2008年8月24日 (日)

「超★映画評-愛と暴力の行方」

Choueigahyou 映画本の紹介です。

ただし今回は、お奨めではなく、逆にお奨め出来ない(と言うか買ってはいけない(笑))本である。

その本は、「超★映画評-愛と暴力の行方」(2008・扶桑社刊/著者:奥山篤信)。

タイトルはなんだか、前田有一氏の「超映画批評」とまぎらわしいが(現に、私は最初てっきり前田氏の本だと勘違いしてた)、一応ここ数年の新作映画評をまとめたものである。

で、買おうか迷ったが、とりあえず本屋で立ち読みしてみたら…
なんだなんだこの本は!のっけから「テニヲハ」がなってなく、日本語がおかしい意味が分からない文章多し。おまけに人名表記が不統一、そして明らかに間違いが多い。とにかく校正ミスが無茶苦茶多い。

私はあきれて買う気をなくした。こんなデタラメな本は見たことがない。

インターネット書店で、この本について検索してみたが、驚いたことに、感想、書評がまったくと言っていいほどアップされていない。

おそらくは、私のように買うのを躊躇した人が多いのか、買ってもあきれて感想を書く気も失せたのかも知れない。

やっと、アマゾンに1件だけ感想が書かれていたのを見つけたが、まさに私の感じた通りだったので、そのまま紹介しておこう。
「著者の思想や信条がどうであろうと構わないのですが、まず商業ベースに乗せられる文章ではないと思います。例えば「ヒストリー・オブ・バイオレンス」評の冒頭。「この映画は鑑賞後、数日経っても脳裏から強烈なインパクトが残る」。なんですか、これは? その他にも「てにをは」めちゃくちゃ、主語がどこにも落ちない、意味不明な文章など、校正をしながら読んだら真っ赤になってしまいました(唯一、安心して読めるのは「ブロークン・フラワーズ」評のみ)。こんなレベルの本を1800円で売るなんて、出版社にも責任ありです。再販かかるようなら、きっちりチェックと校閲をお願いします。」―無論、評価は★1つ(笑)である。

大多数の人が同じように思ったに違いない(信じられない人は一度立ち読みしてください(笑))。

しばらくはこの本の事も忘れていたが、たまたま図書館にあったので借りてきた。そして上記感想の方と同じく、校正してみたら、出るわ出るわでたちどころに100箇所以上!の間違いを見つけた(笑)。ざっと読んだだけだから、ちゃんと読んだらもっと出るに違いない。

以下、どんなに酷いか、検証結果を以下に挙げてみる。

①作品評冒頭に、それぞれスタッフ・出演者名が紹介されているが、本文と表記が一致しないものがやたら多い。
例:14P  (紹介)渡謙  →  15P  (本文)渡謙 
  332P (紹介)渡淳一 →   332P  (本文)渡淳一 (正しくは 渡
  122P (紹介)レリア・ゴリノ  →  123P (本文)ヴァレリア・ゴリノ
  (紹介)スティーン・XXX → (本文)スティーン・XXX (多数)
他にもほとんど、紹介:バ ビ ブ ベ ボ → 本文:ヴァ ヴィ ヴ ヴェ ヴォ となっている。―つまりはご本人は、スペルが“”のものは“ヴ”で表記したいのだろう。なら紹介も同じにしたらいいだろうに(そのくせ「ブラックブック」の監督名は本文でも“ポール・ーホーン”で済ませている。ポリシーに沿うなら“ポール・ヴァーホーヴェン”にすべきだろう。実際、はてなダイアリー、キネマ旬報では後者で表記されている)。

②本書の中で、同じ人名、作品名が別の箇所では違う表記になっている。
例:126P 「ディパーッド」   →  7P (目次)、344P (本文)「ディパーティッド」
  53P 「ドリームガールズ」  →   141P 「ドリームガールズ」
  132P 「ドリームガール」 (“ズ”が抜けてる)
  126P  (紹介・本文)マーティン・スコセッシ → 344P  (本文)マーン・スコシージ

③外国人名で、名と姓の間の“・”が省略されているもの多し。
例:28P  アンリー     → アン・リー
  146P エバブラウン   → エヴァ・ブラウン  
  235P アルパチーノ   → アル・パチーノ
作品名でも同じようなケースあり。
例:109P 「ロストイントランスレーション」 → 「ロスト・イン・トランスレーション」
  118P “ダイハード・シリーズ”  →  「ダイ・ハード」シリーズ

ちょっと無頓着過ぎないか。

④人名の誤りも目に付く。 →の後ろが正解。
  27P  リー・マクマートリー  →  リー・マクマートリー
  138P リュックブレッソン → リュック・ベッソン
  ご丁寧に③とダブルミス。
  ロベール・ブレッソン監督と勘違いしてますね(笑)。
  207P ローゼン監督(2箇所)  →  (ロバート・)ロッセン監督
  290P 小爾    → 小
      これも場所によって小になったり小になったり忙しい。
  323P 仲代達    → 仲代達
  
332P 夏八木    → 夏八木勲  (薫…って)

ちょっと酷いのが、 343P 「元岸部シローである岸部一徳」(笑)
テレビも芸能週刊誌も見ない私でも、岸部一徳の元の名前は“岸部修三”で、岸部シローは彼の弟で自己破産した人である事ぐらいは知っている。失礼な話だ。あいた口がふさがらない。

⑤作品名の間違い。
  180P 「硫黄島から来た手紙」 → 「硫黄島から手紙」

⑥ディティールの記憶違い。
 216P 「圧巻はラストシーン、まるであの名画『カサブランカ』の雨に濡れる飛行場の別れの場面と似せて…」
 → 「カサブランカ」のラストに雨は降っていない。霧がかかってるだけ。

⑦用語の解釈違い
 216P 「飛行機のドアが閉じられてサントラのドラマチックなダダダダーンという表現もそのもの。映画ファンにとってはやめられないアイロニーである。」
→「サントラ」とは、「サウンド・トラック」の略で、「映画フィルムの縁にある録音帯」のこと。映画音楽CDなどで、映画に使用された音楽を収めたCDを「サントラ盤」という使い方をする。ここで使う用語としては不適切。「劇伴」、「バックグラウンド・ミュージック」等とすべき(て、なんで私が解説しなきゃいけないのか(笑))。
「やめられないアイロニー」という使い方もおかしい。アイロニーは「皮肉」でしょう?それを言うなら、「映画ファンにとってはこたえられないリスペクト(又はオマージュ)・シーンである。」くらいではないか。

 345P 「黒澤は椿の赤い色を白黒でどう表現するか悩んだといわれ、研究の結果赤をそのまま映写するより、黒く塗ったものを写す方がモノクロでは赤のイメージが強烈にでることが分かったのである。」
→?「映写」じゃなくて、「撮影」、「写す」より「撮る」が正しいと思うが。

⑧そして問題なのが、「テニヲハ」その他日本語の乱れ。あまりに多いので、一部だけ抜粋する。
  17P 「本物の日本人のごと演技であった。」  →  ごとでは?
  19P 「なんとか娘を金持ちに嫁がせようと、お喋りで品格のまるでない井戸端会議のオバタリアンの母親と、(略)父親の無言の中の気高さと優しさ。」 (さっぱり分からん(笑))
  26P  「男性には本来的に暴力があり、それを補うものとして男の優しさと労りがある。その本来的暴力を、戦後絶対的タブーとして去勢化された日本男子が、却って凶悪で陰湿な暴力を生み出しているのである。」
  51P  「新宿までが美しくなるほど新鮮な感覚で中年男と若い女性の愛を見事に描いた。」 →美しく見えるでは?
  130P 「このダイヤを巡っての壮絶なドラマが切り落とされる。」
  ドラマは切り落とすもんじゃないだろう。正しくは「ドラマの幕が切って落とされる」。
  137P 「いくら日本のやくざを描くにも、一家皆殺し放火する悪逆非道を画いており、…」
  文章もおかしいが、後ろは「描いて」に統一すべき。
  145P 「従事しなかっという点で、…」
  211P 「それに一部の美しいバロック風の建物群など、(略)悪いことには焼け野原に建てられたあの低俗な共産主義様式の建築氾濫している」(絶句…)

⑨途中で欠落したのか、意味不明な文。
a) 17P 「SAYURI」評。「超一流芸者になるための手ほどきの場面なども、「荒野の用心棒-七人の侍」などで見られるアメリカ映画的手法であり、誰にでもわかりやすくとても面白いと思う。」
??「アメリカ映画的手法」が何なのか不明。「荒野の用心棒」と何の関係が? “-”の意味は?少しも「わかりやすく」ない。

b)  126P 「それは二十年前幼少だったXXXと△△△の人間の情(なさけ)が重なり合うのである。」
?? 名前が分からず、後で埋めるつもりだったのだろうか?。こんなの、校正で気がつけよ。

c)  127P 「せいぜい、当時ボストンで抑圧されていたアイルランド系ケネディを契機にやっと日の目をみた背景のなかでのアイルランド系マフィアを描いているという点が…」 お手上げ…誰か教えて。

………  
まったく、あきれたもんである。素人のブログの文章でも、ここまで酷くはない。出版社から刊行して金を取って売る以上は、せめて読める文章にして欲しい。これでは欠陥商品である。私がこの人の身内だったら、恥ずかしいから回収してくれと言う所だ。

まえがきによると、これらは「甦れ美しい日本」なるメルマガに掲載されたものだというからなお驚く。読者は誰も指摘しなかったのだろうか。日本の現状を憂えるのはいいことだが、その前に「正しい日本語」を守って欲しい(笑)。

  
それから、本人がどういう思想を持とうが自由だし、その点はとやかく言う気はないが、誤った偏見や認識不足については正しておく必要があるだろう。

29P  「ブロークバック・マウンテン」評。 「男性観客にすすり泣きの声が聞かれたが、日本にもGAYの時代がやってきたのであろうか」
「…ただひたすら同性愛者の権利だけを拡大していく世界的傾向は、人類本来の生態系を破壊する人類環境の破壊と断ずる主張は、人権至上主義では基本的人権の蹂躙となってしまうのであろうか。」

→ 後の方、明らかに日本語おかしいが、それよりも、この映画を観て泣く観客がいるから、日本にゲイの時代がやって来た…と決め付ける短絡思考の方が問題だろう。後の方など、まるで同性愛をCO2かエボラウイルス扱いだ(笑)。
この作品は、本質的には他人に認められずともひたむきに生きた、人間愛の崇高さ、人生の悲しさを描いた秀作と思うし、私はゲイではないけど感動しましたよ。 allcinemaに掲載されているアマチュア批評の方が奥山氏よりよっぽど的確に作品の本質を捉えている(笑)と言えるだろう。
それと、歴史的に間違ってるのは、日本における男の同性愛なんて、今に始まった事でなく、遥か数百年も昔からあったという事。お稚児さんはその代表だし(森蘭丸もそうと言われている)、衆道とも呼ばれていた。映画では「武士道残酷物語」(今井正監督)、「御法度」(大島渚監督)に具体的に登場しているのをご存知ないか。

「アカデミー賞審査委員会がこれを選ばなかった見識を讃えたい。」などとトンチンカンな事を書いてるが、残念ながら本作はアカデミー以外の各賞(NY批評家協会賞、ゴールデングローブ賞、英アカデミー賞etc.)の作品賞を軒並み受賞しており、選ばなかったアカデミー賞が批判されてる事もご存知ないらしい。もうちょっと調べて書いてはいかかでしょうか。

339P 「殯(もがり)の森」評もヒドい。冒頭で素人の人の会話が聞こえるシーンについて、「素人が演技して、それに金を払うのなら映画監督や映画俳優など必要ないのである。」と書いている。

黒澤明監督の名作「七人の侍」には、主に女性の村人に素人を起用している。家族を殺された恨みで、捕らえた野伏りを鍬で殺そうとする老女を演じていたのも、養老院にいたまったくの素人である。「隠し砦の三悪人」の雪姫役にも、短大生だったズブの素人、上原美佐を抜擢している。降板させられた「トラ、トラ、トラ」でも、山本五十六をはじめ重要な役に、財界人や現役会社社長などの素人を起用した(降板後プロ俳優に交代)。
そもそも映画史的に見ても、「戦火のかなた」「靴みがき」「自転車泥棒」等のイタリアン・ネオレアリズモにおいて、素人が演技しているという事実をこの方はご存知ないのだろうか。上記のような思い込みの断言は、黒澤やロッセリーニ、デ・シーカ監督に失礼である。

345P 「椿三十郎」評では、「世界中何処を捜してもリメイクがオリジナルと同一のものを目指したものはない。」と言い切っている。またまた恥の上塗りである。

映画ファンならすぐに思いつくだろうが、ヒッチコックの名作を、脚本からアングル、カット割りまでそっくりそのままに作った、ガス・ヴァン・サント監督の「サイコ」がまさにその代表。
また、市川崑監督の「ビルマの竪琴」(56→85)、「犬神家の一族」(76→2006)は、いずれもオリジナルと同じ脚本を使ってリメイクされている。最近の「按摩と女」「山のあなた 徳市の恋」もまさしくオリジナルそのまんま(「椿三十郎」公開時にはそのニュースも流れていたはずだが)。
この程度が思いつかなくて映画ファンと言えるのだろうか。

 
いったいどんな方が書いたのだろうと奥付をみたら、なんとまあ、“昭和23年生まれ、京都大学工学部建築学科卒、東京大学経済学部卒。三菱商事、米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て平成12年退社。現在、平河総合戦略研究所代表理事”という、錚々たる経歴の方であった。ちょっと信じられない。何度も目をこすって(笑)確認した。

 
そんなわけで、映画本としてはとてもお奨め出来ない。で、何故紹介したかと言うと、欠陥商品と知らずにうっかり買って、「金返せ!」と怒鳴りたくなる人を増やさない為である(笑)。

まあ強いて言えば、「映画検定」と、「日本語検定」の出題テキストとしてなら、利用価値はあるだろう(笑)。

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2008年6月22日 (日)

映画の本「冬のつらさを -加藤泰の世界」

Fuyunoturasawo 私の30数年来の友人で、ヨコハマ映画祭代表を務める 鈴村たけしさんの執筆による、映画監督・加藤泰の全作品についての解説・作品論をまとめた「冬のつらさを -加藤泰の世界」(ワイズ出版・刊)が発刊された。
今回はこの本についての感想を…。

鈴村さんは知る人ぞ知る、日本有数の熱烈な加藤泰ファンである。13歳の時、加藤監督の「瞼の母」(62)を観て加藤泰作品にハマったそうである。錦之助主演「沓掛時次郎・遊侠一匹」(66)を生涯のベストワンと決め、同人誌にその思いを熱く書き綴り、遂に本人に会う為、遠路はるばるヨコハマから京都まで出かけて行ったり、長時間のインタビューを行って同人誌に掲載したり、その熱意には敬服しきり。数年前にはワイズ出版の「日本カルト映画全集」の1冊として、「沓掛時次郎・遊侠一匹」を責任編集している。

そうした、加藤泰ラブコールの集大成(?)として刊行されたのが本書である。

加藤泰に関する書物としては、ほとんどバイブルとも言える、山根貞男編著による「遊侠一匹・加藤泰の世界」(70・幻燈社)をはじめ、リュミエール叢書「加藤泰、映画を語る」(94・筑摩書房)、「加藤泰映画華」(95・ワイズ出版)、三村晴彦著「『天城越え』と加藤泰」(04・北冬書房)などいくつかあるが、いずれも、加藤泰自身が語っていたり、プロの評論家やゆかりの映画作家たちが書き記したものばかりで、1人で、加藤泰の全作品について作品論を展開したものはこれが初めてであろう。
それを、プロではなく、1熱烈映画ファンが作り上げてしまったのである。しかも堂々、映画関係書を多く刊行しているワイズ出版・刊…である。空前の快挙と言えるだろう。

決して仲間褒めからではなく、これは本当に素晴らしい本である。加藤泰作品に対する、熱い思い入れが伝わって来て、ジンと心に響く。
鈴村さんが最も愛する作品「沓掛時次郎・遊侠一匹」論は、同人誌に掲載されたものも読ませていただいてるが、やはり何度読んでも心うたれる。その他では、「瞼の母」、「みな殺しの霊歌」、「丹下左膳・乾雲坤龍の巻」についての一文も読み応えがある。これほど熱意のこもった作品論は、評論家の文章にも類を見ない。
鈴村さんが、加藤泰本人からお聞きになった事もうまく織り込まれており、加藤泰研究家にとっても資料的価値は大きいと言えるだろう。

褒めてばかりだと贔屓の引き倒しになってしまうので、一つだけ不満を。

加藤泰が、生前映画化が適わず、幻の企画となった「好色五人女」についても書かれてあるが、加藤泰に協力し、この作品の映画化に執念を燃やしていたもう一人の映画人について触れられていない。

その人は、奇しくも先般亡くなった映画評論家の水野晴郎氏。

水野さんは、余程の映画通以外には知られていないが、もっとも早い時期に加藤泰監督を評価した映画評論家なのである。

キネ旬はじめ、いくつかの映画雑誌に、本名の水野和夫名義で加藤泰論を発表している。東映任侠映画についても、熱いオマージュを捧げて来た人である。

テレビの解説で有名になってからは、ほとんどそうした活動は見られなくなったが、「好色五人女」の映画化には加藤さんの生前から尽力されており、その証拠として、一部古書店に出回っている、同作品のシナリオには、“脚本/加藤泰、企画・原案/水野晴郎”とはっきりと書かれてある。
→  http://search.newgenji.co.jp/sgenji/D1/?000105830600/

水野さん自身も、いくつかのインタビューで、「好色五人女」を映画化したいと熱く語っていた。市川崑に監督を依頼しようともしたらしいが実現しなかった。

体調を崩されてからも、「『好色五人女』を映画化するまでは、絶対に死ねない!」とも語っている。
→  http://auctions.yahoo.co.jp/html/entget/200401/sibeex/interview1b.html

この事も、是非書いて欲しかった。そうすれば、この本の出版日(6月17日)の丁度1週間前に亡くなった水野さんの、絶好の追悼にもなった事だろう。

まあそれは私の無いものねだり。この本の価値が下がる事はいささかもない。

映画ファン、特に加藤泰ファン、古い日本映画ファンには是非お奨めしたい1冊である。

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2008年1月16日 (水)

「そして誰も観なくなった」(著者:重政隆文)

Sositedaremo_3映画の本を紹介します。

著者の重政隆文さんは、大阪芸大の教授で、別の肩書は「映画館主義者」。―要するに、映画は映画館でしか観ない、ビデオやDVDでは絶対に観ない…と決めている人である。

私もその主義は同感で、映画批評でも、映画館で観た作品を中心に書いており、ビデオで初めて観た作品は例えいくら感動しても、映画館で観るものとは別物であり、ベストテンの選考には加えないポリシーを貫いている。

しかし重政さんは、絶対にビデオ・DVDで観ないばかりか、“映画に携わる人や、映画について文章を公にしている人が、映画をビデオ・DVDという代用品で済ませている場合”に、これを徹底糾弾するのである。そういう人を、ちゃんと実名を挙げて非難している。いろんな本に書かれている事を丹念に調べ、軒並み厳しくやり込める。立川志らくも槍玉にあげられているし、押井守が映画をほとんど自宅のモニターで見ている事を取り上げ、「映画館で映画を観るという感覚の欠如が『イノセンス』のふがいなさに繋がっているのではないか。もう初心に戻るわけがないから、私は今後もこの監督にはあまり期待しない」と、言いたい放題(笑)である。

これには私も耳が痛い。極力映画館で観ているとは言え、劇場で見逃した作品はDVDで観るし、また昔の名画のDVDを購入する事もあるからである。

重政氏は、旧作を劇場で見る事にも異を差し挟む。「当時の空気を知らずに過去の名画に浸るくらいなら、その時間を同時代の映画を映画館で見ることに使うべきだ」と進言する。つまり、映画はその時代の空気を反映し、その時代と共に生きるものであるから、リアルタイムで観れなかった映画を後から追いかける行為は正しい鑑賞法ではないと言っているのである。確かに正論であるが、私は、古い映画を沢山観る事が、映画をより楽しむ手段…と思っているのでちょっと同意はしかねる所はある。しかし傾聴に値する意見として頭に入れてはおくべきであろう。

氏はまた、映画館の上映環境についても苦言を呈している。スタンダード・サイズの映画をビスタ・サイズで上映したりしていると、文句を言いに行く。それだけでなく、以後も監視しているという。私もこれは実践している。今はTOHOシネマズ梅田に組み込まれているが、OS劇場と呼ばれていた頃、市川雷蔵特集が催された時、「新・平家物語」がビスタ・サイズで上映された。雷蔵の頭がちょん切れ観づらい事この上ない。すぐに劇場に抗議し、次回から必ずスタンダード上映する事を確約させた。

あと、全体の半分を占める、今は無くなったものを中心に、大阪の映画館のついての紹介が読み応えがある。私もほとんどお世話になった場所ばかりである。懐かしさが蘇えり、感慨に耽った。考えれば、シネコンが出来たおかげで、新世界の一部を除き、これらはほとんど消えてしまったのである。大毎地下、戎橋劇場などの素敵だった名画座についても書かれてある。

あと、後半には、映画館について書かれた本についても紹介している。これもなかなかポイントをついた名文である。

映画ファン―特に大阪の映画ファンには必読の書である。定価が税込2,730円とちょっと高いが、それだけの値打ちはある。お奨めです。

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2007年6月27日 (水)

「複眼の映像」(橋本忍・著)

しばらくぶりに、読んだ本の話です。

Fukugannnoeizou 橋本忍と言えば、黒澤明監督「羅生門」「生きる」、映画史上ベストワン「七人の侍」などの傑作、「真昼の暗黒」「切腹」などの問題作、「日本のいちばん長い日」「日本沈没」「八甲田山」などの大作、さらに、松本清張原作「張り込み」「黒い画集・あるサラリーマンの証言」「砂の器」、等々、日本映画界に常に旋風を巻き起こして来た天才的な脚本家である。その橋本忍の自伝が本作である。

ただし、副題に「私と黒澤明」とあるように、これは著者が黒澤明と出会い、そしてどうやってあれらの素晴らしい傑作を生み出すに至ったか、さらには著者がタッチしていない黒澤作品にまで、脚本家の立場からその問題点を的確に指摘しており、言わば本著は、“タッグを組んだ脚本家・橋本忍から見た黒澤明論”なのである。

一介のサラリーマンだった橋本が、いかにして脚本家になったか…その経緯においては、実に数奇な運命の巡り会わせがある。“あの時、病気にならなかったら”、“その病室にあの人物がいなかったら”、“あの名脚本家の弟子にならなかったら”、“橋本の脚本を預かった人物が黒澤と親しくなかったら”、など、どの要素が抜けても名脚本家・橋本忍は生まれなかったかも知れない。 

これらの経緯については、黒澤作品のスクリプターを永年務めた野上照代・著による「天気待ち」にも書かれてあるが、本人が語ると一層の迫力があリ、読み応えがある。

その運命の偶然、事実は小説より奇なりとでも言いたくなるあまりの出来過ぎぶりや、映画「羅生門」完成までのスッタモンダ、国内の思わしくない評価から、松竹作品「白痴」の酷評による失意、そしてベネチア・グランプリ受賞までの波瀾万丈の展開は、まさにどんなフィクションよりもドラマチックで感動的である。これは是非どこかの局でテレビドラマ化して欲しい。

黒澤映画の脚本の成立過程も興味深い。あの名作、「生きる」「七人の侍」等の素晴らしいシナリオがいかにして出来上がったのか、その秘密が本著で初めて明らかになっている。

特に面白いのは、どちらの作品とも、クレジットに共作となっている小国英雄が実際にはほとんど脚本を書かず、橋本と黒澤が書いたものをチェックするだけの立場だったという点である。「横で英語の書物を読んでるだけで、一切筆を執らず、出来上がって来たものに目を通して多少のダメを出すだけだった」そうだ。
しかしむしろ、黒澤自身も小国を“司令塔”と呼んでいるように、的確なジャッジを下す司令官がいてこそ、作品の欠点が補正され、更にいい作品が生まれるのかも知れない。

その次の「生きものの記録」以降は小国も脚本執筆陣に加わり、橋本らと同時進行で脚本作りを行う方式に変更されるのだが、逆に司令塔がいない為に脚本の欠点が是正されず、橋本曰く「この方式により作り出された脚本はみな失敗だった」という事になるのである。戦争でもスポーツでも、高所から全体を俯瞰し、適切な戦略構築を行い、指揮を執る司令官の存在がいかに重要か、よく分かる話である。

「七人の侍」が誕生するまでの経緯もとても興味深い。最初はある侍の一日を淡々と追う話を書いて見たが、この物語では昼の弁当が重要なポイントとなる。ところが舞台となる江戸時代初期にはまだ一日2食が普通だった事を知り、橋本は苦渋の末にこのシナリオをボツにする。

普通のライターだったら「どうせ誰もそんな事知らないのだから構わないさ」とばかりにそのまま押し切るだろう。ところが橋本は「嘘は書けない」と言うポリシーを頑迷に守ろうとするのである。…橋本が何故日本有数のシナリオ・ライターになったか、このエピソードがその理由を物語っている。

後段で面白いのは、黒澤晩年の「影武者」「乱」を、失敗作だと断言し、その原因は脚本チームにあると指摘している点である。自分の商売仲間であっても、悪いものは悪い…と言い切っている辺り、それらの人々が既に鬼籍に入られているとはいえ、なかなか書けるものではない。…これは、己に厳しい橋本であってこそ、そして今なお橋本をしのぐ優れた脚本家が生まれていない現状だからこそ書ける文章であろう。

とにかく、これは映画ファン―とりわけ黒澤映画ファンは必読の本である。あまりに面白くて私は3度も読み返したくらいである。

なお、本著は昨年の、キネマ旬報誌が選ぶ「映画関係書籍ベストテン」で堂々2位にランクされている。まあ当然であろう。

ちなみに1位は、田草川弘氏の「黒澤VS.ハリウッド」(欄外お薦め本参照)。これも私が昨年読んで感銘を受けたノンフィクションの傑作であり、文句のない所である。

それにしても、映画本のベスト1~2位がいずれも黒澤がらみである点もまた興味深い。黒澤明が、いかに偉大な映画作家であったか、この事が証明しているといえるだろう。 (文中敬称略)

 

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2006年7月26日 (水)

「時代劇ここにあり」(川本三郎・著)

Jidaigeki 映画の本の紹介です。

映画評論家・川本三郎さんが、小学館のコミック誌・ビッグコミック・オリジナル等に長期連載されていた、時代劇についての文章(当時のタイトルは「燃えよ!チャンバラ」)を1冊にまとめたもの。

連載中からずっと読ませていただいてましたが、こうやってまとまると、分厚くて読み応えがあるのは無論ですが(なんせ590ページもある!)、取り上げた作品に一貫した流れがあってまた新たな発見があります。

それは、“時代劇”と謳いながら、かなり傾向が偏っているということです。

なんせ、戦前から戦後に至るまで量産され、多くの観客を魅了し、テレビでは今も繰り返し登場する、「旗本退屈男」(市川右太衛門)、「遠山の金さん」(片岡千恵蔵)、「水戸黄門」(月形竜之介)、「銭形平次」(長谷川一夫)などの時代劇ヒーロー・時代劇スターがまったくといっていいほど無視されているのです。また、演じたスターはあまり有名ではありませんが、これも映画・テレビを通じて有名な「清水の次郎長」も登場しません。

この理由は川本さん自身があとがきで書かれていて、「本書は『笛吹童子』、『紅孔雀』によって時代劇を知った世代による時代劇映画論である」とあります。おお!私もまったくその世代の一人です。うーん、親近感が湧きますね(笑)。

さらに川本さんは、「時代劇で好きなのは、一匹狼のアウトローの孤独な戦いを描く、いわるゆ股旅もの…」であり、「股旅ものが好きになると、権力を背景にした、『旗本退屈男』や『遠山の金さん』、『水戸黄門』や『銭形平次』、あるいは個人より組織を描く『清水次郎長』などに興味がなくなってしまうのは仕方がない」 「本書は、股旅もの中心のきわめて偏った時代劇映画論である」と言い切っています。

こうしたポリシーに貫かれているわけですから、登場する作品もユニークです。

Tiyarihuji 最初に取り上げられた作品は、千恵蔵主演、内田吐夢監督の「血槍富士」(55)。身分の低い槍持ちが、主人が殺された事を知るや、憤怒の形相で槍を無茶苦茶振り回し、泥まみれになって闘う。退屈男や遠山の金さんらの型にハマったチャンバラではありません。リアルで凄惨な立回りです。後の東映集団時代劇、さらには実録路線の遠い先駆けであると言えましょう。千恵蔵が登場する作品はこれと、その集団時代劇の最高傑作「十三人の刺客」のわずか2本のみです。徹底してます(笑)。

Sekinoyatappe そして2本目に登場するのが、私の大好きな「関の彌太ッペ」(63・山下耕作監督)。中村錦之助主演の股旅映画の最高傑作と言われている名作です。以後、錦之助や市川雷蔵主演の股旅もの孤独なアウトローものを中心に105本の時代劇映画が紹介されて行きます。

主演スターの統計を取ってみました。なんとまあ、市川雷蔵がダントツの15本!。中村錦之助が12本、三船敏郎が10本…と続きます。雷蔵、錦之助が多いのは、この二人の主演作に股旅ものやアウトローものが多いからでしょう。

監督を集計してみたら、こちらも雷蔵作品が多い三隅研次がダントツの11本。もっとも、雷蔵だけでなく、勝新太郎の「座頭市」2本、若山富三郎の「子連れ狼」4本も含めてですが。
以下、加藤泰6本、岡本喜八森一生内田吐夢各5本…と続きます。

こういう傾向を見ても分かるように、古くからの日本映画…それも、どちらかと言えばプログラム・ピクチャーを中心に観ている人ほど楽しめる作りになっております。

特に感動!したのは、ほとんど世間には知られていない、集団時代劇の最初の傑作「十七人の忍者」(53・長谷川安人監督)を取り上げている事です。脚本は、今や時代小説の第一人者である池宮彰一郎こと池上金男。氏の最初の傑作脚本です。「十三人の刺客」が好きな方には絶対のお奨めです。この映画が分かる方は本当のツウです(笑)。

Juubei その他では、これも集団時代劇の傑作「十兵衛暗殺剣」、沢島忠監督の最後の傑作?「股旅/三人やくざ」、加藤泰・錦之助コンビの「風と女と旅鴉」、石井輝男監督の日本版「地下室のメロディー」-「御金蔵破り」、菊島隆三脚本の竜馬暗殺の謎を探るミステリー時代劇「六人の暗殺者」など、そのチョイスの鮮やかさにはニンマリしっぱなし。雷蔵ものでは、実に軽いコメディ時代劇「浮かれ三度笠」を取り上げているのも嬉しいやら笑えるやら…。

多分、オーソドックスな時代劇ファンからは反撥が出るかも知れません。黒澤明作品ですら3本しか入っていないのですから。

しかし、冒頭でも触れたように、これは川本さんの“一匹狼のアウトローの孤独な戦い”を描いた作品を中心に据えるという一貫したポリシーの元に編纂されているわけですから当然のことなのです。

そういう意味では、読者を選ぶ本であるとも言えます。しかし、遅まきながらも錦之助の「関の彌太ッペ」や、千恵蔵の「十三人の刺客」や、雷蔵の「ひとり狼」などの、プログラム・ピクチャーが最も栄えた1960年代の時代劇の面白さが分かりかけた方にとっては格好の時代劇入門書であると言えましょう。

私的には満足のおススメ本です。

あと、欲を言えば個人的には私の大好きな次の作品も取り上げて欲しかった所ですが…。あくまで個人的な好みの問題ですが。

「鴛鴦歌合戦」(39・マキノ正博監督)…和製シネ・オペレッタの楽しい快作。
「次郎長三国志・海道一の暴れん坊」(54・マキノ雅弘監督)…次郎長ものは取り上げないそうですが、これだけは別格にして欲しい名作です。
「隠し砦の三悪人」(58・黒澤明監督)…痛快波乱万丈冒険大活劇の最高傑作。
「東海道四谷怪談」(59・中川信夫監督)…我が国怪談映画の最高傑作。
「忍者狩り」(64・山内鉄也監督)…集団時代劇の傑作の一本。

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2006年7月13日 (木)

「東京少年」(小林信彦著)

Tokyoboy 久しぶりの、最近読んだ小説のご紹介。

小林信彦さんは、ずっと以前から大のファンです。著作物のほとんどは読んでます。

レパートリーの広い方で、中原弓彦という別名で、ミステリー雑誌「ヒッチコック・マガジン」の編集長をまかされたり、「日本の喜劇人」、「世界の喜劇人」、「おかしな男 渥美清」他の喜劇人たちについての評論集もあれば、ジュブナイル小説「怪人オヨヨ大統領」シリーズ、映画にもなった抱腹絶倒パロディ小説「唐獅子株式会社」シリーズ(映画ファン必読)、パスティーシュ小説「ちはやふる奥の細道」(外国人が間違った日本観で書いたものを小林氏が翻訳した…という設定)、タイムスリップSF「イェスタディ・ワンスモア」もあれば、純文学「ぼくたちの好きな戦争」、そして映画評論、コラムものと実に多彩。どれも独創的で他の追随を許しません。しかも根底には映画、演劇、寄席芸を含めた大衆芸能に対する熱い思いが溢れています。

本書は、これまでも一部で書いて来た、戦争中の学童疎開がテーマです。小林さん自身の12~3歳の頃の体験を描いた、本人によれば、「自伝的作品であるが、自伝ではない」小説だそうです。つまり一部は誇張、フィクションがあるという事です。

小林さんの小説やコラムを読んでると、敗戦後、マスコミや教師が主体性をコロっと変えた(つまり戦争中は国家の戦争礼賛、戦後は民主化推進)ことに根強い不信感を持っており、いまだにマスコミやエラい人(総理大臣も含む)を信用していないようです。そのルーツは、この学童疎開の時代にある事が分かります。

決して、楽しい作品ではありません。しかしあの時代を肌で体験した小林さんならではの思い、そして「今、こんな時代だからこそ書いておかねば」という決意がこちらにも伝わって来ます。何より、“子供の目から見た戦中戦後”という主題がユニークです。
小林さんのファンは無論のこと、終戦前後の時代に興味のある方にお奨めです。

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2006年5月21日 (日)

村上もとか「龍-RON-」

Ron2 今回はマンガです。

コミック誌「ビッグコミック・オリジナル」に、1991年から足掛け16年にも!わたって連載されていた、村上もとかさん原作・画「龍-RON-」が、5月20日発売号でようやく最終回を迎えました。

単行本が、多分最終回分を含めて42巻になりそうです。

「こち亀」や「うる星やつら」などのギャグ漫画は別にして、
一貫したストーリーのある大河ロマンとしては最長記録ではないでしょうか。

なぜこの作品を取り上げるかと言うと、
この作品には、著名な映画関係者が多数登場しているからです。その為、映画ファンの中にもこの漫画を読んでいる方は少なからずいると思われます。

物語は、昭和初期、財閥の家に生まれた風雲児、押小路龍が、迫り来る戦争への流れの中で、貧しい農家出の田鶴ていと深く愛し合い、大陸に渡り、数奇な運命に翻弄され、戦い、終戦後はインドに脱出するまでの波乱万丈の人生を描きます。

その中で登場するのが、満州事変とその首謀者の一人である石原莞爾や、大杉栄虐殺に関わり、後に満州に渡って満映理事長となる甘粕正彦、226事件の首謀者、北一輝などで、さらには魯迅、毛沢東、周恩来なども実名で登場します。

これだけでもスケールの大きなドラマである事が分かりますが、映画ファンとして見逃せないのが、当時の映画人たちで、
まず田鶴ていが才能を見込まれて映画女優となるのですが、そのていの素質を認めて映画女優になるのを勧めるのが大女優・入沢たき子、初出演作の監督がアメリカ帰りのトーマス栗田、会社の重役が、元サイレントのチャンバラ・スター、尾野松之助…と、一応映画関係者はみんな仮名になっております。

ご存知ない方の為に、モデルになった方々を順に挙げますと、
入江たか子栗原トーマス尾上松之助…と言うわけです(と書いても知らない方もいるでしょうね)。

この後、いずれも仮名ですが、溝口健二、岡田時彦、小津安二郎、山中貞雄などが登場します(ちなみに岡田時彦は、岡田茉利子のお父さんです)。

そして、終盤では、田鶴ていは日本初の女流映画監督として、満映で数本の映画を撮ることになります。

こうした物語が、複雑な人物関係や歴史上の事件をふまえながら延々と続いて行くのです。途中で、何時になったら終わるのか…と思うことも何度か(笑)。

ところが、最後の2話くらいで、いきなりポンポンと話が飛んで、突然2001年になって、後日譚が簡単に周囲の人物から語られた後、唐突に最終回を迎えてしまいます

それまでの、悠々たる展開に比べて、この端折り方は何なんでしょうね。もう少し、しみじみとした終わり方を期待していたのに、肩透かしを食らった感じです。

まあそれはともかく、この漫画で、激動の昭和史と、戦前の日本映画史については随分勉強する事が出来ました。村上さんには長い間ご苦労様でしたとねぎらいの言葉をかけておくこととします。

映画ファン、特に山中貞雄とか満映(及び理事長甘粕正彦)に興味のある方には必読の力作であると言えましょう。

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2006年5月14日 (日)

「容疑者Xの献身」(東野圭吾・著)

Suspectx_1

さて、私の読んだミステリー小説のご紹介。

東野圭吾は私のお気に入りの作家の一人である。広末涼子主演で映画化された「秘密」も良かったが、「白夜行」は特に感銘を受けた。人間の運命、苦悩、生き様を長い時間をかけて観察するかのように描いた、格調高い文学作品の香りがする秀作であった。

で、本作だが、こちらは謎解き本格ミステリーである。トリックも見事だが、人物描写も優れていて読み応えがある。そしてこれはまた、天才的な名探偵と、天才犯罪者との知恵比べ対決でもあり、つまりはあの秀作TVミステリー「刑事コロンボ」とよく似た構造を持った頭脳合戦ドラマなのである。

ちなみに本作は、「探偵ガリレオ」に始まる天才学者、湯川学を主人公にした連作ミステリーの一編にして、初めての長編でもある。このシリーズ、どれもアイデアが優れていて、頭の体操に持って来いである。本作も確かによく出来ており、面白いしミステリー・ファンにはお薦めなのだが、直木賞まで取ってしまったのは意外だった。文学的完成度なら「白夜行」の方が上だろうし、むしろそっちで取って貰いたかった。船戸与一もずっと遅れたし、どうも直木賞の授賞はタイミングが毎回遅過ぎる。

そんなわけで、謎解きミステリーとしては楽しめたし、うまくダマされたわけだが、・・・後でよく考えると、ん? てな所がある。
<以下ネタバレ>ですので、原作を読んだ方だけ、下の空白部分をドラッグして反転させてください。
結局、アリバイを作る為に、犯人石神はもう一つの殺人を行う。・・・従って靖子が殺した元の死体をコマギレにして、絶対見つからないように隠すのだが(実際、見つかるようではトリックにならないわけだが)・・・・だったら、元の死体を隠すだけで十分で、なにも第二の殺人を犯す必要はないではないか死体が見つからなければ、行方不明になっただけで、いくら警察が来ようとも靖子は知らん顔をすればよいのだから。
まあ、テーマは、石神が靖子と同じ罪を犯す事で、題名通り“献身”を果たしたという事なのだろうし、作者が思いついた巧妙なアリバイトリックを披露する為にはそんな矛盾もアリかも知れないが…。

とまあ、突っ込んではみたけど、うーん、それ言っちゃ身もフタもないですかねぇ(笑)。

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2006年5月 6日 (土)

「ブレードランナーの未来世紀」

Eiganomikata_1 このブログでは、映画批評だけでなく、私の読んだ本でお薦めのものも取り上げることにしている。そう言いながら今まで書いて来なかったのは、第1回目に何を取り上げるか迷っていたからである。ミステリー小説、SF小説、ファンタジー、泣ける小説、映画評論、エッセイ・・・・いろいろあって本当に迷う。

で、結局、欄外「おススメの本」で最初に紹介した本書を取り上げることにした(初めからそうせんかい(笑))。

著者は町山智浩。この人は私のお気に入りの評論家で、とにかく紹介する作品や文章が実にユニーク、独特の視点を持っており、いつも感心させられている。「そういう見方もあるのか…」と目からウロコが落ちる思いである。
本ブログのサブタイトル「いろいろ視点を変えてみれば、映画はもっと楽しくなる」も、実は町山氏の著作に触発されて決めたようなものである。そういう意味で、第1回に取り上げるに相応しいと言えるかも知れない。

本書は、3年前に町山氏が出した「<映画の見方>がわかる本」の、シリーズ第2弾にあたるもので、前回では、1968年から78年にかけてのいくつかのアメリカ映画を取り上げている。作品名は 『2001年宇宙の旅』 、『俺たちに明日はない』、『卒業』、『イージー・ライダー』 、 『フレンチ・コネクション』、『ダーティハリー』 、『時計じかけのオレンジ』 、『地獄の黙示録』、 『タクシードライバー』、 『ロッキー』、 『未知との遭遇』・・・等々、アメリカン・ニューシネマからSF大作まで、この10年間のアメリカ映画の変遷が綴られている。

が、作品タイトルは幾分オーソドックスでも、料理の仕方がそこらの映画評論とは切り口がちょっと違う。アメリカ各地を実際に渡り歩き、知られざる製作エピソードを収集し、監督の実態に迫り、映画が本当に言わんとしているポイントを着実に追及してくれる。
『2001年宇宙の旅』や『地獄の黙示録』などの一般に難解と言われている作品についても、実に分かり易く解説されており、一読の価値はある。…まあしかし、あくまでこの人の視点であり、賛同するかしないかはあなた自身で考えてください。

・・・前置きが長くなったが、本作はその後の、1980年代のアメリカ映画、―それもややマニアックな作品が取り上げられている。

取り上げた作品は、『ビデオドローム』、『グレムリン』、『ターミネーター』、『未来世紀ブラジル』、『プラトーン』、『ブルーベルベット』、『ロボコップ』、『ブレードランナー』・・・と、どちらかと言えばカルトっぽい題名が並ぶ。『ビデオドローム』なんかはあまりの難解さに劇場未公開となったものである。実は私も、まだレンタルビデオが出始めの頃、これを借りて観ている。確かにさっぱり分からない。…がリック・ベイカーのSFXだけは(低予算でCGもない時代だが)ショッキングで強烈に印象に残った。本書を読めば、その比喩するものが解説されており、これを読んだ後に観ればより楽しめるかも知れない。…しかし本書には、監督のクロネンバーグ自身「作った当時は自分でも意味不明だと思った」と告白したと書かれてある。なんのこっちゃい(笑)。

以下、さまざまな資料も駆使して、映画作家たちが何をどう考え、苦悩や試行錯誤の果てにいかにしてこれらのカルト傑作映画を生み出すに至ったかが詳細に解説されている。映画の中で、どうしても分からなかった疑問点も解答してくれているのは特にありがたい。
例えば、『ブレードランナー』で、屋台のオヤジがハリソン・フォードに日本語で「二つで十分ですよ。わかってくださいよ」という、その二つとは何か…という疑問にも答を出している。なるほど、そうだったのか(知りたい方は本書をお読みください)。

町山氏は、自身が企画した雑誌『映画秘宝』でも相方の柳下毅一郎氏と、まるで漫才の掛け合いのように対談で映画を切るコーナー「裁くのは俺たちだ!」を連載しており、これもウンチクとボケと突っ込みでいつも楽しませてもらっている。

まあ、人によっては好き嫌いが分かれるかも知れないが、とにかく「映画をいかに楽しむか」という視点は私と共通しており、個人的にはこの人の文章は大好きである。映画をもっと楽しみたいと思っている方(特にSF、ファンタジーが好きな方)は、一読のほどを。

シリーズ1作目です
町山/智浩∥著: <映画の見方>が分かる本

<映画の見方>がわかる本

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