2006年1月 4日 (水)

「お父さんのバックドロップ」

Farthesbackdrop(2004年・シネカノン/李 闘士男 監督)

軽妙なエッセイや、長編小説「ガダラの豚」で知られる、中島らもの原作小説の映画化。ミニシアターのレイトショーで観たのだが、これは見事な快作である! 楽しくて、微笑ましくて、そして最後に素晴らしい感動が待っている。これぞ、誰が観ても泣けて感動できる、エンタティンメントの王道である。大衆娯楽映画としては、本年屈指の力作である。おススメ。

主人公は2流プロレス団体に所属する中年プロレスラー、下田牛之助(宇梶剛士)。彼には10歳になる息子・一雄(神木隆之介)がいるが、年中巡業で、妻が死んだ時にも帰ってやれなかった為、一雄からは嫌われている。興行が思わしくない所属団体の危機を救う為、髪を金髪に染め、ヒール(悪役)に転向した父の姿を見て、一雄はプロレスも父もますます嫌いになる。そんな一雄の反抗心を見た牛之助は、息子の信頼を取り戻す為、折から来日した極真カラテのチャンピオン、ロベルト・カーマン(エヴェルトン・テイシェイラ)に無謀な挑戦状を叩きつける。年齢的にも、体力的にも、とても勝ち目のない相手にコテンパンに痛めつけられながらも、それでも牛之助は必死で戦いを挑む。その姿を見た一雄は、初めて父を応援する気になり、会場に向う。そして、映画は感動のクライマックスを迎える…。

物語としては、昔からよくあるパターンで、「チャンプ」や、「ロッキー」や、ロバート・アルドリッチの快作「カリフォルニア・ドールス」あたりを立ちどころに思い起こすことが出来る。そして何より、“ショボくれたチームが、明らかに劣勢な状況の中で、最後の最後で大逆転勝利する”―という、私の大好きな、正しい娯楽映画の王道パターンをきちんと踏んでいる点がいい。しかもそこに愛らしくけなげな子供を絡ませ、泣かせる要素をうまく取り入れている。これが娯楽映画のツボである。本作はさらに、舞台を関西に持ってきて、松竹新喜劇ばりの、下町の人情噺の味わいも含ませている。私は主人公たちの行きつけの焼肉屋で、母を手伝い甲斐甲斐しく働く、一雄と同い年の少年(阪本順治監督「ぼくんち」でも好演の田中優貴)を見て、はるき悦己のマンガ「じゃりんこチエ」を思い出した(この少年の役名が、テツであるのは偶然か(笑))。

この映画が泣けるのは、そうした要素をバックに、仕事一筋に打ち込んで家庭を顧みなかった中年男が、勝ち目のない戦いに果敢に挑み、その姿を愛する息子に見せる事によって、父親としての威厳を回復して行く、そのひたむきな姿に心打たれるからである。子供を持つ中年世代にとっては、これはまさに身につまされる話である。打たれても、血みどろになっても、その度に立ち上がって来る牛之助の姿に、リング席の観客の間から“牛之助”コールが巻き起こって来る。これは感動的である。映画の観客である我々も、つい立ち上がり応援したくなるくらい胸打たれ、そして涙が溢れて来るのである。無論私も泣いた。ポロポロ泣けた。パターンだと分かっていても、これは泣ける。そして、我々も、家族のために頑張らなければ…と思うのである。仕事に疲れた人、親子の対話に悩む父親は、是非この映画を観て欲しい。きっと元気になれるはずである。

牛之助を演じた宇梶剛士が、映画初出演とは思えない快演を見せる。一本気で、人情家で、体力の衰えを隠せない年代になっても、プロレスに一途に打ち込む中年男の哀愁を体で表現している。そして息子を演じた神木隆之介クンが素晴らしい。天才である。これほど観客の心を掴む子役が登場したのは何年ぶりだろう。大事に育って欲しい。これが監督第1作となる新人、李闘士男、お見事。今後の活躍も期待したい。なお、脚本を書いたのは「血と骨」などの売れっ子、鄭義信。個人的には本年度脚本賞を与えたい。

原作者の中島らもが、散髪屋の役でカメオ出演している。惜しくも突然の事故で急逝したが、亡くなる前にこの映画を観て、とても感動したとの事であり、何よりである。冥福を祈りたい。

それにしても残念なのは、これほど感動出来る力作(掲示板でも感動の声が多い)が、何故ミニシアターで、細々と公開されなければならないのか。これは全国規模で、是非多くの人に観せるべきである。こうした作品がヒットし、多くの観客を呼ぶようになってこそ、日本映画は面白くなるはずである。    (採点=★★★★☆

(2004年12月3日)

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2006年1月 3日 (火)

「五線譜のラブレター DE-LOVELY」

(MGM=20世紀フォックス:アーウィン・ウィンクラー 監督)

数々の名曲を世に送り出した作曲家、コール・ポーターの伝記映画。

音楽家の伝記映画と言えば一時は盛んに作られていた(ジョージ・ガーシュイン=「アメリカ交響楽」、エデイ・デューチン=「愛情物語」「グレン・ミラー物語」等々)。最近はあまり作られなくなっていたように思う。で、コール・ポーターと言えば、「夜も昼も」、「ビギン・ザ・ビギン」、「オール・オブ・ユー」、そして「インディー・ジョーンズ・魔宮の伝説」の冒頭のミュージカル・シーンに使われた「エニシング・ゴーズ」などで広く知られた作曲家であり、またMGMを中心としたミュージカル映画「踊るアメリカ艦隊」「踊る海賊」「キス・ミー・ケイト」「上流社会」「絹の靴下」などにも楽曲を提供しており、ミュージカル映画ファンには特になじみの深い伝説の作曲家であるとも言える。ちなみに、既に1946年に、「夜も昼も」という題名でコール・ポーターの伝記映画が作られている(ポーターに扮したのはケーリー・グラント)。この時はまだポーターは存命で(没年は1964年)、いわゆる半生記であった。

で、本作は、死を目前にしたポーターが、友人の案内で劇場において彼自身の半生のドラマを眺める…というちょっと変わった趣向。ポーターに扮したのは名優ケヴィン・クライン。最愛の妻リンダを演じたのはアシュレイ・ジャッド。基本としてはポーターと妻の深い夫婦愛をしっとりと描いているのだが、「夜も昼も」と違うのは、ポーターが実はゲイであった事を暴露している点で、このあたりはいかにも今ふうである。しかしまた、妻も深く愛しており、リンダの死を看取るシーンは感動的であった。ラストは、ポーターの孤独感が悲痛で、胸を締め付けられる。

監督のアーウィン・ウィンクラーは、'70年代に「いちご白書」「ひとりぼっちの青春」等の傑作青春映画、そして「ロッキー」シリーズを製作した名プロデューサーであり、最近では「海辺の家」「勇者たちの戦場」等、しみじみとした佳作の監督としても活躍している。本作も見応えのある作品に仕上がっている。

映画ファンとして楽しいのは、舞台や街頭で歌い、踊るミュージカル・シーンがふんだんに登場する場面で、よく考えればこの映画の製作会社はかつてミュージカル映画の傑作を量産していたMGM!。中でも「ピエロになろう」(Be a Crown)という楽しいミュージカル・ナンバーは、MGMミュージカルの大傑作「雨に唄えば」の中でドナルド・オコナーが歌った"Make 'em Laugh"を思い起こさせ、特に感慨深かった。ポーター・ファンや、とりわけMGMミュージカル・ファンは必見であるとお薦めしておく。       (採点=★★★★

(2004年12月7日)

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連句アニメーション「冬の日」

Fuyunohi_2(2003年・IMAGICAエンタティンメント:
川本 喜八郎 総合監修) 

これは、非常に珍しい(と言うより世界初の)連句アニメーションである。

連句とは、複数の歌人が前の人の下の句を受け、自分の句を鎖のようにつなげていく合作の文学形式…というものである(最初に詠まれる「発句」が独立して「俳句」になったといわれている)。中では、松尾芭蕉による七部集「冬の日」が有名であり、本作のタイトルはそこから取られている。

この作品は、その連句の形式で、世界中の錚々たるアニメ作家に、既存の連句を元に短編アニメを作ってもらい、それらを繋げて1本のアニメ作品として完成させたものである。

Fuyunohi2 中心となり、企画・監修したのは、日本のみならず世界的にも名高い人形アニメ作家の川本喜八郎氏。氏の呼びかけに、世界中から35人のアニメ作家が集まり、連句にインスパイアされた映像を競い合っている。集まった作家は、「話の話」などで知られるロシアのユーリ・ノルシュテイン、「老人と海」でアカデミー賞受賞のアレキサンドル・ペトロフ、「火童」が高い評価を受けた中国の王柏栄、「頭山」がアカデミー短編賞にノミネートされた山村浩二、そして名前を聞けば思い当たる日本有数のアニメ作家たち、久里洋二古川タク林静一小田部羊一高畑勲…等々であり、Fuyunohi3 アニメに興味のある人ならこれらの名前を聞くだけでもワクワクして来ることだろう。そして、作品を観たなら、アニメファンのみならず、アニメに関心のない方でも、その豊かなイマジネーションの広がりには感嘆するに違いない。それほど、1本1本の作品は(平均して1分前後のごく短い作品であるにもかかわらず)実に丁寧な作りで見応えがある。

単にアニメと言っても、実にさまざまな手法がある事が作品を観れば分かって来る。普通のセルアニメ以外にも、人形アニメ、切り絵アニメ、クレイ(粘土)アニメ、油絵アニメ、水墨画アニメ、CG、ピンスクリーン(無数の釘を出したり引っ込めたりして白黒を表現する)等々・・・まさに職人芸であり、見事な芸術である。公式サイトの予告編に、ノルシュテイン作品や川本氏の人形アニメがワンシーン出て来るが、風にそよぐ着物の動きだけを見てもその見事さの一端を窺い知る事が出来る(注:現在公式サイトは閉鎖。残念である)

35人による36本(川本氏が2本)のアニメそのものは45分程度だが、後半はそれら作家たちへのインタビューや製作過程を追ったメイキング編となっている。これがまた面白い。ノルシュテインのあの繊細な絵はどうやって作っているのかが見れるだけでも興味深い。

本作は、文化庁メディア芸術祭アニメ部門の大賞、毎日映画コンクールで大藤信郎賞(日本で一番権威のあるアニメ賞)を受賞し、キネマ旬報文化映画ベストテンでも3位に入るなど、さまざまな賞を受賞し、高い評価を受けている。残念ながら劇場公開は東京、大阪、名古屋のごく一部の劇場でのみの上映であり、あまり多くの人の目に触れられていない(私は家の近くで上映していたので幸運にも観る事が出来た)。
ビデオは出ているが、その繊細な描写は大きなスクリーンで隅々に至るまでじっくり見るのが望ましい。ともあれ、アニメに興味のある方は必見であり、また俳句・短歌に興味のある方も是非観ることをお薦めする。個人的には本年のベスト3に入れたいし、出来うるなら手元に置いて何度も眺めたい、これは素晴らしいアートの秀作である。    (採点=★★★★★

(2004年2月22日)

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「東京ゴッドファーザーズ」

Tokyogodfarthers(2003年:ソニー・ピクチャーズ/監督:今 敏 )

これまで、「パーフェクト・ブルー」「千年女優」という、いずれも優れたアニメーションを監督して高い評価を受け、海外にもその名を知られる今敏が、またも傑作アニメを作り上げた。これは恐らく、アニメとしては本年度の最高作であるばかりでなく、日本映画全体の中でも屈指の傑作だと思う。

東京の街中で暮らすホームレス3人組が、クリスマスの日にひょんな事から捨て子の赤ん坊を見つけ、その親を捜し求めるうちに騒動に巻き込まれて行く…という物語。

笑いあり、涙あり、アクションもあればスリリングなサスペンスもありと、あらゆる娯楽的要素が盛りだくさん。特に、それぞれ心に深い傷を持つ、まったく縁もゆかりもない3人の男女が、行きがかりで一緒に赤ん坊の親を捜すうちに、次第に家族にも似た心の絆を強めて行く…という展開が心を打ち、単なるエンタティンメントに終わっていない。

この3人、ギャンブルにのめり込み、妻と子を棄てた中年男ギン(声:江守徹)に、おカマのハナ(梅垣義明)、家出した娘ミユキ(岡本綾)という組み合わせが父と母と子のようでもあり、言わば擬似家族を構成しているように見える(実際、ミユキの夢の中ではこの3人は本当の家族なのである)。物語の中には、さまざまな“家族”が登場し、それぞれに悩みを抱え、本当の家族像を模索し、苦闘する姿が描かれ、よく見ればなかなか奥が深い。そう言えば、ホームレス、捨て子という本筋以外にも、在留外国人犯罪者、ホームレス狩りの若者たち、ヤクザ…等が登場し、これはまた現代の日本が抱えるさまざまな病巣をもしたたかに描いた問題作でもあるのである。

しかしトータルでは前述のように、スリリングなエンタティンメントとしてうまくまとめており、ラストではギンもミユキもそれぞれ自分の家族の絆を取り戻すであろう事もさりげなく匂わせ、爽やかな余韻を残して映画は終わるのである。

観た人の間では、エンディングに向けてあまりにも偶然が重なり過ぎる…との不満の声もあるようである。しかしこれは、クリスマスの日に起きた奇跡…と考えれば十分納得できる。現実離れしたファンタジーの世界では、何が起きたって不思議ではない。クリスマスとの関連で言えば、フランク・キャプラの傑作ファンタジー「素晴らしき哉、人生!」をも思い起こせばよい。丁寧に作られ、感動さえさせてくれれば、どんなに都合よく物語が進んだって納得できるのである。

題名のゴットファーザーズとは、マフィアにあらず(笑)、ジョン・フォードの秀作「3人の名付親」原題"Three Godfathers"。3人の悪党が赤ん坊を町まで届ける話)から来ている。テーマやストーリーもこの作品からいろいろとヒントを得ていると思われる。

デビュー作「パーフェクト・ブルー」はサイコ・スリラー、「千年女優」は戦前戦後を生きた伝説の女優の半生記…と、1作ごとにまったく違うジャンルに挑戦しながら、いずれも成功させた今敏監督は、今やポスト宮崎駿を狙える、アニメ界のみならず、日本映画界のホープであると言えると思う。しかも1作ごとにエンタティンメント度を高めている。大人から子供まで、誰が観ても楽しめ、なお且つ考えさせられる、これは本年ベストを狙えるお薦めの傑作である。 
(採点=★★★★★

(2003年11月29日)

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「ゼブラーマン」

Zebraman (2004年:東映/監督:三池 崇史)

 日本一忙しい監督・三池と、日本一忙しい脚本家・宮藤官九郎とが初めてコラボレーションを行い、これもまた映画にVシネマに大忙しの哀川翔が主演した、まさにユニークな組み合わせにふさわしい快作が出来上がった。

 主人公市川新市(哀川翔)は風采の上がらない小学校の教師。学校でも家でも影が薄い。しかし彼は、子供の頃に放映されていたテレビ特撮番組「ゼブラーマン」の隠れた大ファンで、自らミシンで作った手製のコスチュームをまとっては1人悦に入ってる…という、ややオタクな男。前半はこの市川のなんとも情けない、ドジで子供っぽい行動がコミカルに描かれて笑わせられる。 ところが中盤から、人間の体を乗っ取り、地球を侵略しようと企む宇宙人が正体を現わし、これに気付いた市川は次第に地球を守るヒーローになるべく、努力を重ねて行くのである。

 時々難解な作品を作ってしまう三池にしては、ごく判り易い正攻法の演出で、後半に向けてグイグイドラマを引っ張って行く。宇宙人に乗っ取られかけた自分の息子を救った事から、気の弱かった市川は息子にも励まされ、夢見るだけでしかなかった正義のヒーローに本当になろうと決意する。

 かつてのテレビドラマでは、ゼブラーマンは空を飛べなかったから負けた事を知った市川は、無謀にも空を飛ぶ特訓を積み重ねる。何度も何度も墜落し、コスチュームはボロボロになって行く。しかし息子の「お父さん、頑張って!」の声や、マドンナ、可奈(鈴木京香)にも励まされ、やがて彼は遂に本当の闘うヒーローに変身してしまうのである。このあたりは泣ける。

 可奈の息子で、足の悪い晋平が「勇気を出せば出来るんだ」と必死で立ち上がって見せようとするシーンにも胸が熱くなるし、その晋平が宇宙人に校舎から落とされた時、彼を救う為、遂にゼブラーマンが空を飛ぶ…このシーンはあの「E.T.」で自転車の少年たちが空に舞い上がるクライマックスを思い起こして涙が溢れそうになった。「信じれば、夢はかなえられる」というセリフが出て来るが、まさにこれは夢を信じ続けた男が、究極の夢を実現してしまう奇跡の物語なのである。

 「なぜ市川が空を飛べるのか分らない」なんてヤボを言う人はこの映画を楽しむ資格はない。映画そのものが現実にはありえない夢の世界を映像化する装置なのだから。
誰もがスクリーンに夢を投影し、そして我々と同じ等身大の普通のお父さんが、子供の為に、家族の為に戦い、奇跡のヒーローになれる…。それが映画である。子供の頃にスーパーヒーローが戦うドラマに夢中になった経験があり、大人になっても子供の頃の夢を忘れていない、子供を持った、ちょっと疲れたお父さんならきっと涙してしまい、そして元気になれる、これはそんな素敵な映画なのである。見るべし!     (採点=★★★★☆

 (2004年3月14日)

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2006年1月 2日 (月)

「人狼 JIN-ROH」

Jinrou_22000年・日本/配給:バンダイビジュアル=メディアボックス
監督:沖浦啓之
演出:神山健治
原作:押井 守
脚色:押井 守
キャラクター・デザイン:沖浦啓之、西尾鉄也
エグゼクティブ・プロデューサー:渡辺 繁、石川光久 

「攻殻機動隊 Ghost in the Shell」で世界に名をとどろかせたジャパニメーションがまたまたやってくれた。前作ではそのタイトなアクション描写とダークな世界観に賛辞が集まり、「マトリックス」を始め多くの映画作家に影響を与えることとなった。その「攻殻-」の監督である押井守が原作・脚本を書き、同作のキャラデザイン・作画監督を担当した沖浦啓之が初監督に挑戦したのが本作である。期待と注目が集まるのは当然であるが、沖浦監督、そのプレッシャーをはねのけ、見事な傑作に仕上げてみせた。

作品の流れとしては、「紅い眼鏡」「ケルベロス・地獄の番犬」に続くケルベロス3部作の最終作に位置付けられる。従って本当は前2作を先に見ておく方がいいのだが、本作のみを見ても十分面白い。何より、パラレルワールドとしての昭和30年代が舞台という設定が秀逸。実際の歴史では30年代後半から高度経済成長の道をひた走った日本は、平和ボケにバブル崩壊ととんでもない袋小路に陥ってしまうのだが、押井は「あの時代から歴史は折れ曲がってしまったのだ」とばかりに、もう一度戦後史をやり直そうとするかのようにもう一つの30年代を描いたのである。そして、そうした混沌の中で出会った男と女の愛の彷徨を、押井が敬愛してやまないアンジェイ・ワイダの「灰とダイヤモンド」の物語そのままにしっとりと描いている。

そう、戦争と体制の謀略に翻弄され、悲劇的な結末を迎えるという共通点から見てもこれはまさに押井版「灰とダイヤモンド」なのである。この映画がワイダ作品へのオマージュであるのは、前半の下水道内のシークェンスがワイダのもう一つの傑作「地下水道」そっくりであるのを見ても分かるだろう。これらの物語展開や迫真の都市ゲリラ戦、実写では到底再現不可能な30年代の東京下町のリアルな風景描写も含め、すべてのシーンがクオリティが高く、密度の濃い映像が凝縮されている。こういう完成度の高い映画を作ったのが、弱冠33歳!の新人監督であるというのも驚きである。

しかしこの監督・沖浦啓之のフィルモグラフィを見てまたまた驚いた。なんと16歳でアニメ界に飛び込み、19歳!で「ブラックマジックM-66」(注1)(「功殻機動隊-」の士郎正宗原作・脚本・監督)という、当時アニメファンの間ではカルト的な人気を博した傑作OVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)の作画監督を担当(本稿を書く為押入れから出して再見したのだが、今見てもまったく古さを感じさせない、「ブレードランナー」+「ターミネーター」とでも言うべき力作である)。
その後も21歳で「AKIRA」、24歳「老人Z」、26歳「機動警察パトレイバー2」(注2)「MEMORIES」のそれぞれの原画を担当、28歳で前述の「攻殻機動隊」と、よく見ればこれすべて海外で高い評価を得ているジャパニメーションの傑作ばかりなのである。強運なのか、彼の参加によってクオリティが上がったのか、とにかくスゴい経歴の持主であり、押井が本当は自分で監督したかった本作を彼にまかせる気になったのもこれなら頷けるだろう。興行的にもまずまずだったし、何より海外の反響がすごい。宮崎駿の後継者はなかなか出てこないが、押井守の後継者は彼に決まりだろう。次回作は是非オリジナル作品を監督して欲しい。素晴らしい新人監督の誕生に惜しみない拍手を送りたい。    (採点=★★★★☆

(注1)ちなみにこの作品(「ブラックマジック-」)、わずか45分という短さにもかかわらずセル枚数は35,000枚!に達したという。その為、動きが実に滑らかで、全編たたみかけるアクションの連続に興奮させられる。なお士郎正宗と共同で監督を担当したのが「老人Z」の北久保弘之。後の傑作ジャパニメーションの精鋭が結集しているという点でもこの作品の歴史的価値は大きい。もっと評価されるべきではないか。

(注2)「パトレイバー2」は、キャラクター・デザインが1作目(原作コミックとほぼ同じキャラ・デザイン)とまるで違って顔に影がかかったり、すごくリアルなデザインとなっている。何故かよく分からなかったのだが、「人狼」のキャラクター・デザインが「パトレイバー2」とそっくりであったところからして、多分沖浦啓之の参加が影響しているのではないかと私はにらんでいる。(沖浦は1作目には参加していない)

「人狼」DVD
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「ミリオンダラー・ベイビー」

Milliondollarbaby (2005年:ワーナー/監督:クリント・イーストウッド)

 クリント・イーストウッド監督・主演で、アカデミー賞作品賞他4部門に輝いた秀作。

 最初予告編を観た限りでは、これは貧乏だった女性ボクサーが、苦難の末にチャンピオンになるまでのシンデレラ・ストーリーだとばかり思っていた。―それなら、エンタティンメントとしては面白いが、あのイーストウッドが、そんな単純な娯楽映画を作るのかな…とちょっと疑問には思った。

 観てみてビックリした。やはりイーストウッドはただ者ではない。なるほど、これはやられた。そんな物語だったとは想像がつかなかった。さすがは「許されざる者」「ミスティック・リバー」のイーストウッドである。

 どんな映画であるかは、これ以上語らない方がいい。とにかく素晴らしい傑作である。できるだけ余計な情報を入れずに見るべし。

(以下ネタバレ)
 前半は、プア・ホワイトの貧しい環境から必死に這い上がろうとするマギー(ヒラリー・スワンク)が、めきめき腕を上げ、連戦連勝で、遂に世界タイトル戦に挑戦するまでを快調なテンポで描く。そんなにいきなり強くなれるのか…という疑問も湧くが、そんな点は映画を観ておればどうでもいい事だと気付く。

 そのチャンピオン戦でマギーは、相手の反則が元で首の骨を折り、半身不随になってしまう。映画はここから、ガラッとペースを変えて、死なせて欲しいと望むマギーと、老トレーナー、フランキー(イーストウッド)との、心の葛藤、ストイックな愛、そして最近のイーストウッド映画に共通する“贖罪”をめぐる、重厚な人間ドラマが織り成されて行くのである。

 フランキーが、自分の娘に対して送り続け、そして送り返されて来る手紙のエピソードにも、娘に対してフランキーが何らかの罪の意識を感じている事が伺えるが、その理由を映画はあえて語らない。またジムで働くスクラップ(モーガン・フリーマン)にもフランキーは、彼の片目を失わせたという罪を感じている。彼は自分では“許されざる者”と感じているのだろう。しかしスクラップも、そしてマギーもフランキーを心から許しているに違いない。

 “許す”とは、どういう事なのだろうか。フランキーの娘が手紙を拒否し続けているのは、むしろフランキーに会いに来て欲しい―と望んでいるからではないだろうか。フランキーがマギーに寄せるせつない思いが、娘に対する思いとも重なり、この映画は、人間が生まれながらに背負う、“業”―罪の意識の深さ―それを究極で許すのは、人間の深い愛なのではないかと訴えているのである(それらをもっと理解する為には、フランキーが信ずるカトリック教義をより深く知るべきかも知れないが)。

 “尊厳死”というありふれたテーマではこの映画の真価は図れない。そこをさらに突き抜けた、もっと奥深い、人間の運命、心の絆そのものに迫った問題作なのである。

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 それにしても、イーストウッドは不思議な人である。本来ならマネーメイキング・スターとして、単純明快ななアクション映画に出ているだけで稼げるのに、自分で監督をするようになってからは自分のプロダクションで、異色の、ほとんど儲からないような作品を積極的にプロデュース・演出している。
 監督3作目にして、早くも「愛のそよ風」(73)なる、初老の男と少女とのピュアなラブストーリーを演出し、見事にコケている(わが国では劇場未公開)。

 その後も、売れないカントリー歌手の死に様を描いた「センチメンタル・アドベンチャー」(82)だとか、チャーリー・パーカーの生涯を描いた「バード」(88)だとか、映画「アフリカの女王」製作の裏話を描いた「ホワイトハンター・ブラックハート」(90)だとか、社会派ミステリー「真夜中のサバナ」(97)だとか、ほとんど客の入らない地味な映画を多く監督している(わが国ではそれらはことごとく2番館とかミニシアターでひっそり公開された)。

 本作も、大手のワーナーが出資を渋り、別のプロダクション(レイクショア)が資金提供してやっと製作に漕ぎ着けた。それほど、企画としては地味な作品である。それが出来がいいせいもあって、最近のイーストウッド作品では久しぶりのヒットとなったのはまことに喜ばしい。

 そして、本作品の底流に流れるのは、以上に挙げた“儲からない作品”に共通するテーマ―何かに突き動かされるように、ひたむきに生き急ぎ、そして死に急ぐ人たちの生きざま(「センチメンタル-」「バード」)であったり、目的の為には手段を選ばない、ファナティックな男の人生(「ホワイトハンター-」)であったりするのである。そうしたイーストウッド作品をずっと観て来ておれば、本作の素晴らしさはより理解できるだろう。これ以上は書かない。劇場で確かめていただきたい。

 イーストウッド自身の作曲によるシンプルなギター・メロディも忘れ難い。何度も観たくなる、本当の傑作である。    (採点=★★★★★

(2005年6月7日)

 

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「殺人の追憶」

Memoriesofmurder (2003年:韓国/監督:ポン・ジュノ)

 最近好調の韓国映画界から、またまた衝撃的な傑作が登場した。

 1986年から91年にかけて実際に起きた、女性ばかり10人の未解決連続殺人事件を題材に、「ほえる犬は噛まない」で注目された新進気鋭のポン・ジュノ監督がダイナミックに演出。「シュリ」「反則王」などの人気俳優、ソン・ガンホが主役の地元刑事・パクを演じる。

このソン・ガンホ、容姿も小太りで愛嬌のある顔で、パク刑事のキャラクターも、実績はあるのだが乱暴だし(容疑者に飛び蹴り食わす尋問にびっくりする)、どこかピントがズレていて、しかしなんとなく憎めない…という設定がユニークで、妙なリアリテイがある(「現場に陰毛が落ちていないのは、犯人が無毛症だからだ」と銭湯で張り込むという、笑える場面もある)。

 やがてソウルから、若手の腕利き刑事・ソ(キム・サンギョン)がやって来て、細かい矛盾点を追求したり、鋭い観察眼を示すあたり、スリリングな展開で飽きさせない。軍事政権下であった当時の状況(灯火管制があったり、デモ鎮圧に手が取られて張り込みの人員が足らない…等)もうまく取り入れており、刑事ものとしてはわが「天国と地獄」「砂の器」などの傑作にも引けを取らない緊迫感が漂い、見応えがある。

 だが出色なのは、それまで冷静に真実を見つめていた―と思っていたソ刑事が、自分が知っていた女学生が犠牲になった事を知ると、理性を失って容疑者に凄惨な暴力を加える…という展開で、欠点がないと思われていた人間ですら凶暴な一面を露呈してしまう、人間そのものの弱さ、脆さを鋭く見つめた脚本・演出の見事さには唸ってしまう。

 ラストも素晴らしい。数年後の現在、最初の事件があった現場にやって来たパクが、そこで出会った少女から聞く目撃談を通して感じる、むなしさと人間の不可解さ…。空はどこまでも青く美しい。見事な幕切れである。これは現在までに観た今年の映画の中で、群を抜く最高作であり、韓国映画の質の高さを証明した、お薦めの傑作である。必見!      (採点=★★★★★

(2004年3月7日)

 

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「十五才・学校Ⅳ」

Juugosai (2000年:松竹/監督:山田  洋次)

 このシリーズ、1作目はまずまずだったものの、以降1作ごとにボルテージが落ちて来たように思える。今回はガラリ、スタイルを変えてロードムービー仕立てにしたのが成功し、山田作品としても近来にない秀作となった。

 学校とは、本来どうあるべきなのだろうか。毎日面白くもない授業を受け、重苦しい受験勉強をして大学に受かればそれで事足れリでいいのだろうか・・・。主人公の少年はそれに疑問を感じ、不登校の末に家を飛び出し旅に出る。

 何の疑問も抱かず登校しているだけの普通の中学生に比べれば、彼の問いかけの方がよっぽど真摯だし正しいと言える。少年は旅の途中、さまざまな大人たちのさまざまな人生と出会い、人の善意に涙し、自然の怖さを知り、大人のエゴに怒り、学校では絶対に学んでこなかった体験を経てちょっぴり成長する。旅こそが彼にとっての本当の学校となったのである(この間見たチャン・イーモウ監督「あの子を探して」ともテーマとして共通するものがある)。

 再び戻った学校が彼にとって面白いものになったはずはない。だけど少年は感じる。つらいこと、いやなことがあってももう逃げない。それもまた人生であり勉強なのだ、と・・・。久しぶりに山田洋次の本領を発揮した、本年屈指の力作である。家庭内にいろいろな悩みを抱える人ほど見て欲しい。きっと元気になれるはずである。

 振り返ってみると、山田洋次作品のうちの秀作と呼べるものにはロードムービーが多い。「家族」(70)、「幸福の黄色いハンカチ」(77)という2大傑作はいずれもロードムービーだし、寅さんが日本中を放浪する「男はつらいよ」もある意味でロードムービーと言える。ちなみに寅さんシリーズの「ぼくの伯父さん」は、満男が大学受験に失敗し、親とケンカして家出するという、本作とそっくりなお話で、最後に家に帰った満男に対する両親のリアクションもよく似ている(ついでに、旅に出て最初に出会う、イヤな大人がどちらも笹野高史という点も共通している(笑)。それと、旅の最後に出会う大人の前田吟(寅さんシリーズの満男の父親役)の役名がなんと“満男”なのには笑わされた)。

 そう思えば、本作の主人公の少年を演じた金井勇太は、風貌、喋り方も満男役の吉岡秀隆とよく似ている。吉岡は寅さんシリーズ以外でも「虹をつかむ男」で同じく家出し旅に出ている。つまりはこの作品、山田洋次がずっと描き続けて来たお話の集大成であるとも言えるのである。山田映画を見続けて来た人は余計楽しめる、素敵な秀作である。    (採点=★★★★☆

(付記)
山田洋次はインタビューで、この作品の題名を「家族Ⅱ」にしてもよかったと言っている(キネマ旬報11月下旬号)。で、思い起こせば、「家族」('70)でも前田吟はやはり“老いた父親を地方に残して都会で働いているサラリーマン”を演じていた。30年経ってもまったく同じ役柄を演じているというのも珍記録ではなかろうか?!

  (2000年12月4日)

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「パッチギ!」

Pacchigi(2005年:シネカノン/監督:井筒 和幸)

 1968年の京都を舞台に、日本の高校生と、朝鮮人の少女との恋を描いた青春映画の秀作。

 原作は、松山猛の「少年Mのイムジン河」。当時、「帰って来たヨッパライ」を大ヒットさせたフォーク・クルセダーズが第二弾としてレコードを吹き込んだのが「イムジン河」。ところがこれが朝鮮分断の悲劇を歌った内容であった事が政治問題化し、レコードは発売中止となってしまった。私は当時フォークソングが大好きで、フォークルのレコードも持っていた。「イムジン河」はフォークルが解散記念に作った自費出版レコード(映画の中にもそのアルバム・ジャケットが登場する)の中に収録されていたもので、ラジオでも何度か流れて好きな歌だった。これをストリングスも入れて吹き込み直したものが問題の曲で、実は発売直前にラジオに流れた事があり、テープに録音しておいたら発売中止になってしまい、これは私のお宝となった(その後行方不明になってしまったが(笑))。
 そんな事もあってこの曲には愛着がある。ちなみに松山猛氏はこの「イムジン河」の訳詩者でもある。

 映画は、原作を下敷きにしてはいるが、ほとんど井筒監督の自由な発想に基づき、喧嘩に明け暮れる朝鮮高校の若者たちの姿と、朝鮮高校に通う少女キョンジャ(沢尻エリカ)と日本の高校生・康介(塩谷瞬)との恋を並列して描いている。そして、二人を繋ぐのが「イムジン河」の歌なのである。河をはさんで分断され、同じ朝鮮民族なのに敵味方に分かれて対立しなければならない悲劇と、在日朝鮮人と日本の若者との民族の壁に隔てられた、まるでロミオとジュリエットのような恋とが、それぞれにこの歌の内容を象徴しているかのようである(対岸のキョンジャに会う為に、康介が鴨川を泳いで渡るシーンにもその寓意が込められている)。

 しかし何と言っても面白いのは、「ガキ帝国」「岸和田少年愚連隊」を思い起こさせる、井筒映画らしいケンカ・シーンの迫力で、そのエネルギッシュでパワフルな演出は健在である。冒頭の観光バスを横倒しにする過激なシーンも、いかにも井筒監督らしい。全編、そうした青春のダイナミズムと、そして若者たちの爽やかな恋とがクロスし、見事な青春映画たり得ている。

 チラリと社会的なテーマ(強制連行)も盛り込んではいるが、それはあくまで点景で、中心となるのはいつの時代においても普遍的な、恋と喧嘩が火花を散らす若者たちの青春群像である。左翼かぶれの教師(これがなんと、やはり恋と喧嘩の青春映画の快作「博多っ子純情」で主人公の高校生を演じた光石研というのがおかしい)に対する皮肉も笑える。若手俳優たちの溌剌とした演技も素敵だし(沢尻エリカが可愛らしい)、そして何より、名曲「イムジン河」である。今聴けばどうってことない、あの程度の曲(最近やっとCDで発売された)ですら事なかれ主義で発売禁止にした、あの時代の空気も痛烈に批判し、そしてさまざまな障壁を越えて、明日に向って恋をはぐくむ若い二人の後姿に元フォークルの北山修と加藤和彦が歌う「あの素晴らしい愛をもう一度」がかぶさるラストシーンには、懐かしさも相まって涙が溢れた。

 人によっては、朝鮮人側にウエイトを置いた展開に反感を感じる方もいるかも知れない。しかし「冬ソナ」を中心とした韓流ブームの現在、もはやそんなわだかまりを抱く時代は終わっている。素直に青春映画として楽しみ、感動すればいいのである。井筒監督のこれまでの最高作であり、本年を代表する秀作としてお薦めしたい。    (採点=★★★★★

(2005年2月1日)

 

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