2008年5月 6日 (火)

「相棒」 TV版第1回

Aiboutv 映画「相棒-劇場版-」公開にタイミングを合わせて、テレビドラマ「相棒」の初回放送分(2000年製作)が放映された(5月3日)。

私は、テレビドラマはほとんど観ないのだが(昨年観たのは黒澤リメイク2本と「点と線」だけ。で、なんとか及第点は「点と線」だけだった)、「相棒」は評判が良かったようなので、映画を観る前の予習として観る事にした(裏番組がビデオ必録の黒澤「椿三十郎」なのがもったいない。どうでもいいが、昨年観た3本もこれも全部テレビ朝日作品ばかり(笑))。

簡単に言えば、2人組の刑事の活躍を描く刑事ドラマ。いわゆる“バディ(相棒)ポリスもの”と呼ばれるジャンルであるので、題名はまさにピッタリ。

刑事ドラマでは定番で、古くはアメリカ・TVドラマ「刑事スタスキー&ハッチ」などがあり、日本では松田優作・中村雅俊「俺たちの勲章」から「あぶない刑事」に至るまで多数ある。映画でも「リーサル・ウエポン」シリーズとか、ジャッキー・チェンの「ラッシュアワー」などが目新しいところ。…しかし原典を辿れば、黒澤明監督の「野良犬」(1949)に行き着く事になる。やっぱりクロサワは偉大である。

本作がちょっとユニークなのは、2人のキャラクターがまったく対照的な事。水谷豊扮する杉下右京は、いつも冷静沈着で頭脳が冴えるクール型。一方の寺脇康文扮する亀山薫は、よくあるタイプの直情型熱血漢で、ややおっちょこちょいのホット型…。言ってみれば、古畑任三郎と、あぶデカの大下(柴田恭兵)がコンビを組んだようなものである。この設定が、これまでのバディ刑事ドラマとは一線を画している。

しかし、黒澤の「野良犬」も、よく考えれば熱血直情タイプの村上(三船敏郎)と、ベテランで沈着冷静な佐藤(志村喬)というコンビだったので、製作側にも、黒澤作品が頭にあったのかも知れない。

そう思っていたら、本作の冒頭、亀山刑事が指名手配中の犯人に逆に捕まり、人質となった時、杉下が携帯で亀山にアイデアを授け、見事犯人を逮捕するシーンがあるが、これは黒澤の「七人の侍」で、島田勘兵衛が人質を取って立て篭もる強盗を見事な策略で退治するシーンを彷彿とさせる。奇しくも、沈着冷静な勘兵衛を演じたのがやはり志村喬。…う~む、やっぱり本作は黒澤オマージュなのかも知れない(笑)。

で、このツカミで2人のキャラクターを際立たせ、亀山が左遷されて杉下のいる“特命課”に配属されるきっかけともなる。この出だしもなかなか快調。

ドラマが本筋に入ると、亀山が殺人事件に巻き込まれ、謎を解明するうちに、杉下の頭脳と見事な観察眼によって、意外な黒幕が明らかになる。この謎解きシークェンスも、古畑任三郎、もしくはその原典である「刑事コロンボ」を思わせる。

亀山の軽妙なセリフ回し、彼と、いつも飄々としている杉下との掛け合いも楽しいし、そして彼らを取り巻く脇役陣もなかなか多彩で、しかも、(1作目を観る限りだが)警察内部の不正・腐敗に対する批判も込められているようで、凡百の「土曜ワイド劇場」ドラマの中では抜きん出た存在である。人気を博して6シーズン、8年も続く人気ドラマ・シリーズとなったのも分かる気がする。見逃していたのが、ちょっともったいない。今からでも追いかけて観たくなる。

ただ、テレビドラマとしては面白いが、映画化しても面白いかどうかは未知数である。淡々とした、渋い人間ドラマが持ち味であるように思われるし、どちらかと言えばテレビサイズでこそ魅力が引き立つ素材のような気がする。その点が懸念材料ではある。―映画化するとすれば、例えば、同じく水谷豊が刑事を演じた、市川崑監督による佳作「幸福」のような味が出れば良いのだが…。

ともあれ、劇場版「相棒」に期待いたしましょう。

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2007年11月28日 (水)

「点と線」

Tentosen_3 11月24日~25日の2夜にわたってTV朝日系で放映された、松本清張原作「点と線」を観た。

TV朝日のドラマと言えば、9月に放映された、黒澤明監督作品のリメイク「天国と地獄」「生きる」が記憶に新しいが、どちらもガッカリする出来であっただけに、少々不安ではあったのだが…(とりわけ「生きる」は酷かった。松本幸四郎が超ミスキャスト。65才とは思えない、元気で若々しい姿に、「君はどうしてそんなに若くいられるのだ」という劇中のセリフをそのまま本人に返したくなったよ(笑))。

観終わっての感想― 予想以上に面白かった。最近のテレビドラマでは(と言ってもそんなに観てはいないが)水準以上の出来であった。推理ミステリー・ファン、特に原作ファンの方にはお奨めである。

面白かった原因を挙げるなら、まず原作が非常に良く出来ていて、巧妙に仕組まれたアリバイを刑事たちが地道な努力で一つ一つ解明して行くプロセスがスリリングで、舞台が昭和32年という古い時代であるにもかかわらず、まったく古臭さを感じさせない点である。CGも駆使した、昭和32年当時の風景や小道具等も、「三丁目の夕日」とまでは行かないがよく頑張っている。また現存するSLが何種類か登場するのも楽しい。

特に、出入りの業者と政治家・官僚が結託した省庁の汚職事件、という背景が、現在の防衛省を舞台とした事務次官と山田洋行元専務との接待・癒着事件とドンピシャリ符合するというタイムリーさもあって、50年前も今も、汚職の構造はまったく変わっていない事を再認識させられた。笑うのは、額賀財務大臣が宴席にいたというアリバイと、野党側がそれをどう崩すかという、まさにドラマを地で行く展開で、テレビ局側もまさかこんな事になるとは、ドラマを企画した時点では夢にも思わなかっただろう(笑)。

もう一つは、ビートたけし扮する、博多署の刑事、鳥飼重太郎のキャラクターを、原作よりもかなり膨らませた点である。原作では鳥飼は、最初の方に少し出て来るだけで、東京にも行っておらず、捜査は若い三原刑事が1人飛び回り奮闘する。またドラマでは鳥飼は妻を亡くしているが、原作では健在である。鳥飼が戦争でグラマンの機銃掃射を受け、弾がまだ体内に残っているという設定も原作にはなく、ドラマの創作である(脚本は竹山洋)。

この鳥飼が、よれよれの背広に帽子と、見かけは冴えないが、些細な疑問(特急の食堂車の領収書など)から、事件は心中ではなく殺人だと見抜き、鋭いカンと地道な捜査でアリバイを突き崩して行く…という展開に、これはまるで「刑事コロンボ」だ、と思ったのだが、原作でも「よれよれのオーバーを着た、痩せた風采の上がらぬ男」「洋服もくたびれていた」と書かれてあり、また犯人が会社社長というステータスの高さを持ち、巧妙なアリバイ・トリックを考案したり、鳥飼らの捜査や尋問で犯人側が少しづつ馬脚を現わして行く展開といい、もうほとんどこれは「コロンボ」の原型と言っていいかも知れない。ドラマでも鳥飼が「私は最初から怪しいと思ってました」と、コロンボとそっくりのセリフを言ってるし…(しかし原作を知らない視聴者は逆に「これはコロンボのパクリだ」と思うかも知れない(笑))。

まさか、リチャード・レヴィンソンとウィリアム・リンクの二人、この小説をヒントに「刑事コロンボ」の原案を作り上げたのでは…と余計な事まで考えてしまった(多分海外でも翻訳されているはず)。

ただドラマではこの鳥飼が、カッとなると無茶苦茶暴れて三原をぶん殴り、刑事たちと大乱闘するという具合に、ほとんど「その男、凶暴につき」状態となる(笑)のはちょっとやり過ぎ。すごく頭が冴えてる名探偵なのだから、暴力を振るってはキャラクターぶち壊しである。

また冒頭とラスト、中間に、現在(50年後)の三原(宇津井健)と鳥飼の娘(池内淳子)が登場するのも不要。大して登場させる意味もないし、流れが寸断され逆効果である。

真相は究明したものの、結局政界の巨悪はヌクヌクと生き延び、「悪い奴ほどよく眠る」決着に鳥飼が三原に怒りをぶつけるエンディングも、どうも座りがよろしくない。三原にあたっても仕方ないのだから。
どうせならラストは、三原が、国会議事堂をキッと睨みつける…という風に「誇り高き挑戦」(政財界の黒い霧を描いた深作欣二監督の秀作)のラストそのまんまにすれば、今の政界への皮肉にもなって面白かったのですがね(笑)。

まあそういった不満はあるが、脇役に至るまで贅沢な出演者の顔ぶれに、警視庁の刑事たちが次第に鳥飼の人間性に尊敬の念を抱いて行くプロセス(博多に帰る鳥飼に、刑事たちが深々と頭を下げるシーンが感動的)…がなかなか見応えがあり、1・2部合わせて4時間半という長時間にもかかわらず、ダレることなく面白く観れた。

脇役では、博多署の捜査課長・平泉成、田中係長・小林稔侍、警視庁の笠井係長・橋爪功、お時の母・市原悦子―がそれぞれベテランらしい味のある巧演。ただ安田辰郎役の柳葉敏郎はちょっと貫禄不足。もっとうまい役者を持って来るべきだった。

 

(参考)
原作は昭和32年から33年にかけて、雑誌「旅」に連載された。旅行雑誌なので、主人公たちは日本中を旅する訳である。なお、トリックに使われる時刻表は、昭和32年当時の本物の時刻表通りである。なお昭和33年には東映で映画化もされている(監督・小林恒夫)。

後に、西村京太郎や島田荘司が発表しベストセラーとなった“トラベル・ミステリー”は、すべて本作が原典だと言えよう。
アリバイ・トリックの秀逸さといい、コロンボへの影響(?)といい、本作はいろんな点で推理サスペンス・ミステリーの古典と言える傑作である。

細かい事だけど、ドラマの中で、香椎駅前の踏切で電動式遮断機が出て来るが、当時はまだそんなものはなく、踏切の近くに必ず小屋が設置され、踏切番の職員が手動で遮断機を上げ下げしていたはずである。

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2007年9月 9日 (日)

テレビ版「天国と地獄」

テレビ朝日系で9月8日に放映された、黒澤明監督作品のドラマ化「天国と地獄」を観た。

Tengoku2_2  私はテレビドラマはほとんど観ない。忙しくて時間がない事もあるが、正直言ってつまらない作品が多いからである。積極的に観ているのは、三谷幸喜脚本作品くらいだろう。

そんな私が観る気になったのは、演出が鶴橋康夫さんだったからである。この人の演出なら、まあ酷い出来にはならないだろうと思った。

で、観終えての感想…。さすがオリジナルがずば抜けて面白いだけあって、それなりに鑑賞に耐える出来になっていた。

元の脚本(黒澤明・菊島隆三・久板栄二郎・小国英雄)をほとんどそのままに使っていたが、やはり名シナリオである。改めて凄さに敬服した。今の時代、これほどの脚本を書ける人はまずいない。

本作を観て再認識したのは、窮地に追い込まれた人間が、そこでどう苦悩し、どんな葛藤を経て人生最大の決断するに至ったか、そのプロセスが実に無理なく、きめ細かに描かれていた点である。

自分のお抱え運転手の子供が、自分の子供と間違われて誘拐され、その身代金を自分が出さなければならなくなる。しかもその金は全財産を投げ打って会社乗っ取りの為に用意したものである。身代金を渡せば自分は破滅する。最初は他人の為に金なんか絶対出さないと突っ撥ねていた権藤(佐藤浩市)が、自分の妻や運転手に懇願され、片方では権藤の片腕の部下、河西からは絶対出すな…と説得され、両者の間で心が揺れ動く、その人間のエゴと良心の相克、人間感情のぶつかり合いがスリリングで一瞬たりとも目が離せない。

この物語が面白いのは、単なるサスペンス・ドラマを超えて、自分がもしそうした状況に直面した場合、いかなる決断をしなければならないか ――  人は他人の為にどこまでしてやれるのか ― を一緒になって考えさせられ、そしてテーマとして浮かび上がるのは、“人間とは、人間の良心とは何なのか”という点に行き着く、奥の深さである。

鶴橋演出も、そのテーマの重要さを認識していると見え、この部分にかなり力が入って、見応えあるシークェンスとなっている。―その為、時間の制約で後半の捜査会議や、刑事たちが足でコツコツと犯人の足取りを追う部分がかなりカットされているのは残念である。尤も、それらを描いていたらCM入れて3時間くらいはかかってしまうだろうが。

難点もいくつか。まず主役の権藤を演じる佐藤浩市。線が細くて叩き上げの常務取締役には見えず貫禄不足である。それに時代の違いもあるが「ワシだって金を出してやりたい。だがどうにもならんのだ」という大時代なセリフには似合わない。犯人の竹内役、妻夫木聡も、貧乏が身に染み付いて心が荒んだ、冷酷非情な犯人には見えない。まあ今の時代、そんな役者を探すのは困難である事は認めるが…。

現代を舞台にするには、いくつかの無理もある。オリジナルでは暑い夏の最中、汗だくになって歩き回る刑事や、額に脂汗を浮かべている犯人…等が描かれていたが、舞台が小樽という事もあってか、みんな涼しそうで、汗まみれの人物はいなかったように思う。だいたい当時と違い、今時どんな安アパートだってクーラーはついてるだろう。だから、オリジナルでは説得力があった犯人のラストのセリフ、「僕のアパートの部屋は、冬は寒くて寝られない。夏は暑くて寝られない」(これが動機に繋がる)がどうにも浮いてしまうのである。

Highandlow オリジナルでは、汗だくで歩き回る刑事が権藤邸を見上げて思わず「ホシの言い草じゃないが、ここから見るとあの屋敷は腹が立つな」とつぶやいてしまうシーンがあるが、刑事ですらそう吐き捨てたくなるほど、当時は金持ちの大邸宅が大衆のやっかみの対象だったのである。ほとんどの国民が中流意識を持ってしまった現代では、その感覚は到底理解出来ないだろう。その点でも犯人の動機がいま一つ弱く説得力を持たない。

さすがに、映画にあった、裏通りに入れば貧民窟やヘロイン中毒患者の吹き溜まり…等はカットされているが、それでもネットでドラッグが簡単に手に入る時代、犯人の手足となったヘロイン中毒者夫婦が、分け前の金があるのに竹内に対して「ヤクをくれ」と脅迫するのはどう考えてもおかしい。

オリジナルでは、かなりユーモラスな会話ややり取りがあって、重苦しい話の息抜きになっていたが、それらがことごとくカットされていたのはどうしてか?(例えば田口刑事のセリフ「ひでえもんだ。裏の塀から出たり、また戻ったり、これじゃ刑事なんだか泥棒なんだか分かりゃしない」、「いいか、デカってツラすんじゃねえぞ」「僕は大丈夫ですけど、ボースンのその顔は整形手術でもしないとね」)あるいは、電車の音から路線と車種を擬音入りでユーモアたっぷりに解説する駅員(沢村いき雄。絶妙)、ラストで金は戻ったものの、権藤の家財は差押競売され、ソファに赤紙が張られ刑事たちが思わず腰を浮かす場面…等々。その度に大笑いしたものである。

こうした、緩急自在の演出が作品に厚味をもたらしていたのだが、鶴橋さんは真面目すぎるのだろうか。私には一本調子に感じられてちょっと残念であった。

 

まあそんな訳で、オリジナルを知らなければそれなりに緊迫感に満ちた、今のテレビドラマの中では水準以上の出来にはなっていたが、やはり黒澤作品の方が何倍も面白いし何度見直しても堪能出来る(まあ黒澤作品と比べるのが度台無理なのだが)。未見の方は、是非レンタルビデオでもいい、黒澤作品を観る事をお奨めする。

9日の「生きる」はどうにも観る気が起きないですね(笑)。

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