマーティン・スコセッシという大御所を監督として招いた。どちらも15分にも及ぶ長時間バージョンで、PVと言うよりは、どちらかと言えば短編映画に近い。「バッド」は冒頭からずっとモノクロ映像で、ハーレムの青年(マイケル)が都会に旅立つが、否応なく社会の悪意に晒される…という展開で、スコセッシらしい秀作に仕上がっていた。無論ダンス・シーンも見応えあり。

「スリラー」には、特殊メイクアップに、これまた大御所リック・ベイカーを起用し、本編映画並みの予算とクオリティを保った(ちなみに、ランディス+リック・ベイカーはホラー映画「狼男アメリカン」でもコンビを組んでおり、その線での起用だろう)。

これが大成功し、アルバム「スリラー」は全世界で1億枚を売り上げる大ヒット、ビデオ・クリップとメイキングをセットしたビデオも売れに売れた。

ついでだが、やはりジョン・ランディスと組んだクリップ「ブラック・オア・ホワイト」では、当時実用化されたばかりのCG技術・モーフィングを大胆に採用。エンディングで、歌っている男女の顔が次々変化して驚かせてくれた。SFX技術の積極的採用という面でも、彼はPV界のパイオニアであったと言えるだろう。

それから、忘れてならないのは、ディズニー・ランドでの3Dアトラクション、「キャプテンEO」である。製作総指揮がジョージ・ルーカス、監督がフランシス・コッポラという超豪華版で、私も東京ディズニー・ランドで見せてもらった。

こうして見ると、結構、ハリウッド第9世代の連中とのコラボレーションも多い。もっと映画にも出て欲しかったが、本格的出演作はミュージカル「ウィズ」(78)と「ムーン・ウォーカー」(88)程度で、後者はとりとめのない駄作だった。

 
さて、その死去のニュースを聞いて、私が興味を引いたのが、長いブランクを経て、ようやく十数年ぶりにロンドンでコンサートを再開する、その矢先の急逝で、死因はどうやら強度の鎮痛剤「デメロール」の注射の打ち過ぎらしいという点である。

聞く所によると、マイケルは腰痛に悩まされていたらしく、その痛みを抑える為にデメロールを多量に摂取していた可能性があるという事だ。

確かに、あの激しいダンスは腰を痛めるだろう。彼ももう50歳。決して若くはない。

だが、ファンはマイケルが何歳になろうと、コンサートではあのムーンウォークを始め、華麗なダンスを期待するだろう。

そのファンの期待に応えようとして、激しいダンスのリハーサルを重ね、腰には激痛が走り、やむなく鎮痛剤を濫用したのだろう。…その結果が、早すぎる死であるとしたら、何とも痛ましい。

 
この話で連想するのは、先頃公開された、ミッキー・ローク主演の「レスラー」である。

主人公の男は、若い頃は人気絶頂であったが、次第に人気が凋落し50歳を超えた今は顔も崩れ薬物を濫用し、それが元で心臓発作で倒れ、もう観衆の前に立つ事も出来なくなっていた。

それでも、自分の生きる場所はリングの上しかないと決心し、心臓の痛みに耐えながら練習を重ね、そして無理がたたって、遂に命を縮めた事が暗示されて物語りは終わる。

…マイケルの人生と、なんと似ていることか。

ひょっとしたら、50歳という年齢でステージに立とうとしたマイケルは、ステージの上で死んでもいいと思っていたのかも知れない。

伝説のスーパースターに祭り上げられ、常に最高のパフォーマンスを自らに課し、スーパーヒーローで居続ける事の孤独とプレッシャーに、終生悩み続けていたのかも知れない。

マイケルの死に、「レスラー」の主人公、ランディの孤独な戦いぶりを重ね合わせて見ると、思わず涙が出て来てしまう。

その死は残念だが、もう腰痛にも、プレッシャーにも悩まされる事はないだろう。安らかに眠らん事を…。 ―合掌―

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追悼その2 ボブ・ボーグル(ベンチャーズ)

Bob_bogle_3 マイケル・ジャクソンの死は残念だが、私にとってはむしろ、今月14日に亡くなった、エレクトリック・ギター・バンドの草分けであるベンチャーズのベーシストで、設立メンバーであるボブ・ボーグルの逝去の方がショックであった。

ベンチャーズは私の青春だったし、今も毎年日本にやって来る、現役のスーパー・ロック・グループである。彼の死を知ってしばらくは呆然としてしまった。

ボブ・ボーグルは、元々は建設作業員として働いていた。ある日、中古車セールスマンとして働いていたドン・ウィルソンと出会う。互いに音楽好きな二人は意気投合、最初は2人だけのデュエット・ギターバンドとしてスタートしたというのが面白い。

Ventures2やがてベース、ドラムをメンバーとして追加、4人編成のバンドとして、デビュー作「ウォーク・ドント・ラン」が大ヒットする。当時はボブがリード・ギターだった。その後、ベース担当だったノーキー・エドワーズのギター・テクニックが見事だったので、彼をリード・ギターとし、ボブはベースを担当する事となる。

やがて日本でも「ダイヤモンド・ヘッド」、「パイプ・ライン」が大ヒットし、日本中がエレキ・ブームに突入して行った。

彼らもまた、ポップスの歴史を変えたスーパースターだったと言えよう。

以後、40年以上に亙って、毎年日本でコンサート・ツアーを行うのが恒例となった。無論、今年もやって来る。
私も、何回かコンサートを聴きに行った。

その後ボブは、ホジキンリンパ腫を発病、余命10年と診断され、12年間闘病生活を送った。痛みを押してその後も日本に来ていたが、さすがに病には勝てず、'04年のツアーからライブに不参加となった(代わりに、ボブ・スポルディングが参加)。ただ、スタジオ録音には参加してたらしい。

'96年には、ドラムのメル・テイラーが癌で亡くなり、息子のリオンが後を継いでいる。彼の死去もショックだったが、設立メンバーであり、初代リード・ギターのボブの死の方がショックは大きい。

ノーキー・エドワーズもメンバーを離れ、それでも時たまコンサートには参加するらしいが、これで正式レギュラーで設立時メンバーはドン・ウィルソンしかいなくなった。

Ventures  

あと何年、元気な姿が見られるか分からないが、身体の続く限り、日本にやって来て、素敵なテケテケ・サウンドを聴かせて欲しい。

ともかく、ボブ・ボーグルさん、長い間お疲れ様でした。あの世でメル・テイラーと、ベース・スティック奏法(アンコールの「キャラバン」にて、メルがスティックでボブのベース弦を叩く、コンサートお馴染みの光景)を久しぶりに再開して楽しんでください。     ―合掌―

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2009年4月18日 (土)

3周年を迎えました

気が付けば、早いもので、昨日(17日)で、当ブログも3周年を迎えました。

おかげさまで、アクセスカウントも、126,000件を超えましたし、 ブログランキングのブログランキング(映画カテゴリ)では、皆様の応援のおかげで、ベストテン圏内をキープしております。(下)
(一時は最高で4位まで行きました)

Blogranking_3   

これもひとえに、訪問いただく皆様のおかげです。厚く御礼申し上げます。

また、いつもいろいろと感想コメントをいただく方にも、感謝したいと思います。

更なる応援、よろしくお願いいたします。 m(_ _)m

 

ここの所仕事が忙しくて、アップが遅れ気味で、申し訳ありません。私のクセで、ついついいろんな事を調べ、公式サイトもチェックして…なんてやってるものだから、時間がかかって仕方ありません。
もっと気楽に書こうとは思っているのですが…

 
ともあれ、これからも、気長なお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

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2009年2月27日 (金)

「おくりびと」受賞で思うこと― ピンク映画出身である事を何故隠すのか

Okuribito3 「おくりびと」がアカデミー外国語映画賞を受賞して、マスコミも映画館も大賑わいである。

暗い話題が多い最近では、大変明るいニュースであるし、古くからのファンである滝田洋二郎監督にも、心から祝福を送りたい。

…であるが、少々文句を言いたい事。

あまりテレビを見ている方ではないので、他ではどうだったか知らないが、TBSの「NEWS23」や「みのもんたの朝ズバッ!」等における、滝田監督の経歴紹介で、いずれも、学校卒業後、“映画製作会社に助監督として入社”の後、いきなり“'85年の「コミック雑誌なんかいらない!」で注目される”と飛んでいるのである。

その間、数多くのピンク映画を監督して来た事は、まるで無視されているのである。無論その映画製作会社が、ピンク映画プロダクションである事も伏せられている。

具体的に言うと、高校卒業後、'74年にピンク映画専門のプロダクション、獅子プロに入社、助監督として多くのピンク映画製作現場で修業の後、81年、「痴漢女教師」で監督デビュー。
以後、85年に「コミック雑誌なんかいらない!」(公開は86年2月)で一般映画(この呼び方も気に入らないが)に進出後も、'87年までの間に、ピンク映画25本、日活にてロマンポルノを2本監督している。

単にエロ映画を撮っていたというだけではない。厳しい条件下で映画作りのノウハウを学び、修業した、そのキャリアの積み重ねが、その後の一般映画で実を結んだ―という事なのである。

滝田監督だけではない、現在一線で活躍している映画作家の中に、ピンク映画を作っていた人が少なからずいるのである。

例を挙げると、
今や作る作品どれもベストワンの、日本を代表する作家・周防正行(デビュー作は小津映画のパロディ「変態家族 兄貴の嫁さん」)、
「光の雨」「火火」に、今年は「禅 ZEN」で気を吐く高橋伴明(ピンク歴はその数約50本!)、
テレビ「相棒」シリーズが大人気で映画もヒットした和泉聖治(こちらもピンク映画を60本近く量産)、
「パッチギ!」でベストワンを獲得した井筒和幸も、デビュー作は「いくいくマイトガイ 性春の悶々」。
海外でも評価が高く、昨年は「トウキョウソナタ」が評判となった黒沢清も、「神田川淫乱戦争」等のピンク監督作がある。
その他、「感染列島」瀬々敬久「がんばっていきまっしょい」磯村一路、変わった所では、「まんが日本昔ばなし」の文芸担当を経て「出張」「1万年、後…。」などを監督した沖島勲もピンク出身である。
そうそう、今や映画解説者?のカントクこと山本晋也も無数のピンク映画を監督している(その数は180本を超える!)。「未亡人下宿」シリーズはコメディの傑作。

昨年は「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」で話題を呼んだ若松孝二は、ピンク映画界の伝説的巨匠。'63年に「甘い罠」でデビュー後、夥しい数のピンク映画を量産。そればかりか、65年には若松プロを興し、高橋伴明や大和屋竺、足立正生、沖島勲等、多くの人材を育成した。

ざっとこんな所で、これに日活ロマンポルノ出身の金子修介根岸吉太郎中原俊…を加えたら、日本映画界の屋台骨を支えているのが、他ならぬこうしたピンク、ポルノ出身監督だという事になる。まさに人材の宝庫である。

だから、ピンク映画を撮って来た事は、誇っていいと思う。隠す事はない。

だが、世間には、いまだ厳然として(特定の職業、人種などにおいても)差別意識が残っている。

かつてロマンポルノがヒットしていた頃、巨匠・小林正樹監督は「ロマンポルノなんてものは、あれは映画じゃない」と言ったそうだ。

それを聞いた当時新進のシナリオ・ライター、桂千穂氏は「絶対小林監督を許さない」と激怒し、進んでロマンポルノの脚本を手掛けるようになった。そしていくつかの傑作ロマンポルノの脚本を残している。

また、ある高名な映画評論家氏は、ロマンポルノに主演した伊佐山ひろ子がキネマ旬報の主演女優賞を受賞した時、「ポルノ女優に主演賞を与えるような映画賞の選考委員は辞退する」と公言したそうである。
(高慢な評論家はいるもので、深作監督の「仁義なき戦い」がキネ旬でベスト2位に選ばれた時、ある評論家は「ヤクザ映画がベストワンにならなくて良かった」と真顔で言ったそうな)

そんな風潮がまだ残っているからこそ、日本の誇りとなった監督が、ピンク映画出身である事を隠そうとしているのだろう。

だから私は、滝田監督がピンクを撮っていた頃、地元に帰省した時、両親も含めて周囲の人がどんな反応を示したか興味がある。是非マスコミは取材して欲しい。

「おくりびと」の中で、広末涼子扮する妻が、「触らないで、汚らわしい!」と言うシーンがあるが、脚本にあるとは思うが、これは案外、滝田監督が若い頃、地元の彼女あたりにひょっとして「ピンク映画作ってるの?汚らわしい」と言われた経験があって、それが反映されているのでは…とふと思ってしまったのである。冗談ですが(笑)。

ともあれ、マスコミは、“ピンク映画こそが人材育成の場になっている”事をもっと取り上げてもいいのではないか。そこから、“人材育成の為には、日本映画の将来の為にはどうすればいいか”をみんなで考えるようになればいいと思っている。

 

さて、なぜピンク映画から人材が育つのかと言うと、簡単な事で、低予算(1本当り300~500万円と言われている)、タイトなスケジュールの中で苦労しながら、いかに観客を喜ばせる作品を作るか…という経験を経て、映画作りのノウハウを学んで行くからである。先輩監督からも教えられる事があるし、厳しい環境を経験すれば、精神的にもタフになる。場数を踏むほど、娯楽映画作りのコツもマスター出来るわけである。

これはピンクに限らず、例えば深作欣二、降旗康男、佐藤純弥等といった骨太エンタティンメントの秀作を手掛ける監督たちも、かつては厳しい環境の中で無数のB級アクション、ヤクザ映画を撮って来た…という経験が大いに役立っているのである。

外国においても、現在活躍しているフランシス・F・コッポラ、マーティン・スコセッシ、ジョナサン・デミ、ロン・ハワード、ジェームズ・キャメロン、ピーター・ボグダノヴィッチといった監督たちは、ことごとくB級映画の帝王と呼ばれたロジャー・コーマンの元で、低予算、ハードスケジュールでこき使われながら、映画作りを学んでいる。
…洋の東西を問わず、厳しい環境であるほど、人間は鍛えられ、成長するものである。

撮影所システムが機能していた昔は必ず、新人はそうやって数年間の下積みの助監督修業を経験し、うるさい監督にシゴかれ、一本立ちして行ったものである。

今はそういう修業の場がほとんどない。従って、娯楽映画作りの基本が出来ていないから、頭でっかち、少しも面白くない駄作、凡作が氾濫している。そのうち、ピンクやB級映画で育った前述のような職人監督がいなくなってしまったらどうなってしまうのか。…考えたらコワい事である。

これから映画監督を目指す若い人は、滝田監督の成功をならって、ピンク映画で修業してみてはどうか。いやむしろ、出来の悪い監督も、一度ピンク映画現場に放り込んでやればいい。鍛えられると思うよ。いやマジで(笑)。

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滝田監督の、日活ロマンポルノ作品(後2本は獅子プロ製作・日活配給)

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2009年2月23日 (月)

快挙!「おくりびと」アカデミー賞受賞

Okuribito2 第81回アメリカ・アカデミー賞の外国映画賞に、日本から参加した「おくりびと」が決まりました。

素晴らしい事です。かつて、名誉賞として外国語映画に賞が与えられていた時代には、黒澤明監督「羅生門」、衣笠貞之助監督「地獄門」、稲垣浩監督「宮本武蔵」が受賞した事はありましたが、1956年に正式に“外国語映画賞”が創設されてからは、日本から出品された作品が外国語映画賞を受賞したのは、これが初めてです。まさに快挙と言えましょう。

(なおニュースによっては、日本人の受賞は初めてとしているものがありますが、1975年にソ連映画として出品された、黒澤明監督の「デルス・ウザーラ」が受賞しています)

いずれにせよ、この作品を昨年度のベストワンに推した他、いろいろと推薦活動もやって来た(ヨコハマ映画祭にも寄稿しました)私にとっても、とても嬉しい事です(作品評はこちらを参照)。

この作品には、とりわけ思い入れがあります。一昨年、父を亡くしたばかりで、ラストシーンで、大悟(本木雅弘)が、亡くなった父(昨年亡くなられた峰岸徹さんが演じていたのも奇縁です)を丁寧におくるシーンではボロボロ泣いてしまいました。

無論、それもありますが、作品の完成度の高さにも感銘を受けました。
特に、さりげなく描かれる、“命への讃歌”が見事でした。空を飛ぶ鳥、川を遡る鮭の群れ、等の躍動する生命感、人間に食される生き物たち(川に帰されるタコ、フグの白子)、そして、妻・美香(広末涼子)の胎内に宿る新しい命…。

命とは、かけがえのない尊いもの。だから、大切な人の命が失われた時は、丁寧に、心を込めておくってあげることが大切な事…という主題が、とても心に響きました。

このテーマが、外国の人にも素直に伝わった、その事が、とても素晴らしいと思いました。そう言えばこの作品は、モントリオール世界映画祭でもグランプリを受賞しています。

かつての、1950年代に名誉賞を受賞した3本は、いずれも時代劇です。また5年前にノミネートされ、惜しくも受賞を逃した「たそがれ清兵衛」も時代劇でした。

以前は、そうした、エキゾチックな時代劇を出した方が受賞し易い…という風潮がありましたが(カンヌでも「楢山節考」、「影武者」等が受賞)、本作のような、現代日本を舞台に、人間の生と死というテーマに正面から取り組んだ秀作が世界の人々に評価された事も、また素晴らしい事だと思います。

 
もう一つ、短編アニメーション部門で、加藤久仁生監督の「つみきのいえ」が受賞した事も素晴らしい出来事です。

長編アニメは、宮崎駿や押井守等が活躍している事もあって、レベルの高さは世界的に知られていますが、短編については、実はアカデミー賞においては日本はまったく未開の分野でした。

これまでは、やっと2002年に、山村浩二監督の「頭山」がノミネートされたきりでした(受賞は逃す)。

作品も、断片をテレビで見ただけですが、手づくり感があって柔らかな色彩で、ちょっとフレデリック・バックのタッチを思わせます。テーマも、地球温暖化がちょっぴり入ってタイムリーでした。

両作に共通する事は、人間が抱える、普遍的な、かつ時代の流れを的確に捕らえたテーマを、温かい感触で丁寧に描いている点だと思います。

ハリウッド的な、膨大な制作費をかけ、CGバリバリ、メカニカルで冷たささえ感じる作品が幅を利かせてきた映画作りに、ようやく見直しの機運が高まって来た事(作品賞、監督賞を制したのが、超低予算でCG臭も感じさせない「スラムドッグ$ミリオネア」である事が象徴的です)が、タイムリーに幸いしたのかも知れません。

日本映画は、むしろこうした方向(低予算でも、心のこもった丁寧な作品作り)をこそ目指すべきでしょう。皮肉な事に、大手製作会社が巨額の宣伝費をかけて鳴り物入りで公開している大作が、「少林少女」「隠し砦の三悪人」「252 -生存者あり‐」「感染列島」と、CGだけ派手で中味はワーストテン上位独占のトホホな作品ばかり…というのが何とも笑えますし、困った事です。今頃ハリウッド(の悪い傾向)を追っかけてこんなくだらないものを作っていては、せっかく「おくりびと」で高まった評価を落とすばかりか、世界の笑いものになります。世界の恥さらしは中川前財務大臣一人で十分だと思いますが(笑)。

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2008年10月15日 (水)

さよなら、緒形拳さん、峰岸徹さん

この所、映画人の訃報が相次いでいます。

ポール・ニューマン(9月26日・享年83歳)は、既に引退を表明していたので、言い方は良くないですが、“過去の人”と言えるでしょう。

しかし、緒形拳さん(10月5日・享年71歳)に続いて、峰岸徹さん(10月11日・享年65歳)も亡くなられるとは…。

お二人ともまだ若く、まだまだこれからの活躍を期待していただけに、残念としか言いようがありません。

このお二人については、いくつか思い出がありますので、その辺りを書いてみようと思います。

……

Ogataken 緒形拳さんは、'65年のNHK大河ドラマ「太閤記」の秀吉役で一躍有名になりました。当時、テレビの主役と言えばハンサム(今で言うイケメン)が当り前の時代に、お世辞にも美男子とは言い難い緒形さんが主役に選ばれただけでも快挙でした(メイクのせいもあるでしょうが、秀吉の仇名の通り“サル”顔だな…と思った記憶があります(失礼))。

映画の方で記憶に残っているのが、大映の増村保造監督作品「セックスチェック・第二の性」(68)で、これが映画での初の本格主演作品です。

Sexcheck2_2 緒形さんの役は、戦前!に活躍した名スプリンターで、大陸戦線で現地女性を強姦したトラウマで、戦後は落ちぶれ、ヒモ生活…という異色の役柄。
なんと、開巻早々、小川真由美さんを強姦するシーンが出て来ます。服をひん剥き、むき出しの股間にガバと顔を埋めるシーンは相当の迫力(笑)。
若き女子陸上選手、安田道代(現・大楠道代)さんをとことんシゴく、鬼コーチ。彼女とのセックス・シーンもあり、かなりハードなエロシーンが頻出する成人向映画です(但し小川さん、安田さんのヌードは吹替)。

増村監督らしい、骨の据わった佳作でした。一見の価値ありです。

実直な人物(「砂の器」「楢山節考」等)も演じる一方で、気の弱い児童置き去りのダメ父親(「鬼畜」)、凶悪犯人(「復讐するは我にあり」)、無頼の小説家(「火宅の人」)など、幅の広い役柄で数々の映画賞を受賞して来た、日本映画界を代表する名優…であるのは異論のない所でしょうが、他方で、「影の軍団・服部半蔵」の悪役や、「野獣刑事」(いずれも工藤栄一監督)のはみ出し刑事役、さらには「咬みつきたい」ではなんと吸血鬼!役と、いろんなジャンルのB級プログラム・ピクチャーも軽々とこなす等、その活動範囲の広さにも感心させられます。こういう、硬・軟両方を並行してこなす役者は、他には市川雷蔵さんくらいしか思いつきません。得がたい異色の名優と言えましょう。

あと、変わった所では、割腹自殺した三島由紀夫の生涯を描いたアメリカ作品「Mishima:A Life in Four Chapters」(85。ポール・シュレーダー監督)における三島由紀夫役があります。我が国未公開ですが、当時輸入ビデオがレンタル屋に出回り、私は見ております。三島とは顔は似ておりませんが、雰囲気は良く出ておりました。

老境に入り、これからどんな名優ぶりを見せてくれるか、楽しみでした。日本映画界は貴重な人材を失った事になります。ご冥福を祈りたいと思います。
 

 

Minegisitooru さて、峰岸さんの方は、大学在学中に渡辺プロに入社、最初は峰健二の芸名で、'62年頃から東宝の青春映画に数本出演しております。

私が覚えているのは、所属する渡辺プロのクレージー・キャッツやザ・ピーナッツ、中尾ミエらが大挙出演したNHKのコメディ「若い季節」に、社長(淡路恵子)の甥役で出演していた時です。
甘いマスクの二枚目で、ちょっと赤木圭一郎に似ており、第二の赤木圭一郎…と騒がれた時もありました。

その後は俳優座、文学座などの研究生として演劇の勉強をし、'68年に大映入社、峰岸隆之介の名前で、新スターの欲しい大映が積極的に売り出しました。

Yamiwosaku その中で、印象に残っているのが、'68年の「闇を裂く一発」(村野鐵太郎監督)です。
黒澤明監督の「野良犬」や「用心棒」の脚本で知られる菊島隆三さんのオリジナル・シナリオで、オリンピック射撃選手でもある若い刑事(峰岸)が凶悪犯を追い詰める刑事サスペンス・ドラマ。
ベテラン刑事(露口茂)とコンビを組んでいる点や、露口が犯人に撃たれたり、野球場が出て来るなど、「野良犬」との共通点も見られます。偶然ですが、村野監督も数本撮っている、田宮二郎主演の“犬”シリーズにも「野良犬」(井上芳夫監督)という作品があるのが面白いですね(笑)。

なかなか緊迫した、見応えのある刑事ものの佳作だったと記憶しています。峰岸さんの代表作とも言えると思うのですが、なぜかビデオもDVDも出ておりません。ぜひ追悼企画で出していただきたいものです。

残念なのは、その頃から大映の経営が傾きかけ、峰岸さんのキャラクターを生かす企画も打ち出せず、大映はそれから3年後に倒産してしまいます。
時代と、映画会社に恵まれたなら、もっと人気スターになっていたかも知れません。惜しい事です。

その後の、名バイプレイヤーとしての活躍はご承知の通り。大林宣彦監督作品の常連俳優でもありました。遺作も大林監督の「その日のまえに」(11月公開予定)。

65歳という年齢は、いかにも若過ぎます。「おくりびと」の、あの優しそうな死に顔を思い出すだけでも泣けてきます。やすらかにお眠りください。

合掌…

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DVD 「セックスチェック・第二の性」

輸入VHS「Mishima」

DVD 峰岸徹が怪演「ねらわれた学園」

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2008年9月 8日 (月)

「ロードショー」誌の休刊に思うこと

Roadshow_2 先ごろ、映画雑誌「ロードショー」が休刊になるとのニュースが話題になりました。

私は、「ロードショー」など、ほとんど読んではおりませんでしたので、雑誌がなくなる事に、特に感慨はありません。

それに、「ロードショー」誌は後発で、創刊が1972年、…まだ36年の歴史しかありませんし。老舗の「スクリーン」誌が休刊にでもなれば少しは感慨が湧くかも知れませんが。

しかし、この雑誌が何故休刊に至ったか、その理由をいろいろ考えてみると、その背後には現在の映画界の置かれた状況や、映画観客の動向などが密接に絡んでいる…という点が見えて来た気もします。その辺りを検証してみましょう。

 
「スクリーン」、「ロードショー」誌は、映画雑誌と言っても、批評・作品研究中心の「キネ旬」や「映画芸術」誌とは異なり、正確には、“外国映画スターのファン向け雑誌”と言った方が正しいでしょう。映画スターのブロマイド、グラビア写真、ゴシップ記事を満載した、映画スターに胸ときめかせる若い人向け雑誌…といった所でしょう。
(ちなみに、日本映画のスター・ファン向け雑誌としては、「スクリーン」を出してる近代映画社が発行する「近代映画」がありましたが、現在は「KINDAI」と雑誌名を変え、どちらかと言うと映画よりもジャニーズ・タレントが中心で、もはや映画雑誌とは言いかねます)

何故このような雑誌が売れてるかと言うと、そもそも昔の映画観客は、映画の内容よりも、出演しているスター目当てで映画館に通っていたのです。人気スターが出ておれば、乱暴な言い方をすれば、映画の中身などどうでもいいといった感じだったのです。

これは、映画創世記からの一貫した流れで、戦前はエロール・フリン、ダグラス・フェアバンクス、グレタ・ガルボ、戦後はジェラール・フィリップ、アラン・ドロン、オードリー・ヘップバーン、スティーブ・マックィーン…と、超有名スターが映画雑誌の表紙を飾り、彼ら、彼女らが出演していれば映画はいつも大ヒットしたものです。

無論、日本映画も、戦前はバンツマ、アラカン、林長二郎(後の長谷川一夫)、田中絹代、山田五十鈴、戦後は、特に全盛を誇った昭和30年代には、日活なら石原裕次郎、小林旭、吉永小百合、東映は中村錦之助、大川橋蔵、片岡千恵蔵、市川右太衛門、大映は市川雷蔵、勝新太郎、山本富士子、東宝は三船敏郎、加山雄三、松竹、東宝掛け持ちで原節子…と百花繚乱。映画人気は、ひとえに映画スター人気のおかげだったわけです。

彼らの出演作の中には、一流監督の映画史に残る名作もありますがそれらはごく僅か、大半は毎回ワンパターンの、他愛ない娯楽映画でした。
逆に、小津安二郎や黒澤明、木下恵介などの一流監督が、芸術性の高い映画でも、とにかくも作れたのは、原節子、三船敏郎、佐田啓二・高峰秀子などの人気スターを主演にしていたからです。

日本映画が1970年代以降急速に衰退し、ジリ貧になって行ったのは、スターの賞味期限が切れ、新しいスターが登場しなくなった(と言うよりも、スターを作り出す努力をしなかった)のが大きな原因であると言えます。

洋画はその点、常に新しいスターが誕生したし、話題作りもうまかった事もあり、どんどんシェアを伸ばして行きます。

 
'70年代後半から、角川春樹が登場し、邦画界に角川映画ブームが巻き起こりましたが、これもヒットの要因は、薬師丸ひろ子、原田知世、松田優作といったスターを中心に据えた戦略のおかげです。

その角川春樹が薬物問題を起こして消えた後は、日本映画はさらに低迷を続け、1980年代末期には、遂に配給収入における邦・洋のシェアが逆転し、洋画シェアが全体の50%を越え、これはつい最近まで続きました(最大で、洋画シェアが73%に達した事もあります)。

一時は、日本映画はどん底状態でした。何よりも、ファッショナブルさを求める若い人に、日本映画は徹底的に嫌われました。日本映画の話をすると、「日本映画?ダサイ、暗い、ショボイ、貧相」と散々バカにされ、ほとんどの若い子は100%洋画しか見ない状態でした。ひどいのになると、「日本映画を見る」と言ったら、「えー、日本映画って、ヤクザもんとポルノばっかでしょ?」と蔑まれ、日本映画ファンは変わり者扱いされた、そんな時代だったのです(信じられないでしょうが、事実です(笑))。

ここ数年、日本映画が復活の兆しを見せ始めたのは、色々理由が考えられますが、主だったものでは、
① シネコンが普及し、邦画・洋画の上映館の区別が薄れて来て(昔はブロック・ブッキングで邦画は(一部例外を除いて)邦画専門館でのみ上映されてました)、さらに洋画が混んでれば、邦画でも観ようか…という選択肢も出て来た。
② 邦画にも若いスターが登場し、映画自体もファッショナブルな感覚のものが作られるようになって若い観客の抵抗がなくなった。
③ テレビ局が、ヒットしたテレビドラマを映画化し、テレビとの相乗効果でそれらの作品がヒットするようになった。

等が挙げられるでしょうが、特に②が大きいでしょう。小栗旬、松本潤、松田翔太などの若手スターが登場して、彼らの主演する「クロースZERO」、「花より男子FINAL」が予想外の大ヒットを記録したのもその為でしょう。

日本のスターを扱ったファン雑誌も増え、もう昔のように「日本映画、暗い、ダサい」とも言われなくなりました。最近では、「スクリ-ン」、「ロードショー」誌ですら、日本映画の話題がかなり取り上げられているくらいです(数年前までは、これら雑誌に日本映画が取り上げられる事は限りなくゼロでした)。日本映画不遇の時代を知っている私にとっては、隔世の感があります。

反対に、、洋画シェアが落ち込んで来たのは、洋画の刺激的なCG・SFX映画が飽きられて来た事と、もう一つは、新しいスターが登場していない事が理由でしょう。トム・クルーズ、キアヌ・リーブスは賞味期限切れ、シュワちゃんは政界に進出、新進のオーランド・ブルームは線が細い…何より、60歳を超えたハリソン・フォード、S・スタローン、50歳代のブルース・ウィリス主演の人気シリーズを復活せざるを得ない状況が、スター不在の深刻さを物語っています。

 
「ロードショー」誌が部数を落として来て、遂に休刊に至った理由は、この他にも、競争相手の増加(スターの動向中心の映画ファン向け雑誌は、今では2大誌以外に「CUT],「FLIX」、「MOVIESTAR」なども参入し、乱立気味)、インターネット、モバイルの普及により、人気スターに関する情報収集ルートが多様化し、映画雑誌に頼らなくてもスターの動向・ニュースが容易に入手可能になった事…等が挙げられるでしょう。

しかし、一番の理由は、もう昔の、“洋画スター(これは、はっきり言ってアメリカ、ヨーロッパに限定されます)を看板にして映画雑誌が売れた時代は終わった”…即ち、洋画スターにあこがれた時代の終焉…が最大の理由ではないかと私は思っております(外国映画スターの国籍も多様化し、ジャッキー・チェン、レスリー・チャン、チャン・ドンゴンと、アジア・スターが台頭した事も、同じような顔をした日本人俳優への抵抗感の払拭に役立っていると思えます)。
仮に新しい洋画スターが登場したとしても、昔ほど飛びつく人は少ないのではないでしょうか。

そうした時代の変化を端的に象徴したのが、「ロードショー」休刊ではないか…というのが私なりの結論です。

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2008年2月15日 (金)

市川崑監督 死去

Photo_2  映画監督の市川崑氏が、13日、肺炎の為、92歳で亡くなられました。

実は、私の父も、昨年、同じ92歳で亡くなりました。しかも死因も肺炎で市川氏と同じ。

それだけに、訃報を聞いた時、他人とは思えない気がし、感慨に耽りました。

 

市川崑監督作品は、多数観ています。監督作品は約70本余り。よく比較される黒澤明監督は30本ですから、巨匠の割には、頼まれれば気軽に撮っていた感があります。有名な、金田一耕助シリーズは、角川春樹に依頼され、大ヒットした為に次々と手掛けました。

テレビ作品も多数あります。有名なのは「木枯し紋次郎」ですが、刑事ものもあったはずです。

CM演出も多数手掛けています。ライオン歯磨、サントリーなどが主ですが、私が大好きなのが、雨が降る京都の街中を、一匹の子犬が彷徨う、トリスウイスキーのCMです。
 ↓ これがそうです。
http://jp.youtube.com/watch?v=XDEzFPzUfUM&feature=related

youtubeは画質が良くないのでいまいちですが、フォトジェニックで、詩情に溢れていて、CMでありながら、芸術の域に達しているのではないかと思います。終り間際の、瓦屋根の路地を駆け抜ける子犬を俯瞰で捕えたショットは、そのまま引伸ばして額に入れて飾っておきたいほどです。

カメラは、名手宮川一夫さん。絵作りも宮川さんの映像感覚による所が大きいと思います。

映画に戻って、市川崑監督作品で是非お奨めしておきたいのが、次の作品群です。

「炎上」(58)
「おとうと」(60)
「黒い十人の女」(61)
「私は二歳」(62)
「東京オリンピック」(65)

「おとうと」「私は二歳」はいずれもキネマ旬報ベストワン。他にも、この時期には「鍵」「野火」「ぼんち」「破戒」など、秀作が目白押し。

つまり、市川崑のピークは、この昭和30年代だと言えるでしょう。以降もコンスタントに作品は作っていますが、このピーク時の作品は傑出しています。
観るたびにその斬新な映像感覚、歯切れいいカッティング、情感溢れる演出に唸りたくなります。

Itikawakon2 カメラマンは、「炎上」「おとうと」「鍵」「ぼんち」「破戒」が宮川一夫。「東京オリンピック」も宮川さんが参加しています。
…つまりは、前述のCMも含め、その映像の冴えは、宮川さんによる所が多大であると言えましょう。

無論、宮川さんが参加していない後期の作品でもフォトジェニックな映像は見られますが、元々持っていた映像感覚が、宮川さんによって更に研ぎ澄まされ、完成されたと見るべきでしょう。素敵なコラボレーションだったと思います。
(テレビ作品「木枯し紋次郎」の、市川監督が演出したタイトルバックもフォトジェニックな美しさに溢れています)

脚本に関しても、善き伴侶でもあった和田夏十さんの存在を抜きにしては語れません。また「東京オリンピック」や、サントリーCMにも参加している、詩人の谷川俊太郎さんの協力も忘れてはならないでしょう。

そういう意味では、素晴らしき人材に恵まれた、幸福な映画人生だったのではないかと思います。

 
遺作は、リメイク版「犬神家の一族」が長編としては最後ですが、オムニバスの「ユメ十夜」の1篇(第2話)が実質上の遺作でしょう。サイレント風の、まさに市川崑タッチ健在の佳作でした。

本当に、たくさんの素晴らしい作品を有難うございました。謹んでご冥福を祈りたいと思います。

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2007年12月23日 (日)

またまた「椿三十郎」

12月4日、同5日に続いて、三たび「椿三十郎」について書かせていただきます(しつこいって?まあそう言わずに(笑)。いろいろ発見がありましたので)。

まず、黒澤版のオリジナル「椿三十郎」をビデオで再見(以前録画しておいたもの)。

Sanjurou1_2

で、じっくり見て気が付いた事。
(1) 三船扮する三十郎の着物が、おっそろしく汚い。袖口や首筋はほつれてボロボロ。襟元に至っては擦り切れてるうえに、鼻水でもこすり付けてるのだろう、テカテカに光っている(笑)(写真1参照)。

そりゃ確かに、一文無しで旅してると、あのくらいになるだろう。「ここんとこ水腹でな…」と言ってるし。
お話は荒唐無稽であっても、細部はとことんリアルに作り込む―のが黒澤流の映画作りなのである。

Sanjurou2_2ハカマも糸が撚れてるし、さらにはラストの決闘後に、カメラが足元を写すと、足袋も穴だらけで白地が見えている(写真2参照)。

もうほとんど橋下のルンペンと同じ(笑)。臭って来そうである。

「七人の侍」でも、着物も建物も、徹底的にリアルに汚していたし、スタッフもよく分かっていて、「赤ひげ」では画面に写らない薬棚の引出しの中も汚したうえに薬包みも入れていたという。
そういう、厳しい完璧主義だからこそ、画面の隅々まで一分の隙もなく神経がピンと張り詰められ、何度見直しても見応えがあるのである。

Sanjuurou_2 そこで、森田監督の新作を観ると、織田裕二扮する三十郎の着物は小ざっぱりとして綺麗である。不精ヒゲだって申し訳程度である。
別に黒澤作品くらいまで汚せ…とは言わないが、食うや食わずで旅している浪人の着物にしてはきれい過ぎると思わないか。

織田裕二は2枚目ヒーローなのだから、汚すわけには行かない…と言うのなら何をか言わんや…である。それならオリジナルのシナリオをそのまま使う意味さえない事になる。天国の黒澤が見たら激怒するだろう。

(2) 中盤の若侍たち4人が捕えられ、それを逃がす為に、17人を一気に斬りまくる例のシーン。

ここは、1人たりとも生かしてはまずい上、外に逃げられても計画が水の泡になるわけだから、その点もよく考えてある。

まず、門番に閂(かんぬき)を閉めさせ、中庭に全員を集めさせたうえ、一気に斬りかかる。とにかく無茶苦茶早い。
十人くらいまでを一気に斬り捨て、唖然と見ていた門番が、やっと我に帰って閂を開け、逃げようとした所を、後ろから躊躇なく斬りつける
その悪鬼のような仕業に、残りの侍たちは恐怖にかられ、逃げ惑う。窓から逃げようとする者、門の陰に逃げ込む者、それらも容赦なく切り倒す…。
時間を計ったら、全員倒すまで、わずか40秒! 1人2秒強である。

これは、1人残らず逃がさずに全員を倒すには、まさにこれ以外に手はない…と計算した上での戦略なのである。実にムダがなく合理的である。

それに引き換え、森田版はと言えば、モタモタしてる。リアリズムだとかで、三十郎が疲れ、ヨタヨタして来る描写があるが、あれだと、門番はラクラク逃げられそうである(笑)。
…て言うか、外へ逃げようとする描写さえなかった気がする。あれだけ三十郎に誰も敵わなかったら、何人かは逃げて知らせに行こう…とする描写があってこそリアリティがあると言える。何がリアリズムなんだか。だから私は中途半端と指摘したのである。

黒澤監督のオリジナル版を観る機会があったら、私が指摘した前記のような箇所も、是非注目していただきたい。

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いろいろな評判が出揃って来たようだが、やはりというか、プロ、あるいは目利きの方々からは厳しい意見が出ているようである。

黒澤監督の研究家である評論家の西村雄一郎氏(近著「黒澤明-封印された十年」)のHP(12月8日付)で、森田版を観ての感想を書いている(こちらを参照)。抜粋すると、
「三船敏郎演じる〝三十郎〟を知っている身には、織田裕二では役不足。どんな時でも冷静に頭が働く知将にはとても見えない」
「首魁の西岡徳馬はもっと腹黒でなくては。家老の藤田まことはもっと阿保面でなくては…」

などと、私とほとんど同意見である。日付を見れば分かるが、私の方が4日早い(笑)。

12月22日付の朝日新聞娯楽欄「サザエさんをさがして」は、「三船敏郎」がテーマであるが、執筆の保科龍朗氏に、 
「リメーク版をサザエに見せるわけにはいかない。腰砕けになって、台所でおサカナくわえたドラネコと出くわしても、呆然と見逃してしまうはずである」と皮肉られている。
三十郎に扮した三船については「殺気を察知するとためらわずに人を切れるのだから、狂気を宿して血に飢えた孤高の獣を身中に飼いならしている危うさがある」と指摘しておられる。奥方が三十郎を「ギラギラしている」と表現したのは、そういう意味に近い。
まあ織田裕二にそれを求める気はさらさらないが、リアルタイムで黒澤版を観た人の感想は、それが平均的であった事を付け加えておく。

今月発売の雑誌「月刊・シナリオ」1月号に、「柏原寛司の映画館へ行こう―創り手たちの映画評」というコーナーがあり、ゲストの成田裕介氏(お二人とも「あぶない刑事」等の脚本・監督を担当)との対談で、「黒澤映画のリメイク作品『椿三十郎』の観方」と題し、新作についての感想を述べているが、ここでも森田版について辛辣な言葉が飛び出している。ほぼ私も同意である。興味ある方は一読のこと。

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さて、私も森田監督は永年のファンだし、あまり責めたくはないのだが、最後にこれだけは言っておきたい。

オリジナル版を知らなければ、確かに森田版も面白いと思う。役者もみんな頑張っていると思う。
だが、なにかが微妙に違うのである。
今の時代、黒澤明のような監督も、三船敏郎のような役者も、もう2度と現れないだろう。それは仕方のない事である。ないものねだりしても詮無い事である。
だが、やはり何かが足りない…。

それで思い至ったのだが、最近問題となっている、老舗菓子舗、高級料亭の偽装問題
実はあれと、根の所は同じではないかと思うのである。

高級料亭の創業者は、味にこだわり、食材、ダシから、食器に至るまで、すべて一流、本物を志向し、味にうるさい食通をも満足させて来た。見えない所にも細心の気配りをして来た。

先代が亡くなり、時代が変わり、それと共に本当の味が分かる人間も減って来た。
多少、材料の質を落としても、誰も分からなくなった。作る方も、手間のかかる方法を面倒くさがり、だんだん手抜きするようになって来た。

その結果が現在の姿である。

だが、味は落ちてるのに、ブランドだけを信用して、不味いものでも味が分からず、ありがたがる客の方にも問題があるのではないか。

これを、映画界に置き換えても同じ事が言える。

黒澤監督は、言わば食材も、食器も本物にこだわった頑固職人である。タレも、コトコト何日も煮て、おいしさを究極まで求め続けた。

森田版の作品は、“もう昔のような比内地鶏(=役者)が手に入らないので、ブロイラーを使いました。ただレシピ(=脚本)だけは昔のものをそのまま使いました”と言ってるようなものである。まあ偽装してるわけではないが(笑)。
しかし問題は、レシピだけ同じものを使っても、昔のような、本物のおいしさには及ばないと言う事である。じっくり、時間をかけて煮込んでもいないし、比内地鶏だからこそ生きたレシピであって、今のブロイラーには合わない。おいしくする為には、今の材料に合った調理をこそ研究しないといけないのである。

それでも、昔の味を知らない若い人は、「これ、おいしい」と喜んでいる。
しかし、昔の味を知っている食通は、「見た目は昔とそっくりに見えるが、煮込みが足りない。食材もいいものを使ってない。先代よりは大分味が落ちている」と文句を言っている。

・・・まあそういった所だろう。
後者の言い分が全面的に正しい…とは言わない。ただ傾聴に値する…と思っていただければいいだろう。

幸い、もう昔のものは存在しない料理と違って、映画は45年前に作られたものがそのまま残っている。昔の職人はこんないいものを作っていた…という事を是非知って、認識を新たにしてもらいたいものである。

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2007年10月 7日 (日)

出張先で見つけたミニシアター・その2

先日紹介しましたミニシアター、津大門シネマにまた行って来ました(10月6日)。

Daimoncinema1 作品は、新藤兼人原作・脚本・出演「陸に上がった軍艦」(監督:山本保博)。戦争の狂気をブラックな笑いで描いた、いかにも新藤兼人さんらしい佳作でした。

観終わったら、やっぱり前回と同じく、支配人の方が出口で丁寧に頭を下げておられました。

それで、思い切って支配人に声をかけ、いろいろお話を聞くことが出来ました。以下はその報告です。

Daimoncinema4 支配人は、谷口さんという年配の方です。とても気さくで、物腰の柔らかい、そして映画に深い愛着を抱いている方でした。

この大門シネマは、まだオープンしてから3年足らず。

それ以前は東宝系の封切館だったそうです。
ご多分に漏れず、シネコンが出来て観客が減り、閉館していたのを、谷口さんが後を引き継ぎ、アート系のミニシアターとして再発足したのだそうです。

番組を見れば分かる通り、(→ http://tsudaimoncinema.fan.mepage.jp/schedule/flameschedule.htm
かなりシブい、しかし映画ファンなら必見のミニシアター系の秀作が並んでいます。観客動員はあまり望めないようなラインナップです。

失礼ながら、経営的には大変なのでは…と聞くと、会員制を採用しており、既に会員は200名ほどになるとか(会員になると大人1,100円で観れます)。

そんなわけで、「シッコ」のような話題作になると結構な入りになるそうで、なんとか赤字にならずに行けているそうです。

そう言えば、前回観た「夕凪の街 桜の国」は私が観た回はまずまずの入りでした。

作品によっては、厳しい数字になる事もあるでしょう。

しかし、谷口支配人の温かい人柄と熱意は、きっと来られた観客に伝わるものと思います。1人でも多くの映画ファンが、このラインナップに目を留め、遠くからでも劇場に足を運んでくれる事を期待したいものです。及ばずながら応援したいと思います。

谷口支配人さま。お忙しい中、丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。津大門シネマが益々発展されることを祈りつつ…。

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2007年9月17日 (月)

出張先で見つけた良心的ミニシアター

今年の1月から続いた単身赴任も、この9月で終りです。

前にも書きましたが、レンタルビデオ屋は全然ないし、映画館も家から遥か遠い所にシネコンしかないしと、映画ファンにとっては住みにくい所でした(いざ去るとなると、ちょっと名残惜しい…)。

しかし偶然、家から10分くらいの所に小さな映画館があるのを知りました。

しかも、大阪で見逃していた、佐々部清監督「夕凪の街 桜の国」が掛かっております。

これは都合がいい、とイソイソと観に行きました。(作品評については別項で)

Daimoncinema1 名前は、「津大門(だいもん)シネマ」
定員140人の、こじんまりとした小劇場です。

場所は、表通りから少し入った、少々目立たない所にありました。

番組を見て驚きました。
先週までが「しゃべれども、しゃべれども」と「あるスキャンダルの覚え書き」(入れ替え制)。
今週が「夕凪の街―」と「プロバンスの贈り物」。

Daimoncinema2_2 以降の予定が、新藤兼人脚本「陸に上がった軍艦」、「それでも生きる子供たちへ」、「シッコ」、「22才の別れ」、「サッド・ヴァケイション」・・・・ と、大阪で言うなら、テアトル梅田シネ・ヌーヴォ九条あたりの名物ミニシアターと同レベルの、格調高い作品が並んでいます。
入場料金も当日 1,600円と、割安です(なんせ、ミニシアター系作品は前売り料金でも 1,500円が普通ですから)。

多分、映画人口が少ないであろう、この街で、こういう地味な秀作を上映し続けて行くという事は、苦労も多い事だと思います。採算が取れているのか、人ごとながら気になります。

それでも上映が始まって後ろを見ると、観客は30人はおりました。ちょっと安心しました。

上映が終り、出口に向かうと、ドアの近くで支配人らしき年配の方(70才くらいに見えました)が、出て行く観客一人一人に「ありがとうございました」と頭を下げていました。

これにも感動しました。こういう光景、あまり見たことはないからです。

声を掛けたかったのですが、次に観に行きたいシネコンの上映時間が迫っていたので、そのまま出てしまいました。月末までには、もう1回は行くと思いますので、出来れば一度お話も聞きたいと思っています。

こういう映画館は、映画愛好家として応援してあげたくなります。頑張って欲しいですね。
(しかし、もっと早く見つけていれば、もっと色々なミニシアター系の秀作を鑑賞出来たかも知れないと思うとちょっと残念です)

映画館の公式HPも貼り付けておきます。  ↓

http://tsudaimoncinema.fan.mepage.jp/

津かその近辺にに住んでいて、映画ファンの方は、是非行ってあげてくださいね。

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2006年10月28日 (土)

日本ハムファイターズの優勝に思う

Nichihamu プロ野球日本シリーズで、北海道日本ハムファイターズが日本一となり、新庄が宙に舞った。喜ばしいことである。

私は特に日本ハム・ファンではないが、プロ野球を見るのは好きだ。
今年は日ハムは44年、中日も52年間日本一から遠ざかっており、どちらも勝たせたいが、強いて言うなら、今年は日本ハムに日本一になって貰いたい…と思っていた

結果は、狙い通りになってとても嬉しい。新庄の涙にはこちらももらい泣きしてしまった。

なぜ日本ハムなのか…それは、私が好きなタイプの映画と同じように、そこに感動のドラマがあったからである。

パ・リーグは、セ・リーグに比べて長い間、観客動員が低迷し、球場には閑古鳥が鳴いていた(あまりの観客の少なさは、テレビでギャグにされてるくらいだ。スタンドで将棋してたり焼肉焼いてたりとか(笑))。球団の身売り話やら、合併話は日常茶飯事、近鉄とオリックスの合併はつい最近だが、日ハム自身も前身の日拓ホーム時代、ロッテと合併直前まで行ったそうだ。

球団の身売りもパ・リーグが圧倒的に多い。この半世紀を見れば、セ・リーグで名前が変わっていないのは、巨人、阪神、中日、広島と4球団あるが、パ・リーグではなんと全球団が入れ替っている。それも、3回、4回と所有親会社が変わった例がある(参考までに、50年前のパ・リーグ球団名は、南海、西鉄、近鉄、東映、阪急、大毎。どれが今はどこか分かりますか?(笑))。

日本ハムの場合は、44年前はオーナー会社が映画会社東映だった…というのも因縁深い。思えば、日本映画全盛時は、映画会社がオーナー…という球団がいくつもあった。大毎オリオンズ大映の永田社長がオーナー、それ以前は、今の横浜ベイスターズが“松竹ロビンス”と言っていた。阪急ブレーブス(今のオリックス)も親会社は東宝系列だった(オーナーは東宝の小林一三)。

映画界の衰退と共に、映画会社はすべて野球界から撤退(偶然でしょうが、早々と撤退した松竹を除いて、みんなパ・リーグなんですね)。

ある意味、低迷を続けてきたパ・リーグの存在(観客が入らない、スターがいない、人気が出ない、お荷物とバカにされる)は、日本映画の低迷とも共通していると言えるだろう。
反対に金満球団・巨人を中心に観客を動員して来たセ・リーグは、アメリカ映画のようなものだろう。金にあかせて大砲を集める巨人は、巨額の製作費と、世界中から集まる才能やスターの魅力で観客を集めてきたアメリカ映画の姿とかぶる。

1昨年には、パ2球団消滅、1リーグ構想まで浮上した。

そんなどん底の状態から、パ・リーグは奇跡的に復活して来た。閑古鳥の代名詞だったロッテが、昨年日本一、今江などのスターも生まれ、観客動員も上昇した。

そして今年、北海道に定着した日本ハムは、新庄というスターを得たこともプラスして、観客動員でもセ・リーグ球団に匹敵するくらいの数字をあげ、遂に44年ぶりの日本一となった。
反対に、常勝を誇っていた巨人は、4年も優勝に見放されたばかりか、観客動員、テレビ視聴率とも低迷し、放映を打ち切られる体たらくである。

これはちょうど、日本映画とアメリカ映画の流れとも似ている。
一時は洋画:邦画の興行収入比率が7:3まで行った時期もあったが、アメリカ映画が、物量作戦が飽きられたのか低迷し始め、逆に日本映画が勢いを盛り返し、興行収入が100億円を超える大ヒット作も生まれて、最近では興行収入比率が5:5になったと聞く。

 

こうした流れは、私が大好きな正統娯楽映画のストーリーとも見事にそっくりである。

例えば、最近の「フラガール」しかり、「シコ、ふんじゃった。」「メジャー・リーグ」しかり。

最初は低迷し、バカにされ、どん底に落ち…、しかし不屈の努力で次第に力をつけ、応援者もどんどん増え、そして選手と観客の心が一つになり最後に栄光を手にする…。

まさに、夢のようなドラマである。42,000人という、最近の巨人の試合より多い観客を札幌ドームに集めるなど、数年前に誰が予測しただろうか。

その夢が現実になった。中日ドラゴンズには、残念ながらそこまでのドラマはない。だから日本ハムには是非日本一になって貰いたかった…私がそう思った理由がお判りいただけるだろう。

人生には、どん底になる時もあれば、スランプで何をやってもうまく行かない時もある。

でも、どんな時でも、夢と希望を失わず、努力を続けてさえいれば、きっといつかはその夢がかなえられる時が来る。…そんなドラマを映画にも、野球にも私は求めたい。そんな夢が実現するドラマを見れば、きっと勇気付けられ、元気を取り戻す人だっているかも知れないからである。

私には、映画「フラガール」の物語が、日本ハムの成功ドラマに重なって見えるのである。

強いチームが当たり前のように勝つ…そんな野球のどこが面白いのだろう。
弱く、低迷していたチームが、苦難の末に強いチームを倒す。…そっちの方が何倍も面白いに決まっている。そういうチームを私は応援したい(3年前の阪神タイガースがまさにその通りだった。あの時は泣けた。日本一になれなかったのは残念だが…。その点では、まだ夢は果たしていない)。

さて、来年はどこのチームが、そんな夢を見させてくれるだろうか。楽しみである。

 

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2006年10月22日 (日)

1~3月鑑賞作品の追加

ちょっとお知らせを・・・。

このブログは、本年4月からスタートしましたが、映画評自体は私のHPでずっと書いてきております。

そろそろ本年度のベスト作品などを選考する時期が近づいており、その為にも、本年度に私が観た作品を一まとめにしておきたいと思います。

そこで、本年度に私がHPの方で書いた批評のうち、本ブログ未掲載分をこちらに移設する事にしました。

移設した作品名は以下の通り。

「フライトプラン」
「THE 有頂天ホテル」
「博士の愛した数式」
「単騎、千里を走る。」
「スタンドアップ」
「ミュンヘン」
「ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!」
「サウンド・オブ・サンダー」

右欄の「バックナンバー」 2006年1月~2006年3月のリンクバナーをクリックしていただければ読むことが出来ます。

既に私のHPにお越しになって、読まれてる方もおられるとは思いますが、こうしておけば、1年分の私の批評ををまとめて読むことが出来、年間の総括ができると思います。

いずれ、年間掲載作品、及びアイウエオ順のインデックスも作るつもりです。もうしばらくお待ちください。

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2006年8月 9日 (水)

これは宮崎アニメ・フラッシュ?「ゲド戦記」

前回お約束しました、「ゲド戦記」に見る宮崎駿作品からの引用(あるいは両者の関連性)について・・・・

(1)まず、旅に出たアレンが荒野でオオカミに襲われるシーン。
 ここで宮崎ファンなら、宮崎駿が場面設計を担当した「太陽の王子・ホルスの大冒険」(高畑勲監督)を連想するでしょう。なかなか抜けない剣を持っている所も似ている。そう言えば、農耕に精を出すシーンもありましたねぇ。

(2)故郷を捨てて、ヤックルに似た馬に乗って旅をする辺りは「もののけ姫」ですね。もっとも、「もののけ姫」自体が本作と同じく、宮崎駿が20年ほど前に描いた絵本「シュナの旅」を原案としてるわけだから似てるのは当然か。ジコ坊のようなキャラクターも出てるし…。夢の中で、真っ黒なドロドロとした液体に飲み込まれるシーンも「もののけ姫」のタタリ神に取りつかれるシーンを連想させます。
ラストでアレンがテルーに、「また会いに来るよ」と言って別れるシーンもそっくりですね。
ついでに、クモの目の下の縦長のペイント(?)は、サンのメイク(千尋のカオナシだという説もあり)に似てますね。

(3)何より感じたのは、「風の谷のナウシカ」が「ゲド戦記」からかなりインスパイアされてNau014 いる事。ユパは明らかにゲドがモデルだし…。村人がいなくなった村の家を覗いて、「この村もだめか…」とつぶやく所は「ナウシカ」の冒頭とそっくりです。
ついでに、クモと配下のウサギは「ナウシカ」のクシャナとクロトワですね。

(4)柵に縛られたテルーが、もの凄いパワーで杭を引っこ抜き、縄を解くシーンは、「未来少年コナン」ラナがコナンを助ける為、縄を歯で食いちぎるシーを彷彿とさせます。宮崎アニメの少女ヒロインはパワフルなのです(笑)。

(5)ラストの、お城の塔屋での追っかけとアクションは、宮崎アニメでは定番と言っていいでしょう。「ルパン三世・カリオストロの城」、そして宮崎駿が原画とアクション・シーンを担当した「長靴をはいた猫」を見れば一目瞭然です。悪魔を追っかけ狭い階段を駆け上り、そして朝日が射してくる時悪魔は滅びます。まったく「長靴-」そのまんまです(笑)。ついでながら「長靴-」における「朝日よのぼれ」というセリフは、宮崎駿自身が「もののけ姫」でセルフパロディにしてました(笑)。
城がガラガラと崩れ、主人公が落っこちそうになってぶら下がる…というパターンも「カリオストロ-」から「天空の城ラピュタ」に至る宮崎アニメではお馴染みシーンですね。

(6)「ゲド戦記」の原作でも主要テーマであり、本作でも出てきた、真(まこと)の名前に関するくだりは、「千と千尋の神隠し」でも重要なテーマとなっていましたが、あれは「ゲド戦記」からのいただきだったわけですね。
ラストで、○に変身した×××に乗って空を飛ぶシーンもそのまんま「千と千尋-」のラストと同じです。うーん、ここまでやりますか(笑)。
 

・・・といった具合に、宮崎吾朗監督は意識的なのか、無意識なのか、親父さんの作品の名シーンを片っぱしから本作に取り込んでおります。逆に言えばそちらに神経を注ぎすぎて、本編が支離滅裂になっちまったのか、それともジブリ・アニメファンを喜ばそうとするサービス精神が行き過ぎた結果…

なあーんて事はないでしょうねぇ(笑)。

 

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2006年4月26日 (水)

ミュージカル映画の楽しみ方

評判の「プロデューサーズ」を観た。古き良き時代の楽しいミュージカルが見事に再現されていて、満腹気分を味わった。最近のミュージカルでは、私個人としては(宣伝文句そのままになってしまうが)「シカゴ」よりも、「オペラ座の怪人」よりも楽しめた。

ところで、最近、ミュージカルについて、「街中で突然登場人物が歌い、踊り出すのは、非現実的で違和感がある」なんて言う人がいると聞いて、正直唖然とした。ミュージカルがなんたるものか、全然分かっていない。もっと言えば、映画はまずエンターティンメントである―という事すら分かっていない。

映画を見る…という事は、現実を離れて、楽しい気分を味わいたい―と思って映画館に入るのではないのか。
だったら、登場人物がいい気分になった時―ハッピーな気分になった時、歌い、踊り出すのもお約束として了解し、観客も一緒になって楽しんだらいいではないか。楽しい時には歌わにゃそんそん、踊らにゃソンソンなのである。現実世界では、街の中で踊りだしたら確かにヘンな目で見られる。非現実の映画の中では、何でもあり、空を飛んだり、カンフー技で強い奴をバッタバッタ倒したり、サッカーボールが火の玉となって人間をなぎ倒したり・・・すべて現実にはあり得ない。それらがスクリーンの中では実現するから楽しいのである。人々が街中で踊り出すのに違和感を感じるようでは、徳島の阿波踊りやリオのサンバ・カーニバルなんか見ても、きっと違和感があって楽しめないんだろうな。気の毒に…。

ミュージカルは、もともとブロードウェイなどの舞台が発祥である。ショービジネスという言葉があるように、それらは演劇―芝居と言うよりも、ショーである。歌と踊りがメインで、芝居はむしろおマケであった。
分かり易く言えば、新歌舞伎座などで上演される、舟木一夫や川中美幸や北島三郎らの座長公演を想像すればいい。観客の目当ては歌手の歌や踊りであって、芝居なんかどっちかと言えばおマケなのである。舟木一夫が舞台で、歌をまったく歌わずシリアスな芝居をしたって観客は楽しくない。「歌をやらんかい!」と怒られるのがオチである。

かつて一世を風靡した、MGMミュージカルもそんなものだった。お話は実に他愛ない。むしろ、絢爛豪華な舞台装置とスターたちのアクロバットまがいの流麗な踊り、そして歌を楽しむ為に観客は映画館に詰めかけた。・・・・もっとも、現代ではあの頃のフレッド・アステアやジーン・ケリーやシド・チャリシーのような、エレガントでダイナミックな踊りで我々をウットリさせてくれるエンターティナーもいなくなってしまったが…。

Photo その後、「ウエストサイド物語」「サウンド・オブ・ミュージック」などが登場して、ミュージカルもストーリー重視、社会派的視点を持った作品が主流を占めるようになり、陽気なMGMミュージカルは衰退して行く。そして、(ブロードウェイでは盛んだったが)映画としてのミュージカルは次第に作られなくなって来たのである。

ここに来て、「シカゴ」、「オペラ座の怪人」、そして「プロデューザーズ」と、ブロードウェイ・ミュージカルが次々映画化されるようになって来た。ミュージカル・ファンとしてはまことに喜ばしいことである。

これを機会に、ミュージカルになじみのない人、ミュージカルをいま一つ楽しめない人は、古きよき時代のミュージカル映画を一度ご覧になってみてはいかがだろうか。
手始めに、まずMGMミュージカルのアンソロジー「ザッツ・エンタティンメント」シリーズを観る事をお奨めする。入門編としては一番手頃である。

Singinintherain3_2 その後、ジーン・ケリーの「雨に唄えば」、フレッド・アステアの「バンド・ワゴン」、戦前のアステア、ジンジャー・ロジャース・コンビの「トップ・ハット」 「踊らん哉」あたりまで観れば、“ミュージカルって、こんなに楽しいものだったのか”という事がきっと分かって来るだろう。
――実を言えば、「プロデューサーズ」には、これら傑作ミュージカルへのオマージュが沢山登場する。これらの作品を先に観ておれば、「プロデューサーズ」の楽しさはさらに倍加するのである。映画をもっと楽しむには、古い名作を数多く観ればいい。沢山観ていれば観ているほど益々面白く、楽しくなるのである。

「プロデューサーズ」について書くつもりだったが、前置きが長くなり過ぎたのでこの辺にしておきます。「プロデューサーズ」論はまた明日のお楽しみという事で…。

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2006年4月23日 (日)

アリダ・ヴァリ

Alida_valli2

イタリアの女優、アリダ・ヴァリが22日、亡くなったとのニュースが飛び込んで来た。享年84歳。

アリダ・ヴァリと言えば、名作「第三の男」のラストシーンで、並木道をこちらに向かって進んで来る、映画史に残る名シーンが忘れ難い。

「第三の男」は、私にとって、生涯のベスト3に入るくらいの大好きな作品である。年に1度はビデオで繰り返し観ている。何度観ても飽きない。従ってアリダ・ヴァリも好きな女優のうちの1人に入っている。

しかしながら、正直言って、もうとっくに亡くなっていたとばかり思っていた。なんせあの映画は今から57年!も前の作品なのだから。もはやクラシックと言っていい。最近では著作権消滅とかで500円のDVDが発売されているくらいだし。

Thirdman2

また久しぶりに「第三の男」が観たくなった。ヴァリを偲んで鑑賞するとしよう。

「第三の男」があまりにも強烈だった為、その他のヴァリの出演作品がいま一つピンと思い浮かばない。
で、この機会に調べてみた。

もともとはイタリア生まれ。15歳で俳優デビューを果たしているが、有名になったのは戦後、大プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックに招かれ、セルズニック・プロでA・ヒッチコック監督作品「パラダイン夫人の恋」(47)に出演してから。ヴァリはこの作品で、殺人事件の被告として法廷に立つパラダイン夫人を演じている。美しいが、どことなく影のある(まあ殺人事件の容疑者ですからね)、ミステリアスな雰囲気が漂っていた。その2年後、「第三の男」で世界的に有名になるわけである。

その後、数本の作品に出演しているが、あまりパッとしたものはない。が、54年、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「夏の嵐」でまた高い評価を得る。これは観ていない。

Longabsence 私が観た作品では、60年のアンリ・コルピ監督「かくも長き不在」が秀作。戦争に行ったまま帰って来ない夫を待ち続ける女という役。ある日、彼女は夫とそっくりな浮浪者と出会う。しかしその男は記憶を失っていた。ヴァリは男の記憶を蘇えらせるべく必死の努力をするが…。戦争がもたらした心の傷の深さを描いた力作です。ヴァリが浮浪者とダンスするシーン、そして男の頭に回した手が、後頭部に刻まれた傷痕を見つけるシーンが忘れ難い印象を残します。

しかし、この作品以降、正直言ってロクな作品に出演していません。いや、一応名のある作品にも出演はしてるのですが、ほんのチョイ役だったりでほとんど印象に残ってません。

その嚆矢は、「かくも長き不在」の前年、カルト・ホラーとして名高い「顔のない眼」(59)に出演してからでしょう。顔がつぶれた娘の為に、若い女性の顔を剥いで移植する狂気の医者の話で、ヴァリはその博士の助手に扮してます。かなりグロテスクな珍品?です。

この作品からのイメージでしょうか、以後、イタリアンB級、C級ホラー作品への出演が相次ぎます。
題名だけ挙げておきます。
「レディ・イポリタの恋人/夢魔」(74)、「新エクソシスト/死肉のダンス」(75)、「サスペリア」(77)、「レイプ・ショック」(79)、「インフェルノ」(80)、「サスペリア2000」(97)・・・。
あの名優がよりによってなんでこんな映画に…と悲しくなりました。

遺作は「セマナ-血の7日間-」(2002)。 -後年の作品は、劇場公開すらされておらず、ビデオのみ発売です。

栄光と、悲惨とを共に味わった、数奇な人生を歩んだ女優と言えましょう。しかし、「第三の男」のラストシーンだけは、映画ファンの心にいつまでも残り続けるわけですから、ある意味幸せな人生だったのかも知れませんね。冥福を祈ります。

--合掌--

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                     最後にもう1枚Alida_valli_2

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2006年4月16日 (日)

ブログスタート

こんにちは

映画が大好きで、これまでも個人のホームページでいろいろ好きな事を書いてきました。

(よろしければ覗いてやってください → http://www.geocities.jp/cine_graffiti/

しかし、ブログだと、もっと簡単に(HPは結構更新が手間です)思いついた事を発信できるので、 これからは新作情報も含めて、こちらを充実させて行きたいと思っています。

よろしくお願いいたします。

さて、ブログのタイトルですが、映画ファンなら先刻ご存知の、和田誠さんのコラム(映画の名セリフ)のタイトルのもじりです(実は私のHPにもパロディ版の「お楽しみはこれっきりだ」というのがあります(笑)。和田さんごめんなさい)。

基本としては、映画を単に観るだけでなく、“いろんな角度から見れば、さらに楽しめる”というスタンスで書いて行きたいと思っています。

例えば、掲示板なんかでよく「つまらない」 「どこが面白いのか分からない」 という声を聞きますが、
ちょっと見方を変えれば、面白いところもあったり、意外な発見もあったりと、また違う楽しみ方ができる場合もあります。

せっかく高い入場料を払ってるのですから、楽しまなければ損ですものね。

その他、思いついたこと、身辺雑記的なことも書いて行こうと思っています。

今日はご挨拶だけ。明日からテーマに沿った書き込みを開始いたしますのでお楽しみに。

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