2017年10月 9日 (月)

テレビ「やすらぎの郷」

Yasuraginosato半年間の昼帯ドラマとして話題となっていた「やすらぎの郷」(TV朝日系)が9月末で終了しました。

めったにテレビドラマを見ない私も、このドラマだけは気になって、(日中は仕事なので録画して)初回からずっと見ておりました。

 

 

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2013年9月27日 (金)

テレビドラマ「半沢直樹」

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高視聴率をはじき出し、「倍返しだ」が流行語になる等、社会的反響まで巻き起こしたTBS系ドラマ「半沢直樹」が22日、最終回を迎えた。

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2012年10月28日 (日)

テレビ「相棒・シーズン11」が面白い

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遂に12年目、シーズン11にまで突入した「相棒」シリーズ。

ほとんどテレビドラマを見ない私が唯一ハマっているドラマがこの「相棒」で、これまでにも数度、レビューさせていただいた。
 

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2011年4月24日 (日)

テレビ「JIN -仁-」

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演出:平川雄一朗
原作:村上もとか『JIN -仁-』(集英社「スーパージャンプ」)
脚本:森下佳子

2009年10月~12月に日曜劇場枠で放送され、好評を博した同名ドラマの完結編。

テレビドラマをめったに見ない私も、このドラマは初回から欠かさず見ていた。

その理由は、原作者の村上もとかが、私のお気に入りマンガ「龍-RON-」の作者であったからである。

「龍-RON-」は、昭和初期から終戦間際までの激動の時代を生きた若者・龍を主人公にした大河歴史ロマンで、石原莞爾、甘粕正彦、、周恩来やダライ・ラマ等の歴史上の著名人物や、溝口健二、小津安二郎、山中貞雄らの映画人(一部仮名)も物語に密接に関わっており、その壮大なスケールと緻密な人間ドラマに圧倒された傑作であった(詳細はこちら)。

そんなわけだから、かなり期待して見ていたが、期待以上にドラマの方も良く出来ており、特に主人公が医者という事で、命の大切さ、生きることの意味も真摯に問いかけられており、そこに激動の幕末に生きた人たちの青春群像、さらにはタイムスリップによる、歴史を変えてしまう事へのサスペンスまで加わって、実に盛りだくさん、かつスケールの大きなドラマが展開する。

感動的なのは、医師として、命を救う事の使命感に溢れ、一方では特効薬も医療器具もない時代の中で、救える命も救えなかった無力感に苛まれ、悩みつつも、やがて時代の波の中で人間的に成長して行く主人公・仁の心の変遷が丁寧に描かれている点である。

坂本龍馬や緒方洪庵、勝海舟、今回の第二部からは佐久間象山、西郷隆盛、近藤勇、さらに原作ではこの後徳川慶喜、福澤諭吉なども登場する、歴史ドラマとしても見応えがある。

17日の第1回で特に感動したのは、咲(綾瀬はるか)の母、栄(麻生祐未)が生きる希望を失い、「生きていたくもございませぬ。生きていて何の望みがありましょうか」と死にたがっている所に、母を失いながらもけなげに生きる少年・喜市(伊澤柾樹・好演)が「死んだらダメなんです。神様は 乗り越えられる試練しか与えないんです!生きてるからこそ、笑える日も来るんです」と語りかけるシーン。子供らしからぬ、ちょっとアザといセリフと言えなくもないが、やっぱりドッと泣かされた。

このセリフは、考えようによっては、今回の東日本大震災で、絶望に打ちひしがれている人たちにも向けた言葉とも言えるのではないか。
「神様は 乗り越えられる試練しか与えない」…私ごときの人間が偉そうに言える資格はないが、逆境にあろうとも、絶望の淵にあろうとも、それでも試練を乗り越えて、生きる望みは捨てないで、と祈りたい。「生きてるからこそ、笑える日はきっと来る」…この言葉を心の支えにして欲しい。

収録されたのは大震災前かも知れないが、放映が大震災から1ヶ月余り後の時期であったのはいいタイミングである。

是非多くの人に見て欲しい。きっと勇気を与えてくれるはずである。

 
作家の堺屋太一氏は、今回の災害を「第三の敗戦」と呼んでいる。第一は薩英戦争から開国、明治維新に至った幕末期、第二は文字通り太平洋戦争の敗戦、そして今回である。

確かに、どれも未曾有の国難である。…それでも、第一、第二とも日本は乗り越えて発展を遂げて来た。希望はきっとあると望みたい。

で、考えれば、村上もとか原作の2大歴史ドラマは、「龍-RON-」が太平洋戦争、「JIN-仁-」が幕末と、奇しくも堺屋太一氏言う所の第一、第二の敗戦、が舞台となっている(題名がこれまたどちらも、人名1字にアルファベットの組み合わせという共通点がある)。

原作者も予期しなかった、何か大きな偶然が働いているようにも思える。

「JIN-仁-」の、今後のドラマ展開にも大いに期待したい。

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(付記)
これから見る人にご忠告。第一部を見ていないと人物関係が分かり辛いと思う。DVDで復習をお奨めする。ついでに幕末期の歴史を予習しているとより面白く見れるだろう。

ところで、龍馬の恋人、お龍が一向に登場する気配がないが、史実ではもうそろそろ龍馬と出会っているはずである(佐久間象山暗殺は元治元年(1864年)7月11日。龍馬がお龍と出会ったのは同年5月。二人が内祝言を挙げたのは同年8月)。出さないのは、何か意図があるのか、単に出し忘れてるだけか?

(関連記事)  「龍-RON-」

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2010年11月28日 (日)

テレビ「刑事定年」

いつも言ってるが、私はテレビドラマはめったに見ない。「龍馬伝」「ゲゲゲの女房」も見ていない。この1年で見たのは「相棒」シリーズと「仁 -JIN-」くらいか。どちらも見応えある力作で、最低でもこのくらいのレベルは保って欲しいもの。

で、我が家では、やっとこの夏からBSデジタルケーブルが開通し、民放BS番組が見れる様になったが、再放送やショッピングばっかりでまったく面白くない。まあまあ良かったのは、田原総一朗さんのBS朝日「激論!クロスファイア」と、前回紹介したBSジャパン「田原総一朗の遺言~タブーに挑んだ50年! 未来への対話~」くらいである。

そんな中で、久しぶりに、面白い、と思えるテレビドラマを見つけた。

KeijiteinenBS朝日で放映中の「刑事定年」。民放BSでは珍しいオリジナル・ドラマである。主演は柴田恭兵、浅田美代子、田丸麻紀、等。

刑事ドラマは山ほどあるが、これは“定年退職した刑事を主人公としたホームドラマ”というユニークな設定。この目のつけどころがいい。

舞台を、建設中の東京スカイツリーが見える東京の下町とし、定年退職して、ほとんど家にいる元敏腕刑事の自宅に舞台を限定して、家族や、そこに集まって来る元同僚や、在任中に面倒を見た人たちが織りなす、下町人情ドラマといった趣である。

カメラはほとんどと言っていいほど、主人公・猪瀬直也(柴田恭兵)の家から一歩も出ない。
そしてこの家に、毎回、おかしな人たちが闖入して来てドタバタ騒動を繰り広げたり、微妙な空気をかもし出したりする展開は、笑いと涙の人情コメディである点も含めて、「吉本新喜劇」にも似ている。

だが、泥くさい吉本コメディなどと決定的に異なるのは、“仕事一筋に生きて来た男から仕事を奪ったら何が残るのか”、
“夫婦とは何なのか、家族とは、親子とは”、“老後の長い人生を、どういう目的を持って生きるのか”
といったシリアスな問題とも正面から向き合い、ハラハラさせたり、考えさせられたり、最後は人情の機微でホロリとさせる、絶妙なドラマ展開にある。

Keijiteinen2 第1回から、仕事一筋で、家庭をほとんど顧みなかった為に、子育ては妻・早季子(浅田美代子)が一人でして来ており、妻からも娘からもどことなく距離が出来てしまっている状態が描かれる。早季子は夫を無視して自分なりの生活を楽しんでいるし、娘の真紀(田丸麻紀)からは「私、このうちでお母さんと二人で育ってきた気がする」だとか「夫婦の会話がほとんどない」と突っ込まれ、直也は愕然とする。
仕事を辞め、家に入ったら、毎日ゴロゴロとして、やる事がなく、居場所の無さを痛感する直也…。

サラリーマン、特に同じように定年を迎えて来ている団塊の世代には、身につまされる話だろう。

これだけだったら、何となく暗くなってしまいそうなシチュエーションだが、主人公を元刑事…それも、取調べでも犯罪者に対し、温情を示す人情脆い男、にした点が秀逸。これによって、自宅にヤクザの親分やら、虚言癖の女やら、ややこしい人物が直也を慕ってやって来て、ドタバタ騒動を巻き起こす事によって笑いが生まれる。さらに、何か秘密があるのでは、犯罪が起きているのでは、というサスペンスも生まれ、スリリングで飽きさせない。

 
最新作、11月24日放映の第5回「泥棒の帰郷」は特に良かった。

Keijiteinen1 今回のゲストは國村隼。
妻が留守中、直也が近所の買い物から戻ると、洗面所で物音がするので覗いてみると、怪しい男(國村隼)がいる。どうやら空き巣である。刑事の習性で尋問を始めるうちに、20年以上前に出稼ぎで上京したが、仕事がうまくいかず、家族の待つ故郷の青森へ帰る前に、出来心で侵入してしまったという身の上話を聞かされ、見逃してやる事にしたが、そこへ妻が帰って来て…という展開。

國村隼が絶妙の名演。離れた娘との心の交流を中心とした、親子の情愛がテーマとなっており、最後は思わず泣かされる。金子成人の脚本がよく練られている。

1回目の頃は、妻ともギクシャクしていたのが、回が進むごとに会話やコミュニケーションが増えて、次第に夫婦の絆を取り戻して行くプロセスが丁寧に描かれる。また、29歳にもなってまだ結婚相手が見つからない娘の真紀も、今回の國村と娘との心の触れ合いを目にして、次第に自分自身を見つめ直して行く。

これはまた、一つの家族の、再構築のドラマでもあるようだ(東京スカイツリーが、建設途中だというのも、テーマと被らせているのかも知れない)。今後の展開が楽しみである。

 
笑ったのが、第4回の直也のセリフ。「そりゃ、刑事(デカ)としてあぶない事や、刑事としてはみだす事もあったよ」。
柴田恭兵の当たり役刑事ドラマのタイトルに引っかけてますね。ただお話の方はこの回はイマイチだったが…。

 
“笑い、涙、下町人情”
というテーマは、「男はつらいよ」に代表される、山田洋次の世界とも繋がっているし、また“半完成のテレビ塔(スカイツリー)が見える下町”という舞台は、これまた下町人情ドラマの秀作「ALWAYS 三丁目の夕日」を思わせる。

脚本は、「金曜日の妻たちへ」等の名作で知られる鎌田敏夫をメインに、金子成人、樫田正剛が参加。そして演出は「キサラギ」で名を上げた佐藤祐市。なるほど、1つの屋根の下だけで展開する物語は、「キサラギ」で得意とする所である。

中高年以上の方には特にお奨めだが、若い人が観ても十分面白い。本年出色の秀作ドラマである。

それにしても、こんな優れたドラマを、BSだけで放映するのはもったいない。是非地上波での再放送をお願いしたい。

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2010年10月24日 (日)

テレビ「田原総一朗の遺言」

BSジャパン(テレビ東京系)で10月23日、午後9時から「田原総一朗の遺言~タブーに挑んだ50年! 未来への対話~」が放映された。

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これは、現在はジャーナリストとして活躍中の田原総一朗氏が1970年代、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に勤務していた時代にディレクターとして手掛け、今もテレ東の保管庫に眠る約60本のドキュメンタリー番組から3本を選び、それを早稲田大学・大隈講堂で学生たちと共に観賞し、作品の出演者もゲストとして呼び、3時間に渡って討論した内容を2時間にまとめて放送したものである。

田原氏のブログより紹介。 ↓
http://www.taharasoichiro.com/cms/?p=419

いやー、凄いものを見た。よくこんな過激な番組が当時、堂々とテレビ放映されたものだ。

田原氏が東京12チャンネル時代に、過激なドキュメンタリーを作っていたという話は、氏の著作「テレビと権力」(講談社刊・ 2006年)等で読んで知ってはいたが、現物を見た事はなかった。

今回、その内の代表作3本が(多少編集され短くなってはいるが)番組で放映された。

内容は、
① 「バリケードの中のジャズ~ゲバ学生対猛烈ピアニスト」―山下洋輔(1969年)
② 「宣言ポルノ女優  白川和子」(1972年)
③ 「オレはガンじゃない!~片腕の俳優・高橋英二の一年半~」(1970年)

①は、当時、学園闘争のバリケードの中、過激派の学生たちが大隈講堂からピアノを(大学に無断で)担ぎ出し、なんと対立組織(民青系)の拠点の中で、山下洋輔に演奏させ、その一部始終をカメラで捕らえたものである。
うっかりすればセクト間の乱闘になって、命の危険に晒されかねないが、山下も田原氏も「死んでも構わない」と思ったそうである(しかし田原氏はいいが、撮影を担当したカメラマンは心臓が縮んだ事だろう(笑))。

②は当時の日活ロマンポルノの人気女優・白川和子と共に老人ホームを慰問、白川と老人との触れ合いを通して、人間と性の関係に密着した作品である。
白川にインタビューで鋭く迫り、本音を引き出す辺りもいかにも田原氏らしいが、凄いのは白川と、彼女の大ファンという白いアゴ髭の老人とが親密になり、老人が白川に抱きつき、とうとう胸に手を突っ込み、白川のオッパイがポロリとなるまでをずっとカメラが追うくだりである。
身寄りもなく、寂しさに飢えている老人の潜在願望を赤裸々に描いて、これは感動的な人間洞察のドキュメントになっている。
今だったら老人ホーム側が放送中止を要請するだろうし、テレビ局も尻込みして放映など出来ないだろう。第一マスコミに叩かれる。放送したテレビ局もエラい!

“一切のタブーに挑戦する”という田原氏の意気込みに溢れた、傑作ドキュメントだと思う。

③は、がんに侵され、片腕を切り落とした俳優、高橋英二にカメラで密着し、30歳で亡くなるまでの1年半を追い掛けたものである。最後は、棺の中の遺体まで映している。

どれも、自主規制で腰が引けてしまってる今のテレビ界では、絶対に不可能な企画ばかりである。そもそも、企画を出す勇気のあるディレクターもいないだろう。

これは、製作した東京12チャンネルが後発の弱小局で(田原氏によると“テレビ番外地”と言われていたそうだ)、製作費が安い代わりに、ディレクターが好きなように作ってもあまり文句を言われない、鷹揚な雰囲気があった事も幸いしたようだ。
大手の日テレやTBS、NHKだったら、絶対に企画は通らないだろう。

「他のテレビ局では放送できない、危ない番組を作るのである」と田原氏は言う。「刑務所の塀の上を歩くようなもので、内側に落ちたらおしまいだという覚悟でいた」とも言う。そんな危ない番組を毎週放送してくれた東京12チャンネルも、凄い会社である。

こんなエピソードもあったようだ。
1971年に、田原氏が清水邦夫氏と共同監督で、映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」を作った時、「撮影に2か月必要だったが、会社は休ませてくれない。しかし仲間は面白いと応援してくれて、毎日ぼくの代わりに出勤簿を押してくれた。そういういんちきのおかげで完成した」(田原氏談)

なんとも、おおらかな時代である。古きよき時代と言えようか。

 
田原氏はドキュメンタリー制作に当り、“対象者に、ある程度の意図を伝え、了解を得ておく”(つまりヤラセである)、“隠し撮りはしない、望遠レンズも使わず、すぐ近くにカメラを置く”を基本方針としたそうだ。

この方針に基づき撮影された、③のがん患者、高橋英二に密着した壮絶なドキュメントは、後に原一男監督が撮った、小説家・井上光晴氏の、がんで亡くなるまでの晩年の5年間を追った傑作ドキュメント「全身小説家」の手法によく似ている。

実際、原監督は、田原氏の著作でこの手法を知って衝撃を受け、「全身小説家」に取り入れたと語っている。

ある意味では、田原氏は、原監督らの優れたドキュメンタリー映画作家に多大な影響を与えたクリエイターである、とも言えるだろう。

余談だが、和歌山県太地町のイルカ追い込み漁を追ったドキュメンタリー「ザ・コーヴ」の撮影手法は、“対象者の了解を得ず、無断で”“望遠レンズで隠し撮りをしている”という2点で、前述の田原氏のドキュメンタリー方針とは正反対であり、そういう意味では邪道ドキュメタリー、という事になるだろう。

 
ともかく、これらの田原ドキュメンタリーを見て、改めて田原総一朗という人は、凄い、反骨のジャーナリストであると思い知った。

田原ドキュメンタリーに比べたら、マイケル・ムーア作品など、ひよっ子みたいなものだろう(笑)。

今年3月、田原氏が司会するテレビ朝日系の「サンデー・プロジェクト」が終了したが、後番組、悦っちゃんの「サンデー・フロント・ライン」はまるでつまらない。只のワイドショーになり下がっている。
その後田原氏は、BS朝日の「激論クロスファイア」に移って相変わらずご活躍されているが、視聴者がぐっと制限されるBSでは、その真摯なドキュメンタリストぶりが多くの人に伝えられないのが残念である。

今の時代では、もう田原氏が東京12チャンネルで作っていたような過激なドキュメンタリーは、作るのは不可能だろう。…と言うより、田原氏のようなタブーを恐れない硬骨のジャーナリストも、もう出てこないだろう。
田原氏が遺した優れたドキュメンタリー映像は、まさに“田原総一朗の遺言”なのである。

 
とにかく、刺激的な、感動的な番組だった。1回きりの放送ではもったいない。…というより、BSジャパン、というテレビ局の番組をどれだけの人が見る機会があるのか。ごく少数の視聴者に限られるだろう。

多くの人に見てもらう為にも、今回の放送はドキュメンタリー映画として全国の映画館で上映して欲しいと思う。…それがダメなら、地上波(テレビ東京)で再放送し、あるいはDVDで発売して欲しい。それだけのインパクトのある番組である。

あと、出来ればBSジャパンででもいいから、現存する60本の田原ドキュメンタリーを、ノーカットで放送してはもらえないだろうか。そちらの方こそを是非見たいという思いがしきりである。
…でも、あの過激ぶりでは、特に登場する人たち(あるいはその遺族)の了解が得られないと難しいだろう(現に今回の放送でも、登場する関係者の了解が得られず、放送出来なかったものがあるという)。

とにかく、素晴らしい番組だった。今年のテレビ番組の(といっても私は報道番組以外ほとんどテレビは見ないのだが)最優秀作品であると断言したい。繰り返すが、再放送、あるいは第2弾を切に希望。

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田原氏の本「テレビと権力」

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2010年3月14日 (日)

テレビ「相棒 -シーズン8-」最終回

Aibou8_2 「相棒」シーズン8が、3月10日放映の第19話で終了した。

テレビドラマをほとんど見ない私だが、この番組だけは欠かさず見た。今再放送中の旧シリーズもすべて録画している。

いやー、テレビドラマでこんなにハマったのは「古畑任三郎」以来だ(笑)。ここ数年のテレビドラマの中では(と言ってもほとんど見ないので比較出来ないのだが)、完成度、質の高さでは随一ではないだろうか(以前に書いた感想はこちら)。

 
このシリーズの素晴らしさは、要約すると、次の3点にまとめられるだろう。

①毎回、杉下右京(水谷豊)が、ささいな手掛かりから見事難事件を解決する、推理ミステリー・ドラマとしての面白さ。
 この点では「刑事コロンボ」、「古畑任三郎」に並ぶ、犯人との知能合戦が展開する名探偵刑事ものの流れを汲んでいると言える。

②ベテランで人情味の熱い杉下と、(シーズン7までは)元気はいいが少し未熟な若手刑事の亀山(寺脇康文)との2人組のコンビネーションが絶妙で、さまざまな事件を解決するプロセスを経て、亀山が次第に杉下に心酔し、一人前の刑事に成長して行く、人間ドラマとしての奥行きの深さがある。脇のキャラクターもそれぞれ魅力的である。
…従って、亀山がある程度成長した事により、シーズン7で彼が卒業したのも当然の流れと言える。

③難事件を解決する優れた人材でありながら、杉下が窓際的な特命係に追いやられ、上層部からは煙たがられ、冷遇されているという複雑なシチュエーションを設定し、そこから、官僚的で事なかれ主義がはびこる、警察組織や行政機構の矛盾を突く社会派ドラマとしての側面も併せ持つ。

これだけを見ても、このシリーズが凡百の刑事ドラマに比べて、ずっと中味の濃い、良質な作品である事が分かるだろう。「古畑任三郎」やコロンボが、実は上記のうち、①の要素だけしか持っていない事から比較しても、この作品の奥行きの深さは際立っている。

 
さて、最終回だが、さすがに2時間スペシャル版だけあって気合が入っている。以下ネタバレ

大手物産会社の電子通信部設計係長が転落死する事件が起こり、事件に関係があると見られた警備保障会社が、警察OBが多く再就職(つまり天下り)している先であり、案の定天下り警察官僚である顧問が捜査に圧力をかけて来る。その背後には、警察庁が極秘に開発していたFRS(顔認証)システム導入をめぐる政治的駆け引きがあった…というお話。

上記③の要素がかなり前面に出て来ている。天下り官僚批判や、警察組織が国民監視システムを極秘に、見えない所で進めているという、国家権力機構の不気味さが描かれているのだが、本当にやっているかも知れないリアリティが感じられてゾッとする。脚本(櫻井武晴)が見事。
いつもは憎まれ役の伊丹刑事(川原和久)が、横ヤリを入れて来る警察OB顧問を、杉下が聴取している取調室から強引にほっぽり出すシーンでは快哉を叫びたくなった。いいとこあるねぇ(笑)。

しかも今回で、新相棒の神戸尊(及川光博)が特命係に配属された真の理由や、杉下の秘密裡の配置転換計画まで飛び出して来る仰天の展開。

見応えがあった。シーズン8中でもベストに入る出来である。こういうのこそ劇場版として公開して欲しい。見逃したら再放送か、DVD発売まで待たなければならないテレビの枠に留めておくのはもったいない。

 
だが、一番感銘を受けたのは、神戸が警察庁に戻れる事になったのに、それを拒否して特命係に残る茨の道を選んだ事。

最初の頃は杉下に反感を持っていた様子もあった神戸が、次第に杉下に尊敬の念を抱くようになり、とうとう最終回では自分の意思で栄転をあえて撥ね退け、杉下の本当の相棒になる事を決意するのである。…無論、警察庁の組織の横暴さや汚さに愛想をつかした…という面もあるのだろうが、この決断には泣けた。昨年の「3時10分、決断のとき」に匹敵する男の決断である。

セリフも泣かせる。
杉下:「強制はしないと言いましたよ」
神戸:「はい、だれかから強制されて動くのは、もうやめました」
   「僕もね、したくなったんですよ、警察官らしいことを」

杉下:「ようこそ、特命係へ。ところで神戸君、今夜も飲めそうですか」

―― 本当の、相棒の始まりである。「カサブランカ」のラストのセリフを思い出した…というのは褒め過ぎか(笑)。

 
ところで、このラストを見て思い起こしたのが、黒澤明監督の名作「赤ひげ」(65)である。

ちょっとした不始末で、御殿医を目指していた保本登(加山雄三)が、掃き溜めのような小石川養生所に送り込まれ、最初は反撥しふてくされるものの、次第に赤ひげ(三船敏郎)の人間性に尊敬の念を抱き始め、最後は御殿医になれる道を捨てて養生所に留まる決意をする。

保本の最後の決意は、神戸の行動に良く似ている。神戸も、栄転が待っているのに、あえてその道を捨て、陸の孤島と呼ばれる特命係で、尊敬する人物の部下になる道を選ぶ。養生所も言ってみれば陸の孤島である。

そう考えれば、優れた医者としての能力がありながら養生所に留まり、貧しい病人の為に尽力し、権力者に怒りを燃やす赤ひげは、杉下にも似ている。

前に私は、「相棒」の人物や物語設定は、黒澤作品の「野良犬」に似ている…と書いたが、今回の作品を見て、企画者(プロデューサー)はやはり黒澤映画にオマージュを捧げているのに違いないと確信した。

そもそも、“未熟な若者が、師に教えられて成長して行く”という、上記②の要素自体が、「姿三四郎」以来の、黒澤作品の基本パターンでもある。

おそらく半年後にスタートするであろう、シーズン9も楽しみである。こうした骨太の反権力姿勢は、今後も貫いて欲しい。期待したい。

(関連記事)
  「相棒」 TV版第1回
  テレビ「相棒 -シーズン7-」最終回
  

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2009年3月22日 (日)

テレビ「相棒 -シーズン7-」最終回

Aibou19 昨年の劇場版公開をきっかけに、テレビ版にすっかりハマッてしまった。

最新の、シーズン7も欠かさず観ていたし、昼間に再放送している旧作もビデオに録って追いかけているが、数が多過ぎて、まだ観ていない作品も多い。全部の観賞が終わるのはいつの事やら…

さて、シーズン7では、途中で、相棒の亀山(寺脇康文)が卒業、以後は杉下(水谷豊)が一人で事件を追うというパターンが最終回まで続いた。8年も続いたので、ここらでリニューアル…という事なのだろうか。

亀山がいなくなったエピソードでは、回によって1回限りの新相棒が登場したり、杉下一人の単独行動があったりと、いろいろ目先を変えていたが、改めて思うのは、亀山の存在がシリーズにおいて、かなり大きかったという点である。

前回、テレビシリーズについて書いた時(こちら参照)にも指摘したが、沈着冷静、クールな杉下に対して、ややオッチョコチョイ、ホットな熱血漢という亀山のキャラクターは、殺人があり、死体がころがる陰鬱なストーリー展開の中で、ユーモラスな色取りを添えて画面を明るくする功績があった。彼の妻(鈴木砂羽)との漫才のような掛け合いにも笑わせてもらった。
また飲み込みが遅い亀山に、杉下が簡潔に説明する事によって、視聴者に対する分かり易い解説・案内にもなっていた。

無論、脚本も演出もそれなりに工夫していたし、ゲストの相棒役にも亀山に似たキャラクターを与えてなんとかカバーはしていたが、長いシリーズの間に培われた、二人の間に醸し出される信頼関係、男の友情…といった要素が剥落していたのは如何ともし難かった。

そんな中、異色作は全編、ほとんど水谷豊と岸恵子の二人だけの芝居で見せた第15話「密愛」。

密室トリックも登場し、岸恵子との演技合戦もなかなか見応えがあって、好きな作品なのだが、ここまで来ると「相棒」と言うよりは、まるで別の作品、例えば「古畑任三郎」シリーズの1編を観ているようで、なんか違和感が残ってしまった。

 
さて、そんなシーズン7も最終回は2時間スペシャル版であり、また次回シーズンから参加する(多分)、新“相棒”、神戸尊(及川光博)が初お目見えした点でも見逃せない1編。

埼玉の山奥を舞台に、殺人を暗示する1枚の点描画をめぐり、杉下の推理が冴える。脚本はシリーズ生みの親、輿水泰弘に、演出も同じく和泉聖治と万全…のはずなのだが、いま一つ面白くなかった。

お話は悪くないのだが、2時間になった分、間延びした感じ。1時間でも十分なお話。

瞬間記憶する特殊な能力を持った少年が描いた絵がキーとなるのだが、いくら特殊能力とは言え、写真のように人物が判断出来たり、上り框の形状の違いまで見分けられたりするのはちょっと無理。そもそも“動物”だけに注意してて、そこまで描けるものだろうか。

それと、最終回という事でレギュラー・メンバーを登場させる必要からか、捜査1課の3人が特に用事もないのに現地までノコノコやって来るのにも無理がある。1課ってそんなにヒマじゃないでしょう。

肝心のミッチー扮する新相棒だが、キャラクター設定にちょっと違和感。

クールで、ダンディで、スマート…というんじゃ杉下のキャラとほとんど同じ。おまけに杉下曰く「端々に官僚臭さが漂う」イメージでは、ユーモラスな色取りにもなり難いし、そもそもコンビとしてやって行けるのだろうか。ちょっと不安である。

やや思慮に欠ける面もちょっとだがありそうなので、回を追うごとに、おトボケのユーモラスな味が出ればいいのだが。

だが、これも杉下曰く、「君は亀山君の代わりには、なれませんよ」。

そんなわけで、人間ドラマ部分は輿水脚本らしく、見応えはあったが、前述のような不満な点がいくつか感じられて、なにかスッキリしない最終回でありました。

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2008年5月 6日 (火)

「相棒」 TV版第1回

Aiboutv 映画「相棒-劇場版-」公開にタイミングを合わせて、テレビドラマ「相棒」の初回放送分(2000年製作)が放映された(5月3日)。

私は、テレビドラマはほとんど観ないのだが(昨年観たのは黒澤リメイク2本と「点と線」だけ。で、なんとか及第点は「点と線」だけだった)、「相棒」は評判が良かったようなので、映画を観る前の予習として観る事にした(裏番組がビデオ必録の黒澤「椿三十郎」なのがもったいない。どうでもいいが、昨年観た3本もこれも全部テレビ朝日作品ばかり(笑))。

簡単に言えば、2人組の刑事の活躍を描く刑事ドラマ。いわゆる“バディ(相棒)ポリスもの”と呼ばれるジャンルであるので、題名はまさにピッタリ。

刑事ドラマでは定番で、古くはアメリカ・TVドラマ「刑事スタスキー&ハッチ」などがあり、日本では松田優作・中村雅俊「俺たちの勲章」から「あぶない刑事」に至るまで多数ある。映画でも「リーサル・ウエポン」シリーズとか、ジャッキー・チェンの「ラッシュアワー」などが目新しいところ。…しかし原典を辿れば、黒澤明監督の「野良犬」(1949)に行き着く事になる。やっぱりクロサワは偉大である。

本作がちょっとユニークなのは、2人のキャラクターがまったく対照的な事。水谷豊扮する杉下右京は、いつも冷静沈着で頭脳が冴えるクール型。一方の寺脇康文扮する亀山薫は、よくあるタイプの直情型熱血漢で、ややおっちょこちょいのホット型…。言ってみれば、古畑任三郎と、あぶデカの大下(柴田恭兵)がコンビを組んだようなものである。この設定が、これまでのバディ刑事ドラマとは一線を画している。

しかし、黒澤の「野良犬」も、よく考えれば熱血直情タイプの村上(三船敏郎)と、ベテランで沈着冷静な佐藤(志村喬)というコンビだったので、製作側にも、黒澤作品が頭にあったのかも知れない。

そう思っていたら、本作の冒頭、亀山刑事が指名手配中の犯人に逆に捕まり、人質となった時、杉下が携帯で亀山にアイデアを授け、見事犯人を逮捕するシーンがあるが、これは黒澤の「七人の侍」で、島田勘兵衛が人質を取って立て篭もる強盗を見事な策略で退治するシーンを彷彿とさせる。奇しくも、沈着冷静な勘兵衛を演じたのがやはり志村喬。…う~む、やっぱり本作は黒澤オマージュなのかも知れない(笑)。

で、このツカミで2人のキャラクターを際立たせ、亀山が左遷されて杉下のいる“特命課”に配属されるきっかけともなる。この出だしもなかなか快調。

ドラマが本筋に入ると、亀山が殺人事件に巻き込まれ、謎を解明するうちに、杉下の頭脳と見事な観察眼によって、意外な黒幕が明らかになる。この謎解きシークェンスも、古畑任三郎、もしくはその原典である「刑事コロンボ」を思わせる。

亀山の軽妙なセリフ回し、彼と、いつも飄々としている杉下との掛け合いも楽しいし、そして彼らを取り巻く脇役陣もなかなか多彩で、しかも、(1作目を観る限りだが)警察内部の不正・腐敗に対する批判も込められているようで、凡百の「土曜ワイド劇場」ドラマの中では抜きん出た存在である。人気を博して6シーズン、8年も続く人気ドラマ・シリーズとなったのも分かる気がする。見逃していたのが、ちょっともったいない。今からでも追いかけて観たくなる。

ただ、テレビドラマとしては面白いが、映画化しても面白いかどうかは未知数である。淡々とした、渋い人間ドラマが持ち味であるように思われるし、どちらかと言えばテレビサイズでこそ魅力が引き立つ素材のような気がする。その点が懸念材料ではある。―映画化するとすれば、例えば、同じく水谷豊が刑事を演じた、市川崑監督による佳作「幸福」のような味が出れば良いのだが…。

ともあれ、劇場版「相棒」に期待いたしましょう。

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2007年11月28日 (水)

「点と線」

Tentosen_3 11月24日~25日の2夜にわたってTV朝日系で放映された、松本清張原作「点と線」を観た。

TV朝日のドラマと言えば、9月に放映された、黒澤明監督作品のリメイク「天国と地獄」「生きる」が記憶に新しいが、どちらもガッカリする出来であっただけに、少々不安ではあったのだが…(とりわけ「生きる」は酷かった。松本幸四郎が超ミスキャスト。65才とは思えない、元気で若々しい姿に、「君はどうしてそんなに若くいられるのだ」という劇中のセリフをそのまま本人に返したくなったよ(笑))。

観終わっての感想― 予想以上に面白かった。最近のテレビドラマでは(と言ってもそんなに観てはいないが)水準以上の出来であった。推理ミステリー・ファン、特に原作ファンの方にはお奨めである。

面白かった原因を挙げるなら、まず原作が非常に良く出来ていて、巧妙に仕組まれたアリバイを刑事たちが地道な努力で一つ一つ解明して行くプロセスがスリリングで、舞台が昭和32年という古い時代であるにもかかわらず、まったく古臭さを感じさせない点である。CGも駆使した、昭和32年当時の風景や小道具等も、「三丁目の夕日」とまでは行かないがよく頑張っている。また現存するSLが何種類か登場するのも楽しい。

特に、出入りの業者と政治家・官僚が結託した省庁の汚職事件、という背景が、現在の防衛省を舞台とした事務次官と山田洋行元専務との接待・癒着事件とドンピシャリ符合するというタイムリーさもあって、50年前も今も、汚職の構造はまったく変わっていない事を再認識させられた。笑うのは、額賀財務大臣が宴席にいたというアリバイと、野党側がそれをどう崩すかという、まさにドラマを地で行く展開で、テレビ局側もまさかこんな事になるとは、ドラマを企画した時点では夢にも思わなかっただろう(笑)。

もう一つは、ビートたけし扮する、博多署の刑事、鳥飼重太郎のキャラクターを、原作よりもかなり膨らませた点である。原作では鳥飼は、最初の方に少し出て来るだけで、東京にも行っておらず、捜査は若い三原刑事が1人飛び回り奮闘する。またドラマでは鳥飼は妻を亡くしているが、原作では健在である。鳥飼が戦争でグラマンの機銃掃射を受け、弾がまだ体内に残っているという設定も原作にはなく、ドラマの創作である(脚本は竹山洋)。

この鳥飼が、よれよれの背広に帽子と、見かけは冴えないが、些細な疑問(特急の食堂車の領収書など)から、事件は心中ではなく殺人だと見抜き、鋭いカンと地道な捜査でアリバイを突き崩して行く…という展開に、これはまるで「刑事コロンボ」だ、と思ったのだが、原作でも「よれよれのオーバーを着た、痩せた風采の上がらぬ男」「洋服もくたびれていた」と書かれてあり、また犯人が会社社長というステータスの高さを持ち、巧妙なアリバイ・トリックを考案したり、鳥飼らの捜査や尋問で犯人側が少しづつ馬脚を現わして行く展開といい、もうほとんどこれは「コロンボ」の原型と言っていいかも知れない。ドラマでも鳥飼が「私は最初から怪しいと思ってました」と、コロンボとそっくりのセリフを言ってるし…(しかし原作を知らない視聴者は逆に「これはコロンボのパクリだ」と思うかも知れない(笑))。

まさか、リチャード・レヴィンソンとウィリアム・リンクの二人、この小説をヒントに「刑事コロンボ」の原案を作り上げたのでは…と余計な事まで考えてしまった(多分海外でも翻訳されているはず)。

ただドラマではこの鳥飼が、カッとなると無茶苦茶暴れて三原をぶん殴り、刑事たちと大乱闘するという具合に、ほとんど「その男、凶暴につき」状態となる(笑)のはちょっとやり過ぎ。すごく頭が冴えてる名探偵なのだから、暴力を振るってはキャラクターぶち壊しである。

また冒頭とラスト、中間に、現在(50年後)の三原(宇津井健)と鳥飼の娘(池内淳子)が登場するのも不要。大して登場させる意味もないし、流れが寸断され逆効果である。

真相は究明したものの、結局政界の巨悪はヌクヌクと生き延び、「悪い奴ほどよく眠る」決着に鳥飼が三原に怒りをぶつけるエンディングも、どうも座りがよろしくない。三原にあたっても仕方ないのだから。
どうせならラストは、三原が、国会議事堂をキッと睨みつける…という風に「誇り高き挑戦」(政財界の黒い霧を描いた深作欣二監督の秀作)のラストそのまんまにすれば、今の政界への皮肉にもなって面白かったのですがね(笑)。

まあそういった不満はあるが、脇役に至るまで贅沢な出演者の顔ぶれに、警視庁の刑事たちが次第に鳥飼の人間性に尊敬の念を抱いて行くプロセス(博多に帰る鳥飼に、刑事たちが深々と頭を下げるシーンが感動的)…がなかなか見応えがあり、1・2部合わせて4時間半という長時間にもかかわらず、ダレることなく面白く観れた。

脇役では、博多署の捜査課長・平泉成、田中係長・小林稔侍、警視庁の笠井係長・橋爪功、お時の母・市原悦子―がそれぞれベテランらしい味のある巧演。ただ安田辰郎役の柳葉敏郎はちょっと貫禄不足。もっとうまい役者を持って来るべきだった。

 

(参考)
原作は昭和32年から33年にかけて、雑誌「旅」に連載された。旅行雑誌なので、主人公たちは日本中を旅する訳である。なお、トリックに使われる時刻表は、昭和32年当時の本物の時刻表通りである。なお昭和33年には東映で映画化もされている(監督・小林恒夫)。

後に、西村京太郎や島田荘司が発表しベストセラーとなった“トラベル・ミステリー”は、すべて本作が原典だと言えよう。
アリバイ・トリックの秀逸さといい、コロンボへの影響(?)といい、本作はいろんな点で推理サスペンス・ミステリーの古典と言える傑作である。

細かい事だけど、ドラマの中で、香椎駅前の踏切で電動式遮断機が出て来るが、当時はまだそんなものはなく、踏切の近くに必ず小屋が設置され、踏切番の職員が手動で遮断機を上げ下げしていたはずである。

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