「超★映画評-愛と暴力の行方」
ただし今回は、お奨めではなく、逆にお奨め出来ない(と言うか買ってはいけない(笑))本である。
その本は、「超★映画評-愛と暴力の行方」(2008・扶桑社刊/著者:奥山篤信)。
タイトルはなんだか、前田有一氏の「超映画批評」とまぎらわしいが(現に、私は最初てっきり前田氏の本だと勘違いしてた)、一応ここ数年の新作映画評をまとめたものである。
で、買おうか迷ったが、とりあえず本屋で立ち読みしてみたら…
なんだなんだこの本は!のっけから「テニヲハ」がなってなく、日本語がおかしい。意味が分からない文章多し。おまけに人名表記が不統一、そして明らかに間違いが多い。とにかく校正ミスが無茶苦茶多い。
私はあきれて買う気をなくした。こんなデタラメな本は見たことがない。
インターネット書店で、この本について検索してみたが、驚いたことに、感想、書評がまったくと言っていいほどアップされていない。
おそらくは、私のように買うのを躊躇した人が多いのか、買ってもあきれて感想を書く気も失せたのかも知れない。
やっと、アマゾンに1件だけ感想が書かれていたのを見つけたが、まさに私の感じた通りだったので、そのまま紹介しておこう。
「著者の思想や信条がどうであろうと構わないのですが、まず商業ベースに乗せられる文章ではないと思います。例えば「ヒストリー・オブ・バイオレンス」評の冒頭。「この映画は鑑賞後、数日経っても脳裏から強烈なインパクトが残る」。なんですか、これは? その他にも「てにをは」めちゃくちゃ、主語がどこにも落ちない、意味不明な文章など、校正をしながら読んだら真っ赤になってしまいました(唯一、安心して読めるのは「ブロークン・フラワーズ」評のみ)。こんなレベルの本を1800円で売るなんて、出版社にも責任ありです。再販かかるようなら、きっちりチェックと校閲をお願いします。」―無論、評価は★1つ(笑)である。
大多数の人が同じように思ったに違いない(信じられない人は一度立ち読みしてください(笑))。
しばらくはこの本の事も忘れていたが、たまたま図書館にあったので借りてきた。そして上記感想の方と同じく、校正してみたら、出るわ出るわでたちどころに100箇所以上!の間違いを見つけた(笑)。ざっと読んだだけだから、ちゃんと読んだらもっと出るに違いない。
以下、どんなに酷いか、検証結果を以下に挙げてみる。
①作品評冒頭に、それぞれスタッフ・出演者名が紹介されているが、本文と表記が一致しないものがやたら多い。
例:14P (紹介)渡辺謙 → 15P (本文)渡邊謙
332P (紹介)渡辺淳一 → 332P (本文)渡邊淳一 (正しくは 渡辺)
122P (紹介)バレリア・ゴリノ → 123P (本文)ヴァレリア・ゴリノ
(紹介)スティーブン・XXX → (本文)スティーヴン・XXX (多数)
他にもほとんど、紹介:バ ビ ブ ベ ボ → 本文:ヴァ ヴィ ヴ ヴェ ヴォ となっている。―つまりはご本人は、スペルが“V”のものは“ヴ”で表記したいのだろう。なら紹介も同じにしたらいいだろうに(そのくせ「ブラックブック」の監督名は本文でも“ポール・バーホーベン”で済ませている。ポリシーに沿うなら“ポール・ヴァーホーヴェン”にすべきだろう。実際、はてなダイアリー、キネマ旬報では後者で表記されている)。
②本書の中で、同じ人名、作品名が別の箇所では違う表記になっている。
例:126P 「ディパーテッド」 → 7P (目次)、344P (本文)「ディパーティッド」
53P 「ドリームガールズ」 → 141P 「ドリーム・ガールズ」
132P 「ドリームガール」 (“ズ”が抜けてる)
126P (紹介・本文)マーティン・スコセッシ → 344P (本文)マーチン・スコシージ
③外国人名で、名と姓の間の“・”が省略されているもの多し。
例:28P アンリー → アン・リー
146P エバブラウン → エヴァ・ブラウン
235P アルパチーノ → アル・パチーノ
作品名でも同じようなケースあり。
例:109P 「ロストイントランスレーション」 → 「ロスト・イン・トランスレーション」
118P “ダイハード・シリーズ” → 「ダイ・ハード」シリーズ
ちょっと無頓着過ぎないか。
④人名の誤りも目に付く。 →の後ろが正解。
27P テリー・マクマートリー → ラリー・マクマートリー
138P リュックブレッソン → リュック・ベッソン
ご丁寧に③とダブルミス。
ロベール・ブレッソン監督と勘違いしてますね(笑)。
207P ローゼン監督(2箇所) → (ロバート・)ロッセン監督
290P 小沢柾爾 → 小澤征爾
これも場所によって小沢になったり小澤になったり忙しい。
323P 仲代達也 → 仲代達矢
332P 夏八木薫 → 夏八木勲 (薫…って)
ちょっと酷いのが、 343P 「元岸部シローである岸部一徳」(笑)
テレビも芸能週刊誌も見ない私でも、岸部一徳の元の名前は“岸部修三”で、岸部シローは彼の弟で自己破産した人である事ぐらいは知っている。失礼な話だ。あいた口がふさがらない。
⑤作品名の間違い。
180P 「硫黄島から来た手紙」 → 「硫黄島からの手紙」
⑥ディティールの記憶違い。
216P 「圧巻はラストシーン、まるであの名画『カサブランカ』の雨に濡れる飛行場の別れの場面と似せて…」
→ 「カサブランカ」のラストに雨は降っていない。霧がかかってるだけ。
⑦用語の解釈違い
216P 「飛行機のドアが閉じられてサントラのドラマチックなダダダダーンという表現もそのもの。映画ファンにとってはやめられないアイロニーである。」
→「サントラ」とは、「サウンド・トラック」の略で、「映画フィルムの縁にある録音帯」のこと。映画音楽CDなどで、映画に使用された音楽を収めたCDを「サントラ盤」という使い方をする。ここで使う用語としては不適切。「劇伴」、「バックグラウンド・ミュージック」等とすべき(て、なんで私が解説しなきゃいけないのか(笑))。
「やめられないアイロニー」という使い方もおかしい。アイロニーは「皮肉」でしょう?それを言うなら、「映画ファンにとってはこたえられないリスペクト(又はオマージュ)・シーンである。」くらいではないか。
345P 「黒澤は椿の赤い色を白黒でどう表現するか悩んだといわれ、研究の結果赤をそのまま映写するより、黒く塗ったものを写す方がモノクロでは赤のイメージが強烈にでることが分かったのである。」
→?「映写」じゃなくて、「撮影」、「写す」より「撮る」が正しいと思うが。
⑧そして問題なのが、「テニヲハ」その他日本語の乱れ。あまりに多いので、一部だけ抜粋する。
17P 「本物の日本人のごとく演技であった。」 → ごときでは?
19P 「なんとか娘を金持ちに嫁がせようと、お喋りで品格のまるでない井戸端会議のオバタリアンの母親と、(略)父親の無言の中の気高さと優しさ。」 (さっぱり分からん(笑))
26P 「男性には本来的に暴力があり、それを補うものとして男の優しさと労りがある。その本来的暴力を、戦後絶対的タブーとして去勢化された日本男子が、却って凶悪で陰湿な暴力を生み出しているのである。」
51P 「新宿までが美しくなるほど新鮮な感覚で中年男と若い女性の愛を見事に描いた。」 →美しく見えるでは?
130P 「このダイヤを巡っての壮絶なドラマが切り落とされる。」
ドラマは切り落とすもんじゃないだろう。正しくは「ドラマの幕が切って落とされる」。
137P 「いくら日本のやくざを描くにも、一家皆殺し放火する悪逆非道を画いており、…」
文章もおかしいが、後ろは「描いて」に統一すべき。
145P 「従事しなかっとという点で、…」
211P 「それに一部の美しいバロック風の建物群がなど、(略)悪いことには焼け野原に建てられたあの低俗な共産主義様式の建築の氾濫している。」(絶句…)
⑨途中で欠落したのか、意味不明な文。
a) 17P 「SAYURI」評。「超一流芸者になるための手ほどきの場面なども、「荒野の用心棒-七人の侍」などで見られるアメリカ映画的手法であり、誰にでもわかりやすくとても面白いと思う。」
??「アメリカ映画的手法」が何なのか不明。「荒野の用心棒」と何の関係が? “-”の意味は?少しも「わかりやすく」ない。
b) 126P 「それは二十年前幼少だったXXXと△△△の人間の情(なさけ)が重なり合うのである。」
?? 名前が分からず、後で埋めるつもりだったのだろうか?。こんなの、校正で気がつけよ。
c) 127P 「せいぜい、当時ボストンで抑圧されていたアイルランド系がケネディを契機にやっと日の目をみた背景のなかでのアイルランド系マフィアを描いているという点が…」 お手上げ…誰か教えて。
………
まったく、あきれたもんである。素人のブログの文章でも、ここまで酷くはない。出版社から刊行して金を取って売る以上は、せめて読める文章にして欲しい。これでは欠陥商品である。私がこの人の身内だったら、恥ずかしいから回収してくれと言う所だ。
まえがきによると、これらは「甦れ美しい日本」なるメルマガに掲載されたものだというからなお驚く。読者は誰も指摘しなかったのだろうか。日本の現状を憂えるのはいいことだが、その前に「正しい日本語」を守って欲しい(笑)。
それから、本人がどういう思想を持とうが自由だし、その点はとやかく言う気はないが、誤った偏見や認識不足については正しておく必要があるだろう。
29P 「ブロークバック・マウンテン」評。 「男性観客にすすり泣きの声が聞かれたが、日本にもGAYの時代がやってきたのであろうか」
「…ただひたすら同性愛者の権利だけを拡大していく世界的傾向は、人類本来の生態系を破壊する人類環境の破壊と断ずる主張は、人権至上主義では基本的人権の蹂躙となってしまうのであろうか。」
→ 後の方、明らかに日本語おかしいが、それよりも、この映画を観て泣く観客がいるから、日本にゲイの時代がやって来た…と決め付ける短絡思考の方が問題だろう。後の方など、まるで同性愛をCO2かエボラウイルス扱いだ(笑)。
この作品は、本質的には他人に認められずともひたむきに生きた、人間愛の崇高さ、人生の悲しさを描いた秀作と思うし、私はゲイではないけど感動しましたよ。 allcinemaに掲載されているアマチュア批評の方が奥山氏よりよっぽど的確に作品の本質を捉えている(笑)と言えるだろう。
それと、歴史的に間違ってるのは、日本における男の同性愛なんて、今に始まった事でなく、遥か数百年も昔からあったという事。お稚児さんはその代表だし(森蘭丸もそうと言われている)、衆道とも呼ばれていた。映画では「武士道残酷物語」(今井正監督)、「御法度」(大島渚監督)に具体的に登場しているのをご存知ないか。
「アカデミー賞審査委員会がこれを選ばなかった見識を讃えたい。」などとトンチンカンな事を書いてるが、残念ながら本作はアカデミー以外の各賞(NY批評家協会賞、ゴールデングローブ賞、英アカデミー賞etc.)の作品賞を軒並み受賞しており、選ばなかったアカデミー賞が批判されてる事もご存知ないらしい。もうちょっと調べて書いてはいかかでしょうか。
339P 「殯(もがり)の森」評もヒドい。冒頭で素人の人の会話が聞こえるシーンについて、「素人が演技して、それに金を払うのなら映画監督や映画俳優など必要ないのである。」と書いている。
黒澤明監督の名作「七人の侍」には、主に女性の村人に素人を起用している。家族を殺された恨みで、捕らえた野伏りを鍬で殺そうとする老女を演じていたのも、養老院にいたまったくの素人である。「隠し砦の三悪人」の雪姫役にも、短大生だったズブの素人、上原美佐を抜擢している。降板させられた「トラ、トラ、トラ」でも、山本五十六をはじめ重要な役に、財界人や現役会社社長などの素人を起用した(降板後プロ俳優に交代)。
そもそも映画史的に見ても、「戦火のかなた」、「靴みがき」、「自転車泥棒」等のイタリアン・ネオレアリズモにおいて、素人が演技しているという事実をこの方はご存知ないのだろうか。上記のような思い込みの断言は、黒澤やロッセリーニ、デ・シーカ監督に失礼である。
345P 「椿三十郎」評では、「世界中何処を捜してもリメイクがオリジナルと同一のものを目指したものはない。」と言い切っている。またまた恥の上塗りである。
映画ファンならすぐに思いつくだろうが、ヒッチコックの名作を、脚本からアングル、カット割りまでそっくりそのままに作った、ガス・ヴァン・サント監督の「サイコ」がまさにその代表。
また、市川崑監督の「ビルマの竪琴」(56→85)、「犬神家の一族」(76→2006)は、いずれもオリジナルと同じ脚本を使ってリメイクされている。最近の「按摩と女」→「山のあなた 徳市の恋」もまさしくオリジナルそのまんま(「椿三十郎」公開時にはそのニュースも流れていたはずだが)。
この程度が思いつかなくて映画ファンと言えるのだろうか。
いったいどんな方が書いたのだろうと奥付をみたら、なんとまあ、“昭和23年生まれ、京都大学工学部建築学科卒、東京大学経済学部卒。三菱商事、米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て平成12年退社。現在、平河総合戦略研究所代表理事”という、錚々たる経歴の方であった。ちょっと信じられない。何度も目をこすって(笑)確認した。
そんなわけで、映画本としてはとてもお奨め出来ない。で、何故紹介したかと言うと、欠陥商品と知らずにうっかり買って、「金返せ!」と怒鳴りたくなる人を増やさない為である(笑)。
まあ強いて言えば、「映画検定」と、「日本語検定」の出題テキストとしてなら、利用価値はあるだろう(笑)。
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